透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

風景印収集 「郵便局を訪ねて1万局」を読んだ

2008-07-12 | A 読書日記
「風景印」をネット検索してみてその数の多さにびっくりしました。風景印の収集を趣味にしている人って多いんですね。 で、こんなサイトもあるんですね。↓
http://www.post.japanpost.jp/stamp/fuke/

日本にはおよそ24,000局の郵便局があって約10,000の風景印があるのだそうです。風景印を押してもらうために約30年かけて離島や山頂そして船の中の郵便局も含め11,000局あまりを訪ねた「郵ちゃん」の巡礼記録を読み終えました。

収集した風景印がいくつも紹介されていますが、様々なデザインがあるんですね。新しい建築ができるとそれをデザインした風景印もつくられるそうで横浜ランドマークタワーや東京オペラシティ、六本木ヒルズなどの風景印が本書で紹介されています。そうか建築切手に建築風景印を押したものと、対象を絞って集めるなんてこともできるんですね。

正確には鳶色というそうですが、レンガ色のスタンプ(風景印)を見たことありますよね。

風景印にこんなに数があってそれを収集しているマニアがいることは知りませんでした。ちなみに鉄道マニアの女性は「鉄子」さんというそうですが、郵便マニアの女性は、そう「郵子」さんだそうです。

風景印には直径が36mm以下にしなければならないという規定があるそうですがそんな小さな世界に人を惹きつける魅力がつまっているんですね。私も近くの郵便局の風景印のデザインが知りたくなりました。

何年もかけてJR全線を乗りつくしたり、全国の棚田を訪ね歩いたり、高校野球全国大会の優勝校の選手たちの色紙を集めたり、マニアな人たちはハードルの高さなど気にもせず、むしろ自らハードルを高くしてそれを楽しんでいるのでしょう。

建築トランプ 安藤忠雄

2008-07-12 | A あれこれ
 

 久しぶりの建築トランプ、今回は安藤忠雄さん。

安藤さんが頭に載せているのはセビリア万博の日本館、でよかったかな。もとボクサーだったことを手にはめているグローブが示している。持っている新東京タワーは、何という名前に決まったんだっけ、思い出せない。ガウンの▲は21-21デザイン・サイトかもしれない。

安藤さんの場合、最終的な形が最初にイメージできるのではないかと思う。
この21-21デザイン・サイトも四角い紙を対角線で折って伏せたような形がまず初めに浮かんだのではないだろうか。内部空間と機能との関係付けなどにはあまり関心が無いのかもしれない、と思ってしまう。タイトな機能をもった建築よりも曖昧で明確な機能を持たないような建築の方が好き、というか得意というか能力を発揮できる人なのだ、と思う。

安藤さんが好んで使う単純な幾何学的形態を磯崎さんも昔はよく使った。例えば群馬県立近代美術館では立方体をいくつか並べた。単純な立体を使ってはいるが、ふたりの作品の印象は随分異なるように思う。感性の安藤さんに対して、知性の磯崎さん。この違いが作品にも表れているのではないか。

そのことを作品を挙げて具体的に説明したいところだが、なんとなく直感的にそう思うだけで、それが出来ないのは残念だ。

余分なものを捨てて捨てて、最初にイメージした「シンプルな幾何学的形態」に収斂させる安藤さん、素材感を消し去った抽象的な線と面の建築は原寸大の模型のようだ。安藤さんは材料のもつ質感や色などには関心がないのだろうか。ストイックな空間は極めて日本的とも評されるが、私はどうも物足りない。

頑なにコンクリート打ち放しのシンプルな立体に拘る安藤さんと有機体のような形態にチャレンジし始めた磯崎さん。

さてこの先どう展開したものか・・・

昨日セミナーに参加するために上京したT君に先月開業した地下鉄副都心線の渋谷駅を見学してきて欲しいと頼んだ。彼の感想を明日聞こう。と今までの文脈から外れたことを書いて今回は終わりにする。

安藤建築は語れない・・・。

信州の自然を描き続けた東山魁夷、そのきっかけは?

