透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

妻垂れ 

2006-09-17 | A あれこれ


○ 茅野の妻垂れ(0608)



○ 韓国の妻垂れ (0106)

妻垂れは切妻屋根の民家の妻壁を雨から保護するもので、昔は板張りだったが、最近では金属サイディングや樹脂製の小波板でも作られている。

藤森さんの建築について書いた際、茅野市内で見つけた妻垂れの写真を載せた(上の写真)。下の写真はソウル近郊の韓国民俗村で見かけた妻垂れ。「韓国にも妻垂れがある!」と、写真を撮った。もしかしたら日本国内で散見される妻垂れのルーツは韓国かもしれない。中国にも妻垂れがあるかもしれないな。

そういえば日本の茶室もルーツは韓国だと聞いたことがあるし、壁や天井に韓国紙を貼った小さな部屋や、にじり口を思わせる小さな出入口など、韓国の民家を紹介するテレビ番組をみたこともある。建築技術の多くは中国や韓国から伝わってきたものだ。

ところで先日書店で『藤森流自然素材の使い方』彰国社 という本を手にとってパラパラと頁をめくっていた。この本は藤森さんの作品をいくつかとりあげて、自然素材をどんな考えでどの様に使っているか、ということについて書かれたものだが、例の「神長官守矢史料館」の板張りの外壁に関する記述があって私の予想通り(!)、妻垂れを意識した意匠であることが分かった。そう、藤森さんはやはり妻垂れを史料館の外壁にまとわせたかったのだ。

本に掲載されている妻垂れの写真は、私が撮った民家の妻垂れ(上の写真)と同じもののような気がした。史料館のすぐ近くの民家だから、大いにあり得る。


「小腕」をデザインする

2006-09-16 | B 繰り返しの美学

 

○ 路上観察 古川   

飛騨古川で見かけたモダンな住宅。写真の右後方にこの町の特徴である垂木の小口を白く塗った住宅が写っている。

この住宅には今風にアレンジした「小腕」がついている。「持送り」ともとれるが、やはりここは現代版小腕と理解するのが妥当だろう。小口が白く塗られていればよかったのに、と思う。

高山で手にした冊子に地産地というエッセイが載っていた。「地産地消」はその土地で採れたものをその土地で消費するという意味だが、住まいにもこの考え方があてはまる。ただし家は消耗品ではないから「地産地生」なのだと著者は書いている。なるほど!と思った。

この言葉は、その土地で生まれた建築デザインをその土地で生かすこと、というような意味としても使うことが出来そうだ。 
そう、この例はまさに「地産地生」なデザインではないか。


陰翳の美

2006-09-15 | A 読書日記



谷崎潤一郎のこの「陰翳の美しさ」を綴った古い随筆は今日でも建築関係者の必読の書といわれているから、『細雪』は未読でもこの随筆をひもといていない人は少ないのではあるまいか。

**われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。**
**私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と影との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。**
**日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、めてほんとうに発揮されると云うことであった。**

このような記述が続く。

この随筆は優れた建築論である。建築関係者の必読書といわれる所以だ。

先日、吉島家と日下部家を訪ねたのだが、どうも空間が明るすぎたようだ。高窓から射す糸のような幾筋かの光によって、ほの暗い吹き抜けに小屋組が立体的に浮かび上がる・・・という演出からは遠かった。両方の町屋の高窓は南面している。訪れたのが昼時だったから、一番明るい時間帯だったのだろう。


○ 吉島家住宅の高窓

小屋組みを見上げながら私は「陰翳礼讃」を思い出していた。陰翳こそ日本の空間の魅力なのだと指摘した谷崎の美学を。

今日、住宅では天井の照明(それも蛍光灯)で部屋を均一に明るくすることが普通に行なわれているが、ときには「暗さの美」に浸る時間(とき)を過ごしてもいいのではないだろうか・・・。

ところで谷崎は晩年湯河原に終の棲家を新築する時、『陰翳礼讃』を読んだ建築家が「先生のお好みがよく分かりました、必ず御期待に添うようなお邸を造ります、安心なさって下さい」というので「えらく不安になっちまった、今からじゃあ断っても間に合わないかね」と真顔で心配したという(『夜は暗くてはいけないか』)。

