透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

またまた繰り返しの美学

2006-09-03 | B 繰り返しの美学





○ 繰り返しの美学、私の場合

建築家の出江寛氏は、繰り返しの美学についてエッセイで
**平凡なものがくりかえし現れることによって、象徴的な姿を表現し得るのである。(中略)平凡なものの集合はときとして芸術にまで高められるのである**と指摘している。実例として氏は京都の伏見稲荷神社の赤い鳥居の連続をあげている(別冊新建築 1989)。私はこのことを知ってから、「繰り返しの美学」を意識していた。

上の写真はある施設で試みた繰り返しの美学。壁面から突き出たコンクリートのこぶの上にV型に方杖を据えた。仕口面が複雑になるが、この木工事を担当した工務店はわざわざ加工場で試作品を作って検討してくれた。
この建築の構造はRC造だから、この木の梁は化粧。

この施設の別のところでも繰り返しの美学を試みている。方杖、コードペンダントそれぞれの繰り返し。



○ 廊下の吹き抜けの意匠


「すけすけ」から「うねうね」へ (後編)

2006-09-03 | A あれこれ

 
ぐりんぐりんの構造解析(佐々木睦朗)と本稿の参考書籍

 伊東さんは当初「まつもと市民芸術館」の外壁を透明にするつもりだったという。途中で変更してGRCパネルにガラスをはめ込んだ「あわあわ」な外壁にした(前編の写真)。

この「あわあわ」は銀座ミキモトにも使われている(しばらく前の写真)。水の泡のイメージといえるかもしれない。銀座ミキモトの外皮は構造体と外壁とが一体化されたものだが、両者の区別がつかない「曖昧な」外皮ということもできることに気がついた。

「まつもと市民芸術館」は「せんだい」から「ぐりんぐりん」への変換点に位置する作品。外壁を「せんだい」のように透明にしなかったところや曲面の外壁、緑化された屋上などに次へのステップが垣間見える。

伊東さんは「アイランドシティ中央公園施設 ぐりんぐりん」でメビウスの輪、クラインの壷をいくつかに切り分けて、くっつけたような建築を設計した。三次元のCGを使って構造解析がなされている(上の写真)。



伊東さんがデザインした「フィガロの結婚」の舞台セット(2005)はまさにメビウスの輪(松本市内の大名町通りに面した展示スペースで見つけた写真、パブリックな空間に対して展示されていたので撮った、風景を撮るような意識で。反則なのかもしれないがそっと載せておく)。表なのか裏なのか、内側なのか外側なのか・・・。

**アイランドシティの建築は、シェル面がねじれることによって、内/外の連続性と反転をつくりだしています。形態自体が内と外の曖昧性を生んでいるのです。さらにこの建築の屋根面および内部は緑に覆われています。いまだ植栽が終ったばかりの状態ですが、植物が生長するにつれて、建築本体とランドスケープの境界もまた消えていくでしょう。** (アンダーライン:筆者)

伊東さんはこの作品で見事に「曖昧な建築」を提示してみせた。もう、凄い!としかいいようがない。

今年、伊東さんは岐阜県各務原市の斎場で「うねうね」とした屋根を創った。金魚鉢の口縁の波打つフリル、そう縁だけが紺色のガラスのうねうね、あの部分のような屋根を。

この先、伊東さんは一体どんな建築を創るんだろう・・・。

追記 『構造設計の詩法』佐々木睦朗/住まいの図書館出版局の表紙は「とんぼの羽」、自然界に存在するものはみな合理的なものだという。「せんだい」のフラットスラブ内のリブもこれによく似ている。構造が合理的であることの証左なのであろう。


 

 


「すけすけ」から「うねうね」へ (前編)

2006-09-03 | A あれこれ


「あわあわ」な まつもと市民芸術館(060902)

■ 伊東豊雄さんが長年求めてきたのは原風景である「輪郭の曖昧な諏訪湖」のイメージを再構成した「薄くて軽い境界の曖昧な透明建築」だった。 自邸「シルバーハット」や「東京遊牧少女のパオ」、「八代市立博物館」などの作品としてそのコンセプトを具現化してきた。

「せんだいメディアテーク」はその到達点として構想された、はずだ。**徹底的にフラットスラブ、海草のような柱、ファサードのスクリーンの3要素だけをピュアに実現する。スラブは極力うすく ファサードのスクリーンは横のストライプのみ 透明、半透明のフィルム はりわけ** 「せんだい」の最初期のスケッチは有名だが、そのスケッチにはこのような「メモ」が書かれている。

このスケッチは本や雑誌などで何回も紹介された。
『建築家のメモ メモが語る100人の建築術』丸善にもこのスケッチが紹介されている。そこで伊東さんは次のように書いている。**私にとって建築のデザインを始める時の最初期のイメージは実に頼りないものである。多くの場合それは、深い霧の中でものを見ているように、もやもやと曖昧で輪郭がない。この輪郭のないのが私の原イメージの特徴かも知れない。**

海草のようにゆらゆらとした柱、薄いフラットスラブ・・・「せんだい」のイメージは佐々木睦朗さんの卓越した構造センスによって具現化されていくのだが・・・。

『せんだいメディアテーク コンセプトブック』NTT出版に収録されている「アンダーコンストラクション」で伊東さんは、このプロジェクトの設計は従来とはまったく異質な体験であったと書き、「自分でコントロールできないことをやっている」と実感していたと続けている。

そしていつの場合でも行き着く先がほぼ予想できたが、「せんだい」ではその行き着く先がほとんど見えないまま最後まできてしまった、と告白している。


工事中、伊東さんは大勢の溶接工が鋼材と格闘する姿を目の当たりにしたはずだ。鋼管を鳥かごのように組み合わせた柱(チューブ)、2枚の鋼板で構成されたフラットスラブ(その内部には応力分布に対応した鋼製のリブが多数つけられてる)。

海草のイメージとは全く異なる圧倒的な存在感の柱。ひらひら、ふわふわとは全く異なる厚い鋼板のスラブ。 曖昧な建築という伊東さんの原初的なイメージとあまりにかけ離れた実在。

幾何学的な形態を特徴とする近代建築では曖昧な建築は実現できない・・・伊東さんはそのことを「せんだい」で思い知る。 

伊東さんはすごい人だ! 

**藤森さん、教えて下さい。近代主義建築の矛盾を見てしまった建築家に、でも頼るべき田舎も自然もないことを知ってしまった建築家に、この先あるべき建築を・・・・・・。** 

この藤森さんへの質問の答えを、自らたったの数年で見つけ出してしまった。曖昧な建築実現の為の別の方法論を。

以下後編に続く。




メタボる

2006-09-03 | A あれこれ


酔族会 060902

 メタボる。続けるとメタボリックシンドロームになると懸念される行為をすること。月に1度位なら、全く問題はないが、頻繁にメタボるとあぶない。尚、頻繁にメタボる人達を、最近はヘビメタ族という。この言葉は、本来は音楽用語。掲載した写真は、週末にメタボる人達の標準的なコース。メタボり度3 (現代中年オジサン用語の基礎知識 最新版)