透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

そうだフェルメール、行こう。

2011-12-25 | A あれこれ

 2008年の秋、上野でフェルメール展が開催されました。 そして今、ふたたびフェルメール展(フェルメールからのラブレター展)がBunkamura ザ・ミュージアムで開催されています(来年の3月14日まで)。


「手紙を書く婦人と召使い」 
2008年の展覧会で買い求めた絵はがき
 
フェルメールが残した作品は30数点。真贋不明な作品があるために作品数が定まりません。今回は「手紙を書く婦人」、「手紙を読む青衣の女」、「手紙を書く婦人と召使い」の3点が来ています。

3点とも透明な空気感に満ちた室内に柔らかな光が左の窓から入ってきています。左からの光による演出というのがフェルメールの作品の特徴で、右側からの光を人物にあてた作品は「赤い帽子の娘」、「レースを編む女」くらいです。「眠る女」という作品はどちらからの光なのか私にはよく分かりません。上の絵は静かな室内でふたりが言葉を交わしているように見えます。「手紙を読む青衣の女」も手紙を音読しているように見えます。

今朝(25日)の日曜美術館でフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が紹介されました。あのターバンの青はウルトラマリンブルーと呼ばれ、ラピス・ラズリというアフガニスタン原産の石の粉末に亜麻仁油を加えてつくるとのことです。この青が「手紙を読む青衣の女」にも使われているのでしょう。

完璧な画面構成、巧みな陰影による立体的な表現もフェルメールの絵の魅力だと私は思います。

上野の国立西洋美術館で開催中の「ゴヤ展」、そして竹橋の東京国立近代美術館で開催中の「ヴァレリオ・オルジャティ展」(スイスの建築家)とセットで日帰り東京してもいいかなと思います。まだ他にも観たい展覧会が開催されているかもしれません。


 


― ヤグラーな休日 その6

2011-12-25 | A 火の見櫓っておもしろい


「花」という対象に対する視点やアプローチの方法は様々だ。画家と植物学者とでは全く異なる。画家は自身の感性によってひたすら花から「美」を抽出しようとする。一方植物学者は知的好奇心に根ざした分析的な視点で、例えば花の構造を把握しようと仔細に観察する。

対象を火の見櫓に変えても同じことだろう。火の見櫓のある場所の雰囲気や風景を捉えようと観察する人も、ぐっと火の見櫓に近づいてその構造や構成要素を分析的に観ようとする人もいる。

言いたいのはどちらが優れているか、ということではない。対象に対する視点やアプローチの方法は人それぞれでいい、ということだ。

ところで、木を見て森を見ないとか、医者は病気を診て人を観ないというようなことが言われる。この批判めいた指摘は複視的に部分も全体もみるべき、ということだ。

趣味で火の見櫓を観察しているのだから、このような指摘など気にすることはない。前述したように、人それぞれでいい。私は先に挙げたふたつの視点で火の見櫓を観察したい。時には火の見櫓のある風景の郷愁を、時にはものとしての成り立ち、システムを。

(過去ログ加筆)


 松本市波田中波田の火の見櫓

 

 

  

■ 随分スレンダーで背の高い火の見櫓だ。ブレースが8段、そして踊り場が2ヶ所ある。この位のサイズになると固定荷重(自重)、風圧力、地震力に耐えるように脚部を丈夫に造る必要がある。で、がっちりトラスを組んでいる。



平面形が4角形の櫓に8角形の屋根と見張り台。半鐘が2ヶ所に吊るされている。



トラスを組んでがっちり造っている。前稿で取り上げた三郷温の火の見櫓の簡素な脚部と比べると違いがよく分かる。


この火の見櫓を取り上げるのは2回目(過去ログ


 


235 ヤグラーな休日 その5

2011-12-25 | A 火の見櫓っておもしろい

安曇野市三郷温の火の見櫓

 
235 撮影111224

 上長尾公民館の南側に立っている火の見櫓。なななかいいロケーションで遠くからでもよく見える。右側後方に美ヶ原王ヶ鼻が見える(王ヶ頭はこの場所からだと王ヶ鼻の後方にかくれて見えない)。堂々とした立ち姿には風格すら感じる。必要な部材のみで構成された美しいフォルム。ただし後から設置されたスピーカーやアンテナは邪魔。





脚部 カーブが実に美しい。