観念としての美意識と実生活の好みとは違っていて、モダンな生活をしていた谷崎は、実は明るい家を望んでいたのだ。


入口どうじの建具

2006-09-14 | A あれこれ


 ○ 路上観察 高山 (060909)

左は吉島家住宅の入口どうじ、黒いのれんの向こうは例の吹き抜けの美しい空間。分かりにくいが向って左側の壁面手前に潜り戸の組み込まれた大戸(幅約7尺)が写っている。たぶん防犯のために夜間はこの大戸を閉じているのだろう。同様の大戸は日下部家住宅にも組み込まれている。

さて右側の写真、奥に白いのれんが写っている。この町屋の大戸はなんと開放時天井に納められている。両側の壁面が建具で大戸が納まらないためだろう。偶然見つけた。天井に収めるところと固定方法を見てみたい。

吉島家や日下部家のように大戸は内開きにするのが一般的だと思うが、この様な、はね上げ式の大戸って数多くあるんだろうか。
はねあげ式の建具を総称して蔀(しとみ)戸というのかどうかは分からない(たぶんそうではないだろう)が、はるか昔からある開閉方式だ。

高山、まだまだが見つかりそうだ。


本の話を本の少し

2006-09-13 | A 読書日記

運命を分けた設計変更
設計図の描き換え
機械の設計図との違い
勘違い、ミス、失敗、偶然・・・・
またもや設計変更と勘違い
空前の設計変更
S字に込められた意匠

こんな小見出しを列挙すると、建築の本だと思われるでしょうね。人体の進化の歴史を辿った本なんです。

本の帯には**地球史上最大の改造作は、どう生まれ、運命やいかに。「ぼろぼろの設計図」を読む。** とあります。本のタイトルは『人体 失敗の進化史』遠藤秀紀/光文社新書です。

本の話題からしばらく遠ざかっていました。先日読了したこの本の内容を30字以内で要約すると「骨など動物のパーツの形から読み解いた進化の歴史」といったところでしょうか。動物の遺体解剖を繰り返し、進化の歴史を探っている著者はこの本で、人体の進化は行き当たりばったりで、たまたま結果オーライのこともあるけれど、全く失敗なこともあると指摘しています。例えば、第四章 行き詰まった失敗作 には次のような記述がでてきます。

**本足で歩くための殿筋群、内臓重量や腹圧を受け止める下腹部。狭いながらもバランスをとる足底。精巧な母指対向性。巨大な中枢神経。高度な思考を分担する大脳。少ない赤ん坊を確実に残す繁殖戦略。これらの設計変更はヒトをヒトたらしめる見事な意匠だ。一方で、現代の私たちは、設計変更の負の側面に日々悩まされている。九〇度回転し、垂直になった腹腔がもたらすヘルニア。二本足歩行から起因する腰痛や股関節異常。垂直な血流が引き起こす貧血に冷え性。歩行から解放された前肢が巻き起こす肩こり。**

**ホモ・サピエンスの短い歴史に残されたのは、何度も何度も消しゴムと修正液で描き換えられた、ぼろぼろになった設計図の山だ。** これが著者の見解というか認識。

面白い本でした。で、次は『夜のピクニック』恩田陸/新潮文庫を読む予定。


 


飛騨の匠文化館

2006-09-13 | A あれこれ








飛騨の匠文化館 (060909)

 瀬戸川に沿って続く白壁の蔵、その意匠に同調させたデザイン。設計は木造住宅の第一人者で岐阜県出身の吉田桂二さん。地元の大工さん達が「技」を結集して建てたという。

館内にはいろんな種類の大工道具や木の継手や仕口などの見本が展示されている。7世紀ころには既に飛騨の匠が中央の寺院の建立に技を揮っていたという。文化館の建築そのものやこれらの展示品を見ていると飛騨の匠の技を継承している古川の大工さん達の誇りを感ずる。


 


市民の自由なアクセスが可能か

2006-09-12 | A あれこれ

 


○ 応募作品の展示の様子(060910)

