透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

本にさよなら その4

2020-05-06 | A 読書日記



 今日(6日)は昼過ぎに所用で2時間ほど外出したが、それ以外は自室で減冊作業をしていた。

結果、単行本20冊、文庫30冊、新書200冊(*1)とさよならすることになった。これで減冊した本は文庫1,130冊、新書300冊、単行本150冊で合計1,580冊となった。

さすがにこれだけ減冊すると書棚はかなりスッキリする。前後2列に並べた棚も減り、空きスペースも出来た。カオスな状態になるのは置き場所がきちんと確保できていないからだが、ようやくこの状態が解消されて新たな購入本も所定の棚に納めることができるようになった。

次回は主に単行本の減冊作業をする予定。


*1 新書の冊数調整のために写真撮影後に10冊追加した。


来し方 行く末

2020-05-06 | A 読書日記



「過去は未来のためにのみある」この言葉は高卒30周年記念の文集に当時の担任が寄せた文章のタイトル。 ここで内容には触れない。

今日(6日)付けの信濃毎日新聞朝刊の文化欄に長野県立歴史館館長の笹本氏の「未来のために足元を知る」と題した文章が掲載されている。この中で笹本氏は歴史を学ぶ理由について**私はどこから来てどこに行こうとするのか、私とは一体何なのかとの問いかけがある。**と書いておられる。

私が今進めている蔵書の減冊は来し方をより鮮明にあぶりだす行為なのかもしれない。これは例えば歴史の教科書で重要なポイントだと思う箇所に下線を引いたり、マーカーで色を付けたりすることに喩えることができるだろう。

減冊の意義がはっきりしてくると、作業は捗る。

島崎藤村の『夜明け前』、右の4巻(1993年)を1994年に読み、20年後の2014、5年に左の4巻(2013)を読んだ過去ログ)。この長編小説はもう一度読むことになるかもしれない。で、どちらを残しておくか。カバーデザインは右が好みだが、活字が細かく読みずらい(*1)。再読のために残すのだから、左。

漱石の『三四郎』も2冊あるが、おそらく再読はしないだろう。で、残すのは古い方。


*1 総ページ数は右が1,332ページ、左が1,745ページで3割ほど多い。それだけ左の版は活字が大きいということだ。