鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

原始力発電所(その2)

2011年04月24日 00時23分33秒 | 詩・文芸・作品
現代詩の書き方はソネットというような形もあるけれど、たいてい自由に書かれる。句読点も付けたり付けなかったり、散文調のなかに行分け部分が嵌めこまれたりもする。ルビの振り方も法則性は作者の想いの内で意のまま成される。この《原始力発電所》も漢字にルビが振ってあることがある。このブログではルビが振れるのかどうか・・・わからないので、( )に入れることにした。作者が( )を使って表現している箇所もあり、紛らわしいかも知れないが勘弁してもらおう。ワード文書の提供を受けたので、タイピングミスは発生しないと思うけれど、触っている内に間違いが起きる可能性もある。注意しながら早め早めに進めたい。


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 原始力発電所
       森 哲弥

 2・悍ましき地層          
北半球、中央シベリア高地、ベルヤンスク山脈西方、森林凍土帯(森林は絶滅して久しい)そこを皮一枚掘り起こす。         
その地層は《a層》とよばれた。悍(おぞ)ましき地層(アパーリング・ストレイタム)のaをとってそう名付けられたのであった。a層には生物の痕跡はなかった。いや広い意味において有機質の痕跡さえ極度に乏しかった。それは北半球の極めて限局された地域、世界史的、地政学的に何ら意味のない地域であったために社会の耳目に触れることなく悠久の眠りのなかにあった。そこは高濃度の放射能で汚染されており除去作業も不徹底なまま放置されていた。唯一つこの悍ましき地層、そのうえに薄幕のように広がった地表の取り得といえばそれは宏漠たる無人の空間であった  
この地について残されている資料は乏しく、あっても放射能の影響だとか、残存微生物についてとか言うもので人間についての物はほとんどなかった。ただモスクワの酒場で飲んだくれて急に倒れこんだ自称「吟遊詩人」といっていたウクライナ人が粗末な布カバンから本人の物でなさそうな堅牢な装幀の手帳をたまたま居合わせた日本人に託した。吟遊詩人はその男に向かって「あなたは《空飛ぶ卵》にのった人の子孫だ」といってこときれた。その手帳に詩の一節が記されていた。この地についての人文的資料はこの詩の断片のみである。                  
  山川荒涼として            
  草木悉く枯れはて           
  空に鳥無く              
  野に獣無く              
  地中に虫無く             
  巨大な力生み出した異形の城塞は    
  爆裂の残骸と成り果てて        
  土に帰すことも許されず        
  いまだ禍根の粉塵を吐き続ける     
  人は羊の皮袋にわずかの水を溜め    
  自ら築いた石鉄の殻から出て      
  空飛ぶ卵に乗り込み          
  国を棄てて流浪した          
  時は火矢にのって飛び去り       
  暦日は彗星の周回に帰した       
                     
 3・エネルギー危機          
世界中の、殊に北半球諸国のエネルギー事情は逼迫(ひっぱく)していた。世界の国々は多くの曲折を経ながらも、すでに何百年も以前から原子力発電を人類の叡知では制禦しえない《ドラゴンの心臓》として認識し、技術を封印したのであった。河川という河川に水力タービンが回り、山岳の南面には悉く太陽電池パネルが張り巡らされ、もはや登山という営為もそれにまつわる文化も消滅しかけていた。また測量され尽くした風筋には群れたフラミンゴのように林立した風車が物憂(ものう)げに回っていた。だが尚もそれに倍するエネルギーが必要であった。化石燃料はすべての国で国家管理となり緊急事態に備えられた。ただ緊急事態ということではある国では軍事・防衛を、ある国では自然災害等民生用を意味した。化石燃料はすでに過去の物となりつつあった。    
平時に於いては、奇抜な構想は往々にして妄想と片付けられる。しかし常識人が描き得る空想と現実との幅がもはや距離を失ってしまった現況では、妄想に近しい空想も世界を救うものとして受け入れられる土壌が出来つつあった。                 
                     
 4・百家争鳴            
国際エネルギー緊急委員会が発足したのは丁度この時期であった。マッド・サイエンティスト、予言者、賢者の石を携えた占星術師、また研究室の隅に追いやられていた周辺科学者達が口を開きはじめた。         
世界中の人々が戒律にしたがって一年のうち四ヵ月間、物質面での制限生活を送れば、その慣習は物質文明への世界人類規模での反省を促すことになりエネルギー事情は劇的に改善されるであろうと唱えたのは断食の伝統のあるイスラムの予言者だった。アメリカとイタリアの科学者は、自然の驚異、暴風雨や火山爆発から逃れるすべでなく、そのはかり知れないエネルギーを、人間の側の物として取り込むことは出来ないか。について考えた。まずアメリカの気象学者ジム・ハワードは北米のハリケーン、インド洋のサイクロン、アジアのタイフーン、それから南仏のミストラルにいたるまで、世界の名だたる強風のエネルギー量を計算し、巨大でかつ強靭な風力タービンを頻回通過予定コースに無数に設置し地下に蓄電鉱脈を作ってエネルギーを貯めようと主張した。世間でそれは「強風吸収蟻の巣作戦」とよばれた。イタリアの、いやEUイタリア区の地球物理学者ジョヴァンニ・グアルニエリは火山に注目した。彼の考えは従来の温泉や、地熱利用の範囲を大きく越えて火山から離れた地点からボーリングしてその炎道に通じさせる、つまり小規模な火山を人工的に作り上げるというものだった。強力なフィルターを設置し、岩漿はもとの火山へ導き、人工火山の方へは噴出ガスを通す。まずその噴出力でガスタービンを回して発電するという方法である。さらにその高温のガスは送気管によって都市にくまなく送られ熱源として幅広く利用できるという点を強調していた。地球のマグマが無くならないかぎり永久機関のようにガスタービンは回り電力は供給され続けるのだ。これを世間では「火山タービン作戦」とよんでいた。         
「強風吸収蟻の巣作戦」は精緻な計算に基づく検討が繰り返されたが、その膨大な数のタービン設置、地下蓄電鉱脈の建設にセメント、鋼材等基礎建設材料の必要量が天文学的数値になるということで基礎設計の段階で見送られた。                  
より《現実的》と世界に迎えられたのは「火山タービン作戦」であった。ジョヴァンニ・グアルニエリは国際エネルギー緊急委員会のメンバーとして迎えられた。彼はその後も研究を続け、この作戦に付随していた難問つまり火山噴出ガスの無毒化の方法を発明した。小規模な段階では類似の技術は既にあった。それはEGR=イクスハウスト・ガス・リサーキュレーション(排気ガス再利用装置)といって排気ガスを再燃焼して有害成分を除去するというものであったが、有害成分が除去されたガスを利用するための物ではないという点で根本的な違いがあった。 
                     (つづく)
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