■ 宇治市の平等院鳳凰堂の修理が昨年(2012年)9月から行われている。今日(15日)付朝刊に「900年間耐えた平安の瓦」という見出しの記事が載っていた。
記事によると鳳凰堂の瓦5万2千枚の3パーセント、1553枚が平安時代後期につくられたものだという。これらの瓦は約900年間、風雨に耐え続けてきたことになる。記事はこのことに注目したものだ。だが、97パーセントの瓦は約100年おきに行われてきた修理で「交換」されたことになる。
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この新聞記事を読んでメタボりズムについて考えた。
生物学者の福岡伸一さんは『福岡ハカセの本棚』メディアファクトリー新書の第3章「生き物としての建築」のなかで新陳代謝、メタボりズムを取り上げ、黒川紀章の中銀カプセルタワーがメタボりズムの考え方を具現化した建築であるのにもかかわらず、結局カプセル(部屋のユニット)が交換されることなく取り壊しが決まったのは、部屋というユニットが「交換」の単位として大きすぎたせいではないかと指摘している。
隈研吾さんも『小さな建築』岩波新書の中でこのことについて触れ、**メタボりズムは臓器論、機械論時代のロジックから抜け出せず、「大きさ」に対するセンスが欠けていたという結論に、福岡と僕は達した。もっと小さい単位の部品の取換えをめざせば、メタボりズムは別の面白い展開を見たかもしれない。**(78頁)と書いている。
鳳凰堂の瓦の交換、これは福岡さんや隈さんが上記のように指摘したことそのものを行っていたことになる。そう、日本では平安の昔から、いやそれ以前から建築で理にかなったメタボりズムを実行していたのだ。
建築については過去に学ぶことが少なくない。