透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

映画監督の一分

2006-12-28 | E 週末には映画を観よう



『寅さん大全』筑摩書房(1993年初版発行)寅さん、若い!

新聞のテレビ欄は必ずチェックするがラジオ欄をチェックすることはまずない。偶然、仕事帰りに車の中で「わが人生に乾杯!」(NHK第1)を聴いた。

「映画監督の一分」そう、ゲストは山田洋次監督。ホスト役の山本晋也カントク、アシスタントの城之内早苗さんと山田監督の映画談議。番組の途中で自宅に着いてしまったが、続きを居間で聴いた。

山田監督は子供のころ「路傍の石」を映画館で観たそうで、そのとき一緒に行った二十歳前のお手伝いさんが隣でぼろぼろ涙を流しているのをみて、映画というものを意識するようになったそうだ。

私の場合、寅さん映画以外で特に印象に残っている作品は「幸福の黄色いハンカチ」、番組でも話題になった。ヤクザ映画のスターだった健さんの転機となった作品。すごい数の黄色いハンカチが風になびいているラストシーンが忘れられない。

「武士の一分」では監督も失明してからのキムタクの目がよかったと言っていた。キムタクは自分は目が見えないのだと暗示をかけていたそうだ。

番組の後半の話題は寅さんだった。山本カントクはとにかく寅さん映画に詳しい。第7作のポスターにはSLが写っていると指摘していたが、確かに写っている(「寅さん大全」で確認)。

旧満州で育った山田監督は、内地はどんなところだろうといつも思っていたそうで、それが日本全国を旅する寅さん映画をつくろうとした契機だと語っていた。番組の最後に山田監督は「道は最初からあるのではない、歩いた跡が道になるのだ」と山本カントクの問いに答えていた。これは魯迅のことばだそうだ。

NHK衛星放送であと数作(4作かな)寅さんをやる。見逃さないようにしよう。


 


「海の仙人」

2006-12-28 | A 読書日記



雑誌「yom yom」をやっと入手した。川上弘美の小説が掲載されている新潮社の新しい雑誌。今人気の作家の読み切り小説やエッセイ満載、どうやらこの雑誌で年越し読書ということになりそうだ。

この雑誌に掲載されている角田光代の「涙の読書日記」の書き出し**一日の隙間時間に、読書が挿入されている。**は最近の私の読書スタイルそのものだ。

昨日、隙間時間に『海の仙人』絲山秋子/新潮文庫を読んだ。帯には**孤独に向き合う男女三人と役立たずの神様が奏でる不思議なハーモニー**とある。男女三人、なぜか男二人と女一人という組み合わせかと思ってしまったが男一人と女二人の恋愛物語だった。恋愛物語と捉えるのは少し違うような気もするが・・・。

主人公、河野勝男は元デパートの店員、宝くじで三億円当たって勤めを辞めて敦賀で生活している。・・・とあらすじを書き続けてもよいが省略。勝男と全くトーンの異なるふたつの恋愛を展開するのがデパートで同期だった片桐妙子と偶然敦賀の港で出会った中村かりん。

片桐は『沖で待つ』に登場したわたしとよく似たキャラの女性。二人の交わす会話も「おう、片桐、相変わらず、柄悪いなあ」「カッツォも相変わらずさえないなあ」こんな調子で『沖で待つ』のわたしと太っちゃんの会話と雰囲気が似ている。そして二人の関係も似ている(06/04/19のブログ)。 勝男が三億円当たったとき使途を相談したのも片桐だった。

一方、勤めの休みを利用して敦賀にジープで出かけて来たかりんは子供のころ読書魔だったという女性。かりんとの恋愛は予想外の方向へ展開して・・・。ラストは具体的には書かない、「涙」とだけ書いておく。

どうも絲山さんは欲張りすぎたのではないか、と読了後思った。それぞれ別の小説に仕立ててもよかったのではないかと。尤もふたつの恋愛を対比的(とも違うかな、この辺がまだ消化できていない)に描くというのが絲山さんの「意図」のようにも思われるが。

勝男と片桐とで『沖で待つ』のような物語を最後まで展開して欲しかった。かりんとの悲しい物語はこの作家のイメージからは遠いような気がする。『絲的メイソウ』で懐いた印象から、そう思う。 もっと別の作品を読めば、あるいは印象が変わるのかもしれないが。