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空にいるような軽い気分で・・・

原始力発電所(その3)

2011年04月26日 00時38分43秒 | 詩・文芸・作品
宮崎駿の漫画作品《風の谷のナウシカ》に世界を焼き払った巨大な人工生命体というおぞましいモノが出てくる。巨神兵と名づけれられていて、アニメでは形のはっきりしないドロドロ生命体で火を吐くシーンがあった。核爆弾を想起させるけれど、物語だから人工生命体としていて喩に富んだ創作物になっている。

私は《風の谷のナウシカ》の漫画全巻を持っているが、これも自慢の一つとして良いかも知れない。連載している森哲弥作品《原始力発電所》は、風刺だけではない何かを示してくれるだろうと、読み始めて直ぐに思わせてくれるようだ。《原子力発電所》と《風の谷のナウシカ》の違いなどを考えてみたいと思っている。


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 原始力発電所
       森 哲弥
  5・人工火山            
結論的に言えば、ジョヴァンニ・グアルニエリの主張は、火山エネルギーの直接的利用という構想の部分だけが採択され、火山帯からはより遠くへ、そして一箇所に集中してより強靭な効率のよい基地を作るべく大幅に修正された。その裏事情については彼の来歴がかかわっていた。彼はイタリア生まれではあるが、若くしてアメリカにわたって地球物理学の研究をしていて、今日にいたるまで地震というものを経験したことがなかった。火山帯からそう離れていないところに人工火山を作るということは地震が起きたときに誘爆する危険性を否定できないということだった。もちろんジョヴァンニ・グアルニエリは火山性地震のあらゆる事態を想定した上での計画案を出したのであったが、地震多発地帯からきていた研究者たちは実体験からくるトラウマを、精緻ではあるが事実を知らない学者の理論で宥(なだ)めすかすことはできず、激しく反論したのである。当時、委員会の常任理事であったジョージ儼哲のみがこの修正案に反対した。彼は火山タービン作戦を、エネルギー計画の世界的根幹におくことに反対していた。「数あるうちの一つとして」考えれば設備は小規模ですむ。人工火山を小さくすればもとの火山の傍でも誘爆することはない。ジョヴァンニ・グアルニエリのもとの案で問題はない。地震国日本で育ったジョージ儼哲の主張には力があった。だがジョヴァンニ・グアルニエリにとっては自分のエネルギー構想が世間を席捲するということに有頂天になり自説の多少の修正などはもはや問題でなくなり、かえってジョージ儼哲を疎ましく思うようになっていた。あらゆる遺留工作を突っぱねて国際エネルギー緊急委員会をジョージ儼哲が辞職したのはこの時であった。

  6・月夜              
満月だった。河岸の密林は闇を抱いていた。長く太い円筒形の淡水魚は生け簀の中でピチピチと跳ね、月光に反射して川面を鋭い刃で切り裂いているようであった。時折、生け簀の傍で閃光が起こった。雷光ではなかった。雷光は天に発して地にいたる。しかしここでの閃光は生け簀の近辺から発して天に向かって放たれている。しかも一定時間の間隔をおいて光るのである。「南海プレス」のロバート・ケナリーは、あの日以来アマゾンの男が気掛かりで南米方面の取材の時はかならずアマゾンの生け簀まで飛ぶのであった。
                     
  7・計画の肥大化          
「火山タービン作戦」は世界中の資源、資金、人材、労役を注ぎ込んで始められた。第一次計画は中央シベリア高原から地中海-イラン火山帯まで、第二次計画はカムチャッカ半島の五火山、シュベルチ火山、クリュチェフスコイ火山、トルバチク火山、カリムスキ火山、ベズイミアニ火山まで掘り進んでシベリア高原に人工火山を作ろうというものだった。工事の大変さということで斥けたジム・ハワードの「強風吸収蟻の巣作戦」よりはるかに大がかりな計画になったにもかかわらず、勢いは押し止めようがない段階になっていた。工事は多大な電力を必要とした。世界各国に「節電令」が敷かれ、ただでさえ枯渇の危機にあったエネルギー事情は悪化の一途をたどり、その当面の対策として過去数百年間封印してきた原子力発電を再開しようという動きになり、シベリア高原に未曾有の大原子力発電所建設が始まった。       

                     (つづく)
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