透明タペストリー

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邪馬台国畿内説

2018-05-16 | D 新聞を読んで



 昨日(15日)の信濃毎日新聞朝刊に「卑弥呼時代のモモ 纏向に」と「「邪馬台国畿内説」後押し」という縦横ふたつの見出しの記事が載っていた。新聞記事で「邪馬台国」や「卑弥呼」を目にするのは珍しい。

奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡を2010年に発掘調査した際に出土したモモの種を放射性炭素年代測定したところ、西暦135~230年と判明したという。

ちょうど卑弥呼(248年ころ没)の年代と重なるために邪馬台国畿内説を補強する成果となりそうだ、と記事にある。纏向遺跡には卑弥呼の墓だという説がある箸墓(はしはか)古墳があり、また大型建物もあって邪馬台国の有力候補地という説明も載っている。

なぜ纏向遺跡から出土したモモの種の年代と卑弥呼の年代が重なるということが邪馬台国畿内説を補強することになるのだろう・・・。記事には**モモは古代では不老長寿や魔除けの果物と考えられており、祭祀に用いられた可能性がある。**という記述がある。よほどの有力者が執り行う祭祀でしかモモが用いられることがなかった、ということなのだろうか・・・。

モモで思い出すのは古事記。過去ログ

また邪馬台国で思い出すのは昔読んだ松本清張の『陸行水行』という小説(確か短編)。松本清張は邪馬台国九州説を支持していた。

邪馬台国については九州説と畿内説他いろんな説があるようだが、場所を特定するような決定的な証拠って、見つかるのかな・・・。見つからない方が今までのようにあれこれ推理できて古代史好きにとってはいいのかもしれないな。


 


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