透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

指導のプロでないと

2013-02-09 | A あれこれ

 敗戦を終戦といい、暴力を体罰という。ことの本質を的確に表す言葉の使用を避ける。憲法違反、違憲と明確には言わず、違憲状態という。

教育現場における指導者の体罰、いや暴力が問題になっている。欧米ではスポーツ理論、スポーツ科学に基づく指導がごく当たり前に行われていると聞くが、どうも日本ではまだまだのようだ。特に中学や高校の運動部の指導ではあまり多くはないというのが現状、といったところか。

科学的なスポーツ理論、指導理論をもたない指導者は自分の経験に頼るか、さもなければ暴力に頼る指導しかできない、というのがことの実相なのであろう。一体、戦前戦中の軍隊の暴力と何が違うのだろうか。平手打ちでは精神力の強化すらできない。必要なのは論理的で説得力のあることばだ。

そもそも運動部の活動目的は何であろう。試合に勝つことが目的なのであろうか。勝利至上主義でいいのだろうか。思い出すのは松井秀喜が5打席連続敬遠された夏の甲子園だ。野球で打者を敬遠することはルール違反ではない。だがあの時、「得意のボールで真っ向勝負」していたら結果はどうであれピッチャーも監督も称賛されただろうし、その後の人生の糧にもなっただろうに。

勝つことしか頭にない、ということでは情けない。もちろん勝利は指導の成果として称えられてよい。しかし結果しか問わないのはスポーツに疎い者のすることだ。

やはり指導者は指導のプロでないと・・・。生意気なことを書いた・・・。 


 

 


「小さな建築」

2013-02-09 | A 読書日記

 

 中学の同級生7人で東京旅行をしたことは既に書いた。1月30日の早朝、特急あずさで松本を発った。新宿に着いてまず向かったのは浅草だった。いつもとは違う東京。ひとりであれば、浅草では雷門前の「浅草観光文化センター」に行ったと思う。が、今回は外観を撮っただけだった。

今日(9日)、この建築の設計者、隈 研吾の『小さな建築』 岩波新書を読んだ。3.11の震災でインフラに頼る「大きな建築」の脆さに気がついた著者は「小さな建築」に関心を強くする。小さな建築はインフラに頼らず、直接的に自然とやりとりをして、自然エネルギーに直接依存する自律的な建築だ。

本書で著者は小さな建築を構築する実験的な試みの「積む」、「もたれかかる」、「織る」、「ふくらます」について実作を紹介しながら論じている。

新書で建築本が出たら全てフォローしなくては・・・。