撮影日 140915 塩尻市洗馬下小曽部の大日堂境内に祀られている青面金剛像
■ 戦前から、いやもっと古く、江戸時代から、あるいはもっと前から在るような集落には火の見櫓は無くても石神・石仏はあるものだ。
火の見櫓は撤去されてしまうことはあっても、石神・石仏が撤去されるということはまず無い。道路工事などの事情で他の場所へ移設されるということはあるだろうが。
火の見櫓を見に出かけて、石神・石仏を見かけることがよくある。この青面金剛像の場合もそうだった。基壇は写していないが、そこに元文三戊午と彫ってあり、続けて冬安居之日 奉供養庚 申小曽部色 講中三十○ とある。色は正しく読みとれているかどうか。色では意味が分からない・・・。三十はたぶん合っていると思うが、これも意味が分からない。○とした一文字は読みとれなかった。
元文三戊午は1738年だとネットで調べて分かった。270年以上も前ということになる。その頃、この集落には庚申講があったのだろう。たぶんその頃も宗教的な意味合いはそれほどなく、庚申の日の夜には宴席が設けられ、親睦を深めていたに違いない。
今では庚申講はあまり無くなったから、この辺りで続いているのかどうか。近所の人に訊いてみればよかった。小曽部川の上流にある上小曽部地区には今でも続いている集落があると以前聞いたことがあるが。