醍醐寺の花見では、一番賑わう場所が桜並木の南北通路。
昨日の画像の二、三枚目がそうなのだが、その南突き当たりの門を出て、道路向こうにこの太田垣蓮月の仮寓跡という石碑がある。
今時、珍しい茅葺きだから、この建物そのものが仮の住居だったのかと勘違いしそうだけれど、跡と書いてあるからには、場所だけを表しているのだろう。
引越しを何回もやった人らしいから、ここに居たのもわずかな期間だったのではないか。
蓮月尼のことを書いてあるサイトの長い文章を読んでみると、産んだ子供たち全員を亡くし夫にも先立たれ、その後の夫にも子にも養父にも死なれ・・ということごとく身内を失うという大変な人生だとわかる。
出家して歌を学び、陶芸で生計を立て慈善事業を積極的にこなして、自分は八十歳半ばまで長生きした。
歌を書いた陶器が蓮月焼きと人気になり、贋作まで出るようになったとか。
実は、田舎の生家に、その蓮月尼の皿が一つある。
良いものなど残っていない家なので、贋作なのだろうと、ほぼ確信的に思う。
贋作の方が希少価値ありというような逆転現象があれば面白いのだけれど・・。