透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

227 松本市村井町の火の見櫓

2011-12-09 | A 火の見櫓っておもしろい


227 撮影111209

 なかなか味のある消防団詰所です。彩度がやや高いえんじ色が良いですね。マンサード形の屋根も良い。窓の配置も良い。気に入れば「あばたもえくぼ効果」でみんな良くなります。1階が消防自動車車庫、2階が団員の詰所という一般的な構成になっていると思います。素早く開けられるようにオーバースライディングシャッターがつけられています。

この写真では分かりにくいですが、屋根に風見鶏が載っています。黄色がアクセントカラーとして効いています。団員の手づくりかもしれません。こういうことって、団員の消防団や地域への帰属意識が強くないとできませんよね。真後ろに火の見櫓が立っています。

 

この火の見櫓はJR篠ノ井線のすぐ脇に立っています。踏切を渡って反対側から観察しました。後方に雪で白くなった東の山が写っています。

三角形の櫓、柱の絞り込みが直線的です。かなり昔に建てられたものだと思われます。逓減率(櫓の絞り込み度を一番下と一番上の横架材の長さの比でとらえた値です。多重塔の捉え方に倣いました。)が大きいです。踊り場の位置が高いです。



見上げると整った姿形が美しいです。

三角形の踊り場、円形の屋根、同じく円形の見張り台。手すりにはシンプルな手すり子。梯子が一直線に見張り台まで架けられています。高さが10メートル位ありそうですから、上り下りするのは怖そうです。



消防信号板が詰所の壁に取り付けられていました。発錆がほとんどなく、状態が良いので写真を撮りました。半鐘の叩き方は消防法で規定されていて基本的には全国共通です。

この詰所と火の見櫓、中年夫婦といった風情でしょうか。おしゃれなご主人、仕事はグラフィックデザイナー。しっかり者の奥さん、仕事はなんだろう・・・、教員?看護師?役場職員?



「林昌二の仕事」

2011-12-09 | A 読書日記



 建築家の林昌二さんが先日(11月30日)亡くなられた。大卒後、日建設計工務(現日建設計)に入社、同社の副社長、最高顧問、名誉顧問を歴任された方だった。

手元にある『林昌二の仕事』新建築社には、林さんの代表作である旧掛川市庁舎、三愛ドリームセンター、パレスサイド・ビル、ポーラ五反田ビルが収録されている。それぞれの設計・施工過程が紹介されていて興味深い。

日建設計というと、最近はそうでもないが、以前は石橋を叩いて渡るような堅実な設計をする事務所だった。そのような環境、組織にあって、林さんは随分挑戦的な設計をされた方だった、ということが本書でよく分かる。

銀座の狭小な角地に立つ三愛ドリームセンター(竣工1962年)。鉄骨造のシリンダーコアに24個に等分された放射状のPC床版を取り付ける。こうして出来た塔を曲面網入りガラス(当時はまだ加工技術が確立しておらず、試行錯誤の末やっと成功した、と本書にある)で包んで光の円筒を創るというもの。この銀座にシンボルを創るというプロジェクトは、意匠にも構造にも、そして工法にも通じていないと設計が難しいが、林さんはまだ30代前半だったというから驚く。

三愛ドリームセンターの後に取り組んだ竹橋のパレスサイド・ビル(竣工1966年)は30代後半の作品。細長い変形敷地に対し、東西2ヶ所に円形コアを配置するという、このビルの特徴となっているアイデアは有効床面積確保のために敷地の未利用部分をなんとか活かそうと、さまざまなスケッチをしていて出たという。省エネとメンテナンスのための水平ルーバーと、各階で分節された雨樋(←過去ログ)によってリズミカルに構成されたファサードも優れたデザインだ。

ポーラ五反田ビル(竣工1971年、この年林さんはまだ43歳)。両サイドのコアに大スパンで床を架けて無柱空間を造るという単純明快な、そして大胆な考え方。その後オフィスビルのプロトタイプとなる先駆的な作品。1階のロビーは屋外に造られた斜めの緑庭と一体になるように構成された開放的で美しい空間だ。

何年か前(2002年9月だった)、代官山のヒルサイドテラスで行われた林雅子さんの建築展会場で林さんをお見かけした。温厚な方、という印象を受けた。


林さんのご冥福をお祈りします。