2008-07-12 | A あれこれ



 日本画家・東山魁夷の回顧展「生誕100年 東山魁夷展」が始まりました。先日、新聞にもこの展覧会が大きく報じられていました(写真)。

東京都近代美術館の特任研究員でこの展覧会を企画した尾崎正明氏が**東山魁夷の芸術が、根底では伝統に培われた日本的な感性と深くつながっていることがうかがえる。もっともそれらの作品は、必ずしもみたままの光景を描いたものではない。徹底した自然観照から生まれた心象風景、心のかたちにほかならない。(中略)自然をみつめる一人の画家の濁りのない澄んだ眼がとらえた深い感動であり、自身の内面の深い表白である。**と作品解説を寄せています。

観照という言葉があるんですね、辞書には**人生や自然や美などの抽象的な物事について、それはどういうものかと根本的に思索すること**とあります。

信濃美術館前館長の山本正男氏は**画歴の節目節目に信州の風景が果たした役割は看過ごすことはできません。風景画家東山魁夷は信州の自然が育んだといってよいでしょう。**と平成2年4月発行の図録に書いています。

ところでどうして東山魁夷は画材の多くを信州の自然に求めたのでしょう・・・。

旧山口村の賤母(しずも)に「東山魁夷 心の旅路館」があります。リトグラフや木版画などを画伯から寄贈された村(現在は中津川市です)が建設した小さな美術館です。そこに置かれているパンフレットには「木曽へのメッセージ」と題した東山魁夷の文章が載っています。

**美術学校へ入って最初の夏休みに友人と共に、木曽川沿いに八日間のテント旅行をしながら、御岳に登ったのが、私を山国へ結びつける第一歩でした。
この旅の途中、山口村の賤母の山林で大夕立に遭い、麻生の村はずれの農家に駆け込んで、一夜の宿を求めました。そこで私は思いがけないほどの温かいもてなしを受けたのです。
この旅で、それ迄に知らなかった木曽の人たちの素朴な生活と、山岳をめぐる雄大な自然に心を打たれ、やがて風景画への道を歩む決意をしました。(中略)
その後は何かに取り憑かれたように信州各地の山野や湖、そして高原へと旅を重ねて、四季折々の風景を描き続けてきました。(後略)**

このエピソードを画伯は先の図録にも書いています。**とある農家の戸を叩いて、わけを話しますと、老婆が気持ちよく迎えてくれました。土間でよいから泊めて下さいといったのですが、座敷へ通してお茶などを出してくれました。(中略)この旅はその時には気付きませんでしたが、私に大きな影響を与えたものであることが、ずっと後になりわかったのです。(後略)**

大正15年の夏、木曽の山村で老婆の温かいもてなしを受けることがなかったら、あるいは今回の東山魁夷回顧展が長野で開催されることにはならなかったかもしれません。

この展覧会の会期は8月31日までです。是非出かけたいと思います。


ブログの更新は面倒?

2008-07-12 | A あれこれ
一昨日の朝刊(信濃毎日新聞)にブログに関する記事が載っていました。

**国内のブログのうち、月一回以上内容が更新されているブログは20%に満たない。**という調査結果が総務省から発表されたそうです。ブログを始めたものの、更新が面倒、訪問者が少ないなどの理由で80%以上のブログが更新されなくなってしまっている、ということだそうです。

私の「お気に入り」でも休眠状態のブログがありますが、休眠している理由は先の更新が面倒だとか、訪問者が少ないなどということではないように思います。表現することへの懐疑などと表現すれば大袈裟でしょうか、その意味を再考したいといった理由ではないかと理解しています。以前このブログにコメントしていただいたCさん、Jさん気長にブログの再開を待っています。

その一方で更新されているブログが308万もあるそうですから大変な数ですね。その中で「お気に入り」に登録して頻繁に読んでいるブログは、私の場合15くらいでしょうか、リアルな世界の知人、友人のブログが大半です。全く知らない方のブログは少ないです。

ところで一体どんな方が私のブログを読んで下さっているのでしょう・・・。私の知人、友人が多いのではないかと思いますが、私のことを全く知らない方も読んで下さっていると思います。ネット上だけの知り合い、これも何かの縁ではないかと思います。

毎日更新するのはやはり無理ですが、これからもテーマ限定ブログを書くことを楽しみたいと思っています。