透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

週末東京記 その2

2014-09-23 | A あれこれ

 京王線新宿駅のホームで東京の友人と待ち合わせ。芦花公園駅で下車して、世田谷文学館へ。今月28日まで開催中の「日本SF展・SFの国」を観る。




展覧会場内でここだけは撮影OKだった。

**(前略)名誉ある展覧会を(中略)開催していただけることは、第一世代の生き残りの一人としての私の、まるで今やっとSFが文学史に組み込まれたかのようにも感じられる、大きな喜びです。** 筒井康隆の文章が展覧会場入り口に掲げられていた。

SF雑誌のバックナンバー。拡大鏡を使わなければ読めそうにない星新一の細かな文字で書かれた原稿。小松左京の「日本沈没」の構想メモと映画のコンテ。手塚治虫の原画。真鍋博のイラスト。会場内で流されていたテレビアニメ「鉄腕アトム」のオープニング映像は懐かしかった。

「日本のSFって所詮は娯楽よね」とは思想性、哲学性に富む海外の長編SFを好む友人の感想談。


■ 品川まで出て昼食。その後、原美術館へ。この美術館のウィキペディア、東京ガス会長、日本航空会長、営団地下鉄総裁などを歴任した事業家・原邦造の邸宅を美術館にした。



モダンアートはよく分からない。理解しようなど考えてはいけないのだろう。でも、理解しようとするのが脳。

夜の街を青白く浮かび上がらせる自動販売機はこの国の社会と文化を物語るアイコン、という意味のリーフレットの説明文。読めばなるほど確かにと思うし、そう知って作品を観るとベネディクト・ハンマーというドイツ出身の作家の批判的な精神が見えてくる。

今村遼佑という作家の映像作品。窓際に置かれた炭酸水入りのコップと時計、窓の外の樹木を固定アングルで写した映像には、注意して見ていないと気がつかない加工がしてある。それに気がついて次の未加工の映像作品を観ても、やはり加工を探してしまうという脳の癖を知る。

床に無造作に置かれた幾つもの白い紙風船。芝の中庭に出る。そこに置かれた錆びた鋼板とその4隅の自然石。アートって何? モダンアートを観る度に湧く素朴な疑問。

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中庭で蚊に刺された。デング熱を発症させた代々木公園の何とか蚊がここにもいるという。虫よけが置いてあったけれど使わなかった。潜伏期間を過ぎたら発症するかもね。


夕方6時新宿発のあずさで帰松。今回も充実の週末東京だった。


週末東京記 その1

2014-09-23 | A あれこれ

■ 20日の朝、松本6時51分発の特急あずさで新宿へ向かう。いつもは進行方向右側の席に座るが、今回は左側に座った。左側の窓からも火の見櫓を見ることはもちろんできる。中央線沿線には火の見櫓が何基も立っている。

甲府盆地の塩山から石和にかけては、果樹園が広がり、住宅が点在しているが、その中に今回初めて見る火の見櫓が数基あった。

学生時代、この辺りで櫓造りの民家を見て歩いたことがある(写真①)。今では取り壊されてしまって、もう残っていないのだろう・・・。それでも今回、車窓から2件見ることができた。

 
棟の一部を突き上げた櫓造りの民家(ブログに何回も載せた写真) 塩山市にて撮影1979年10月


■ あずさは定刻、9時27分に新宿に着いた。中央線に乗り換えて東京に向かう。東京駅前の丸善本店内のカフェで友人と待ち合わせ。地下鉄で表参道へ。向かった先は南青山の根津美術館。


根津美術館新創開館5周年を記念する特別展

「名画を切り、名器を継ぐ」とある通り、人から人へと受け継がれていく過程で、切断されて新たに表装された絵巻や破損して補修された茶器など、改変された作品約100点が展示されている。

屏風を襖にしてまた屏風に戻したという日月松鶴図屏風(三井記念美術館所蔵)や茶碗の欠損部分を全く色も違う別の茶碗の破片で補修した瀬戸筒茶碗や赤楽茶碗。

割れた志野茶碗に、別の志野茶碗の陶片を組み入れ、金継ぎされた茶碗。巻物を切って掛物にした絵本墨画、瀟湘八景図 漁村夕景(国宝)等々。

改変で新たな作品へ生まれ変わらせる感性と創造力に魅せられる。

源氏絵、伊勢絵の繊細な筆使い。流麗な筆文字。鳥獣戯画の断簡、その大胆にして的確な筆使い。これらこそ日本人の感性、技。


 



根津美術館から徒歩で10分とかからないサニーヒルズ(微熱山丘)へ。コンクリート東京で木造はインパクトがある。設計は根津美術館も手掛けた隈研吾。パイナップルケーキを扱っている台湾の会社が昨年末オープンさせた店。木造3階建て。なるほど外観がパイナップルに見える。店の2階で大きなテーブルに着くとサービスでお茶とケーキが供された。ここで友人と暫し歓談。時は既に2時半過ぎ。

表参道まで歩いて戻り、遅い昼食。その後は省略。