菓子箱のデザインに集落を見た(060907)
■ 勤務先の午後の休憩時間、お茶菓子におかきが出た。所員の東京みやげらしい。 菓子箱の蓋には松?扇子?花? いろいろに見えるパターンが繰り返されている。これがアフリカあたりの集落に見えた。昨晩『集落の教え100』原広司/彰国社を読んだ影響(せい)かもしれない。
原さんは世界の集落の調査をしたことで知られている建築家。この本はタイトルの通り世界の集落の調査によって得た知見を100の項目にまとめたもの。
例えばこんな「教え」が示されている。
*[01]あらゆる部分を計画せよ。あらゆる部分をデザインせよ。(後略)
*[02]同じものはつくるな、同じになろうとするものは、すべて変形せよ。
*[81]材料が同じなら、形を変えよ。形が同じなら、材料を変えよ。
原さんの建築はまさにこのような「教え」に拠ってデザインされているとみてよいだろう。そう、原さんは「繰り返さないこと」に美学を感じているようだ。
ところで、この本に示されている多くの集落は、先の菓子箱のデザインのように同じパターンの繰り返しのように私には見えるのだが、原さんはそのことをどう捉えているのだろう。
私が注目したのは
*[19]集落のあいだで、建物のあいだで、部屋のあいだで、差異と類似のネットワークをつくれ。という教え。
**(前略)集落は、住居を構成要素としている。住居には無限のヴァリエーションがありうるが、いずれの二つの住居のあいだにも類似点を指摘できると思われる。仮に、もし類似点がないとしても、この二例のあいだも第三の事例を挿入すれば、おおむね類似のネットワークは連結するだろう。(中略)差異と類似の論理が効果的にはたらくのは、対象とする集合に属するすべての要素それぞれが共通した構造ないしは組立をもっている場合である。(中略)いずれの集落も住居の集合であってみれば、なんらかのかたちで差異と類似の論理を適応できるであろう。**
この項に載せられている写真
この文章に原さんが考える集落、街並みのありようが示されている。
先日、奈良井宿について書いたが、その美しさを私は緩やかな統一に拠るものと考えた。利根川さんが理想的な組織として挙げたオーガナイズド カオス(秩序づけられた混沌)も同義として引用した。建築の集合としての街並みの美学は全く同じものの繰り返しでは生まれないように思われる。いつかのS君との会話のなかにもそのことがでてくる。全く同じマッチ箱のような集合住宅の繰り返しの団地は美しくない、と。
建築を構成する要素の場合、全くおなじものの繰り返しが美しいと感じるのに、この違いはいったい何に拠るのだろう。菓子箱のデザインも形が同じで色の違うパターンがあるところがミソ。