「知的で上品」 建築家槇文彦の風貌にも建築作品にも当て嵌まる。
このブログを始めてまもなく、「顔文一致」というタイトルで書いた(06/04/23)。その中で、「建築作品はその設計者の体型に似る」という自説を披露しておいた。ドイツの精神病理学者、クレッチマーは体型と気質との間には相関性が見られる、と唱えたがそれに倣って私はそのように考えていたのだが、どうやら「建築作品はその設計者の風貌に似る」と修正した方がよさそうだ。
槇さんの作品はどれも実に知的で端正で美しい。今から20年以上も前のこと、1983年の9月にYKKのゲストハウスを見学したが、それが槇さんの作品をじっくり見た最初の機会だったように思う。京都国立近代美術館もその後見学しているが、美しい階段が印象に残っている。
槇さんには秀作が多いが、代表作品として代官山の一連のプロジェクトを挙げる人が多いのではあるまいか、私も同作品を挙げる。↓
http://www.hillsideterrace.com/history/index.html
前稿に載せた『現代建築の軌跡』で槇さんは代官山ヒルサイドテラスを例に挙げて、「グループフォーム(群造形)」について語っている。
**同じフォームとかタイプを変形しながら連続するのではなく、時代とその場所に適合することをもっと大切にする。「グループフォーム」を、もう少しゆるやかに解釈して、多少変形するにせよ一つの形態を繰り返すのではなくて、多様な「リンケージ」でつなぐことを重視すれば、形態に厳密な一貫性がなくても、あるまとまった集合をつくることができる。**
ヒルサイドテラス全体の空間構成を読み解くポイントは、「グループフォーム」と「リンケージ」。
**ヒルサイドテラスでの「リンケージ」は、人の動きを誘うような仕掛けあるいは構成要素で、たとえば樹木のグリーンも、大小の違った形であちこちに現れるとか、広場も大小のものが連鎖すると、歩いているだけで、なんとなく、まとまりを感じます。(中略)外の風景と内の風景を一緒に体験することができ、絶えず街の一部だという感覚を失わないで済む。いずれも、形こそ違え原則をリピートすることによって、「リンケージ」を何気なく連鎖させ、それによって、一つの集合体としての全体性が表れてくることを狙っているのです。** linkage 結節、結合、つながり
引用が長くなったが、要するにゆるやかな同調、統合によって全体を一つのまとまりとしてイメージさせている、ということ。林雅子の建築展を観るために久しぶりに代官山を訪れたのは2002年の9月のことだった。駅の周辺はすっかり様変わりして、随分俗っぽい街になってしまっていた。 機会があれば再訪してヒルサイドテラスをじっくり観察したい。『記憶の形象』も再読しなくては・・・。