透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

大豊神社 京都ひとり旅(3)

2015-12-26 | A あれこれ

■ 大豊神社は熊野若王子神社のすぐ近くにある。

熊野若王子神社を出て、哲学の道を北に向かうと写真の場所に至る。ここから東に延びている石畳の参道が哲学の道とここで交叉していて、もっと西から始まっているとは露知らず、鳥居と狛犬を見落としてしまった・・・。これは前稿に書いた徒然草第五十二段「仁和寺にある法師」と同様の失敗。 程度の差など関係ない。











手水舎には元々ご神体だった椿ヶ峯の水を引いている。



これが二つ目の鳥居。





例によってネットで得たにわか知識で書く。ここ、大豊神社は889年に宇多天皇の病気平癒を祈願して創建された。鹿ヶ谷から南禅寺に至る一帯の産土神。





姿形の整った狛犬だ。









拝殿の両側にカギ付きのケージに納められた狛犬がいた。残念ながら顔の表情などはよく分からない。







狛猿と狛鳶









因幡の白兎の神話にでてくる大国主命を祀る大国社。

大国主命は丸裸にされた兎を助けたが、自身はねずみに助けられている。このことが古事記に出てくる。

大国主命が後に正妻となる須勢理毘売(スセリ姫)と恋に落ちた時、姫の父親の建速須佐之男命(スサノウの命)は大国主命に無理難題を課す。

野に射った鏑矢(かぶらや)を取ってくうように命じ、その野原の草に火をつけてしまったのだ。その大ピンチから大国主命を助けてくれたのがねずみだった、というわけ。ねずみは火が迫る野原にある大きな穴に入って火をやりすごすことを教え、矢も探してきてくれたのだった。

大国主命は肉食系の神様で、出かける先々で美女に惚れて、なんと181人、いや神様だから181柱も子どもがいたという。大国主命のアタックに美女たちは「ごめんなさい」をすることができなかったのだろうか。縁結びのご利益があるというのも頷けないこともないが・・・。

 

右側のねずみが持っているのは学問を象徴する巻物。大豊神社のご祭神、菅原道真に因んでいるのだろう。左のねずみは子宝だとすれば、上述したような大国主命を祀っているのだから分かる。お神酒が入った酒器で医薬祖神の少彦名命に因んでいるという解釈もあるようだ。


狛犬動物園を紹介してくれたのぶさんに感謝。


徒然草「仁和寺にある法師」の教訓

2015-12-26 | A あれこれ

 前稿に「熊野若王子神社」を取り上げた。この神社には拝殿の左隣に恵比寿殿があり、名前が示す通り恵比寿様を祀っている。その恵比寿様の両脇に狛犬が鎮座していることを知らなかったので見て来なかった・・・。 次稿で書く予定の大豊神社でも同じミスをしてしまった。 

吉田兼好の徒然草にも同じような失敗を書いた段があったことを思い出した。ただ、詳しい内容も、それが第何段だったかも覚えていない・・・。


微かに残っている記憶をたどる。どこかの神社にお参りに出かけた人(坊さん?)が、山の上にある本殿をお参りしないで、麓の末社というのかな、そこをお参りしただけで満足して帰ってきてしまった、というような内容ではなかったか。この段は高校の古文で習ったと思う。

このようなおぼろげな記憶では探すのは大変だったけれど、見つけることができた。 これは第五十二段の「仁和寺にある法師」だった。

検索して見つけたサイトの記事を参考にして以下にその内容を記す。

ある僧侶が(やはりそうだった)念願を果たそうと人々に篤く信仰されていた石清水八幡宮にお参りに出かけた。その石清水八幡宮の本殿は山上にあったのだが、僧侶はそのことを知らなかったので、末社、末寺を本殿と勘違いして拝み、それで満足して帰ってしまった・・・、というアチャー!な話。

参拝者が登っていく山には目もくれず、願いを果たして帰って来たつもりが、実はその山に本殿があったというわけ。そして、最後に吉田兼好は「些細なことであっても、そのことに詳しくて案内してくれるような人がいてほしいものだなあ」とつぶやいている。

