透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「愛の終着駅」

2012-02-04 | A あれこれ

寒い夜汽車で膝をたてながら 書いたあなたのこの手紙
文字の乱れは線路のきしみ 愛の迷いじゃないですか
読めばその先 気になるの

八代亜紀の「愛の終着駅」。手紙の文字が乱れているのは、夜汽車がゆれていたからじゃない、今も心がゆれているから。そうでしょ、あなた。

そう、文字には心模様が現れるんですね。そして仕事机には脳のくせが現れる、これは私の持論です。

机の上の書類や文具など、あるいはパソコンの中のファイルがきちんと整理できていなくて、ごちゃごちゃな人がいますが、それは脳がそのような状態を望んでいるからなんです、これホント。机の上もパソコンの中もきちんと整理している人は、そのような状態を脳が望んでいるから。別に頭がいいとか悪いとか、そんなことではもちろんありません。書棚、食器戸棚、たんす・・・。物や情報の整理の仕方に、その人の脳の好みというか脳のくせが現れるんです。

ここで一気に飛躍しますが、例えば中国の古い都市のシンメトリックな配置計画には中国人の、日本の山襞に点在する古い集落には日本人の自然観や美意識などが現れています。

そして、火の見櫓には地域柄(こんなことばがあるのかどうかわかりませんが)が現れています。錆止め塗装がきちんとしてあって健全な状態が保たれている火の見櫓には、住民の地域を守り地域を愛する気持ちが現れています。地域のコミュニティが健全だと判断できます。錆びたままの火の見櫓、屋根に穴があいたままの火の見櫓を見れば、地域の絆が薄いな、住民の地域への帰属意識が薄いな、と思ってしまいます。ゴミステーションにはこのことがもっと顕著に現れています。ゴミステーションや火の見櫓の状態と地域のコミュニティの様子、両者は決して無関係ではないのです。

机から脳内が見え、火の見櫓からコミュニティが見える・・・。


 「愛の終着駅」 作詞:池田充男 本稿の歌詞の文字の表記は違っているかもしれません。