武家屋敷あるいは豪農等の屋敷の前面に配置された長屋状の建物で中央に出入り口のための開口を設けたものをいう。
長屋門について俄勉強して私なりにまとめてみました。
最近長屋門を目にする機会が何回かありました。あることを意識しだすと不思議とそれに関連することに出合うようになるものです。
昨日安曇野市堀金(旧堀金村)に「あおいやね」の見学に出かけたことは既に書きましたが、その所在地のすぐ近くでこの土蔵造りの長屋門を見かけました。なんでもかんでもこのような造りの建物を長屋門としてよいのかどうかはわかりませんが、先の長屋門の説明に一応当て嵌まると思いますので長屋門と記しておきます。
私的な領域のエッジを明確に示し、公的な領域との繋がりを示す建築としてなかなか優れた意匠だと思います。
見学の帰り道で更にこの長屋門に遭遇しました。全景写真をきちんと撮りませんでしたが、先日紹介した市松模様に窓を配した繭倉の近くですからまた訪ねる機会があると思います。もう少し周辺の様子がわかる写真がやはり必要ですね。
年々消えつつあるとはいえ、まだまだ民家は全国各地に点在していると思います。昔のように民家探訪の旅をしたいものです。
■ 民家は地元に産する材料を使って造られていました。地産地消です。もちろん屋根材も然り。諏訪地方には地元産の鉄平石で葺いた屋根が今でも残っています。石は重いので構造をその分丈夫にしなくてはなりませんが、耐久性や耐火性に優れていることからよく使われていました。
鉄平石を床に使う例は今でもたくさんあると思いますが、屋根材としてはあまり使われなくなったのではないかと思います。藤森照信さんが自身の作品に鉄平石を使っているのを雑誌で見かけるくらいです。
さて「民家 昔の記録」今回は茅野市内の民家です。鉄平石を大版のまま一文字葺きにしています。注目は棟の中央に祀ってある小さな祠。屋根に祠を祀ってあるのは、珍しいのではないでしょうか。
この祠は『滅びゆく民家』川島宙次/主婦と生活社にも紹介されています。
私がこの屋根の祠を撮影したのは1979年の5月4日、連休で東京からの帰り茅野駅で途中下車して上諏訪駅まで歩いたルートが5万図(5万分の1の地図)に記録してあります。
民家探訪の記録 茅野駅から上諏訪駅まで 19790504
『滅びゆく民家』を購入したのは翌年、1980年の4月です。自分が既に撮った写真と同じアングルの写真をこの本に見つけたのでした。きっと屋根を撮ることができるポイントが限られていたのでしょう。民家に関してはこういうことをときどき経験しました。
日本の原風景の中にあるのはやはり民家、その民家が本のタイトルのように次々と姿を消しています。残念でなりません。