今なら、詳しい人に案内を乞わなくてもネット上にいくらでも情報があるのに・・・。やはり事前調べをきちんとしてから出かけた方が今回のような目的のためには良い、と反省。


 


熊野若王子神社 京都ひとり旅(2)

2015-12-26 | A あれこれ



■ 赤山禅院を後にして次に訪れたのは熊野若王子(にゃくおうじ)神社。

にわか勉強で得た知識。後白河法皇が1160年(永暦元年)に熊野権現を勧請したのが始まり。京都三熊野のひとつ。あとは熊野神社と新熊野神社。

安全祈願や進学、縁結びの神様として知られている。八咫烏(やたがらす)が梛の葉をくわえている「マーク」はこの神社のシンボル。サッカー日本代表のエンブレムにもなっている。



境内は広くない。拝殿の前に狛犬が鎮座している。









台座に昭和十二年六月寄進とあり、その横に寄進者の名前が彫ってあった。



拝殿内に狛犬がいる!   この時のドキドキ、ワクワク感って子どもの頃、林の中でカブトムシを見つけた時と同じ。





神社や寺院の神像を守護する霊獣。それを獅子と狛犬に具現化したわけだが、人は抽象的な概念を目に見えるものとして表現しないと心休まらないというか、落ち着かないのであろう・・・。


 


赤山禅院 京都ひとり旅(1)

2015-12-26 | A あれこれ

 22、23日の京都ひとり旅。京都駅に午前10時過ぎに着いて、最初に訪ねたのは赤山禅院。地下鉄烏丸線を松ヶ崎駅で降りてタクシーで向かった。

ここは神仏習合の寺院で参道に鳥居もあれば山門もある。また、複数の神仏が混在しているので、この寺院について理解するのは難しい。このことを例えれば、数学の基礎的な問題も解けない状態で、いきなり応用問題に取り組んでしまったようなもの。











拝殿前の石階段を上がると、そこになんとも個性的な構えの狛犬がいた。 蹲踞の姿勢が多い狛犬だが、これは・・・、どのように説明したらいいのだろう。頭を前脚に付けるように下げて、後脚を延ばしている。不審なものに飛びかかる直前の体勢をデフォルメしたかのよう。そう思って見る顔はなんだか怖い。









拝殿の手前に手水舎という神社的設え。左後方に珠数のゲート、還念珠が写っている。境内を順路通り一巡すると最後にこの還念珠をくぐることになる。



旅行から帰って、にわか勉強をして分かったことを書く。前々から知っていたかのように。

赤山禅院は比叡山の麓にあり、延暦寺の塔頭のひとつ。円仁の遺命により弟子の安慧によって888年(仁和4年)に創建された。安平安京、御所の東北に位置し、この方角は表鬼門にあたることからこの寺院は鬼門から入り込む魔物から平安京を護るという重要な役割を担っている。

拝殿の屋根に据えた鬼門を守る猿(上)は右手に御幣、左手にかぐら鈴を持っている。この猿は赤山禅院で最も有名な存在。

本尊の赤山大明神は地蔵菩薩の化身ともいわれ、境内には地蔵堂もある。



拝殿に向かって左側のやや後方にある地蔵堂(上)



拝殿の後方に位置するこの本堂(本殿)の前にも珠数のゲートがあり、手前に正念珠と刻んだ石柱が立っている。赤山禅院では毎年11月23日に珠数供養が行われている。

この本堂に狛犬が居る。いままで見てきた狛犬のほとんどは参道狛犬だったから、本堂前に鎮座する狛犬を間近で見たいと思っていた。



狛犬がいた!  「皇城表鬼門」と大きく書いた木札が柱に掛けられている。



向かって右側の口を開けているほうが獅子で、左側の角があって口を閉じているほうが狛犬。獅子はたてがみが巻き毛で、狛犬は直毛。







弁財天堂



七福神・・・。



金神宮+狛犬



夫婦和合之神 歓喜天



縁結之神 相生社

こうして巡ってくるといろんな神仏が混在していることが分かる。



不動堂 

以上で境内をざっくり一巡したことになる。



こんなものもあった。

日本人の宗教的な寛容さを示す寺院、いや邪悪なものを排除したいという古の人びとの必至の願いが造らせた寺院と捉えるべきだろう・・・。