■ 敗戦を終戦といい、暴力を体罰という。ことの本質を的確に表す言葉の使用を避ける。憲法違反、違憲と明確には言わず、違憲状態という。
教育現場における指導者の体罰、いや暴力が問題になっている。欧米ではスポーツ理論、スポーツ科学に基づく指導がごく当たり前に行われていると聞くが、どうも日本ではまだまだのようだ。特に中学や高校の運動部の指導ではあまり多くはないというのが現状、といったところか。
科学的なスポーツ理論、指導理論をもたない指導者は自分の経験に頼るか、さもなければ暴力に頼る指導しかできない、というのがことの実相なのであろう。一体、戦前戦中の軍隊の暴力と何が違うのだろうか。平手打ちでは精神力の強化すらできない。必要なのは論理的で説得力のあることばだ。
そもそも運動部の活動目的は何であろう。試合に勝つことが目的なのであろうか。勝利至上主義でいいのだろうか。思い出すのは松井秀喜が5打席連続敬遠された夏の甲子園だ。野球で打者を敬遠することはルール違反ではない。だがあの時、「得意のボールで真っ向勝負」していたら結果はどうであれピッチャーも監督も称賛されただろうし、その後の人生の糧にもなっただろうに。
勝つことしか頭にない、ということでは情けない。もちろん勝利は指導の成果として称えられてよい。しかし結果しか問わないのはスポーツに疎い者のすることだ。
やはり指導者は指導のプロでないと・・・。生意気なことを書いた・・・。