透明タペストリー

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繰り返しの美学 

2006-12-30 | B 繰り返しの美学

 都市にも当て嵌まる「繰り返しの美学」

「繰り返しの美学」について実例を示してときどき書いてきた。
建築を構成する要素の繰り返し、その「秩序づけられた」状態に美を感じるということだ。

建築の集合体としての都市にも「繰り返しの美学」を当て嵌めることができる。以前奈良井宿について書いたが(060904)、ほぼ同様のデザインの建築が繰り返されている歴史的な街並みを美しいと感じるのはそのことを示す好例だろう。

ただし、建築の場合には同一のデザインを等間隔に繰り返すことが「繰り返しの美学」の必要条件だが、都市的なスケールの場合には全く同一のデザインの繰り返しは画一的でつまらない。全く同一で単純なデザインの住居棟を繰り返したかつての団地計画をその一例として挙げておく。都市の場合には建築の場合とは異なり「ゆるやかな秩序」がその美学のキーワードだ。

ゆるやかな秩序の程度を仮に「秩序度」ど呼ぶと、一般論として秩序度の高いのが伝統的なヨーロッパの都市、秩序度の低いのがアジアの都市といえるだろう。「秩序のヨーロッパ」、「混沌のアジア」と言い換えてもいい。ゆるやかな秩序の程度の問題なのだ。

秩序度の差は都市に様々な様相を創り出す大きな要因だが、どの程度の秩序度が好ましい、美しいと考えるかということについては、個人差があって当然だろう。だが勝手気ままにデザインされた建築が乱立する都市、全く秩序のない混沌とした都市が好ましいと考えるのはごく少数の人たちだろう。

その辺りの論考を期待して『美しい都市・醜い都市 現代景観論』五十嵐太郎/中公新書 を読んだが(この本の帯にはカオスか秩序か?と書かれている)、残念ながら期待に応える内容ではなかった。

「リンケージ」、「ニュートラルゾーン」  都市を秩序付けるもの 

滋賀県立大学は1995年に開校した新しい大学、キャンパスを4つのゾーンに分け、各ゾーンを異なる建築家が設計した。内井昭蔵さんはマスターアーキテクトとしてプロジェクトに参画し、キャンパス全体を集落にみたてて「ゆるやかな統一体」としてまとめた。

どのゾーンにも属さない「ニュートラルゾーン」によってデザインの異なる各ゾーンをなだらかに連続させる、というのがその方法だった。

内井さんは景観は建築と建築の「間」の問題だとし、この「間」デザインこそ重要なのだと指摘しているが、これは槇さんの「リンケージ」と同様の概念だと私は理解している。

都市を秩序づけることについて槇さんは「グループフォーム(群造形)」という概念を提示し「リンケージ」によってまとまりのある街並みを創出した。先日書いた代官山ヒルサイドテラスである。

多様な価値観の共存を認める社会においては、建築のデザインも多様だ。そこにゆるやかな秩序、ゆるやかな統一を与えること、都市の美学にはそれが求められる。

「リンケージ」「ニュートラルゾーン」は抽象的で分かりにくい。具体的な手法として樹木も有効だろうと思う。街路樹の緑によって街並みがゆるやかに統一され美しくなる。落葉してしまった冬季、街並みが凡庸に見えるのは街路樹の緑が有効だということの証左といえるだろう。

「敷地の前面道路沿いに緑を」、条例でも、住民協定でも、向こう三件両隣の約束でも、なんでもいいそのように決めて実行することができたら。

都市の「ニュートラルゾーン」に緑を!  都市に緑の「リンケージ」を!