長野県の塩尻市で一般公募型のプロポーザルが実施されている。既に募集は締め切られていて、全応募作品191点が一般公開された(09/12まで)。

中心市街地の活性化を意図した「市民交流センター」の計画。審査員の代表は山本理顕さん。この頃の建築は「自閉」しているものが多いように思う。外部との関係を断ち切った、自己完結型の建築だ。あの表参道ヒルズもこの例にもれない。応募案にもそのような提案が見られたが、今回は外に向ってどれだけ開くことができるかがポイント、私はそう思う。「市民の自由なアクセスが可能なプログラム」の提案かどうか、そういう視点で全作品を見た。

なるほどと思わせる提案も何点かあった。1次審査が明日(9/13)に実施される。ここで5、6点くらいまでに絞り込まれるのではないか。山本さんの建築について私は多くを知らない。どんな作品が残るのか大変興味深い。
1次審査を通過した作品を見れば山本さんの建築観を知ることができるだろう。

2次審査は一般公開されるという。是非見学したいと思う。

○ 2次審査:10月7日(土


あの日から5年

2006-09-11 | A あれこれ





 世界貿易センタービルはニューヨーク、マンハッタンのランドマーク的なツインタワーだった。そのタワーに旅客機が激突した。あの時のTV映像の衝撃。あたかも地中に沈んでいくかのように超高層ビルが崩壊した。

「世界が転換する瞬間」を、あれほど鮮明に捉えた映像がかつてあっただろうか。いや、そのような瞬間などそれまでなかったのかもしれない。

この本にも、偶然居合わせた報道カメラマン達のあの瞬間の写真が何枚も収められている。「平和」は幻想で、辞書の中にのみ存在するのではないかと思わせるような現実、あまりに悲しい。


 


「雲」の町 飛騨古川

2006-09-10 | A あれこれ



路上観察     

美しい街並みで知られる飛騨古川、友人の薦めもあって再訪した。前回は福祉施設の視察が目的だったが、今回は路上観察。

出桁(垂木を受けている部材)を支えている腕木(木口が白い部材)の下の小腕(大工さんが持ち上げている化粧材)には地元で「雲」と呼ばれる装飾が施されている。

比較的新しい建物にも「雲」が受け継がれている。ちょっと路上観察すると色んな「雲」があることに気がつく。昭和29年頃に始まって古川の大工さん達の間に広まったそうだ。自分の手がけた建物に同じデザインの「雲」をつけているそうだ。「雲」は古川大工のプライドを示すシンボルマーク。

飛騨の匠文化館の下屋の小腕には工事を担当した地元の大工さん達のシンボルマークがつけられている。これは繰り返しの美学の応用編、かな。

があって路上観察は楽しい。


同好で同行してくれた建築少年Yさん、お疲れ様、ありがとう。
見学会+酔族会=みんなで楽しく! って企画もいいね。
どこかいいとこ探してまた出かけましょう。






飛騨(高山+古川)= 週末

2006-09-10 | A あれこれ
 ① ②
 
 ④ ⑤
 ⑥ ⑦

○ 飛騨高山、飛騨古川 ダイジェスト

① 友人に教えてもらったイベント(まだ繰り返しの美学)。
② 家具は空間を規定する、安易に選んではいけない。
③ 懐かしい(味+どんぶりのデザイン)= 美味い!
④ 日下部家
⑤ 吉島家再訪、「地球を半周しても見にきた価値があった」と米国の建築家
⑥ 飛騨古川 蔵の連なり
⑦ 瀬戸川の鯉


可視化された秩序

2006-09-09 | B 繰り返しの美学


東北学院 中学・高校体育館の妻面の大開口部のサッシの方立

■ 挫屈止めを設けて細くし、更に上下とも端部を絞ってすっきりと納めている。サッシは同一寸法の部材の繰り返し、そこに美を追求するという設計者の姿勢が窺える。

一週間続けて繰り返しの美学をとりあげてきた。そもそも繰り返しの美学とは何だろう・・・。

建築を構成する要素(具体的には建築材料や部品)の建築における位置や寸法、形状、材質あるいは性能を一義的に決める行為として設計を理解することが可能だ。そう、建築はものを秩序づけることによって成立する。

例えば、床にタイルを貼るというのは一枚一枚のタイルの位置を確定する行為と捉えることができる。この、ものを秩序づける行為の結果を視覚的に最も理解しやすく示す状態として、「建築構成要素の繰り返し」があるように思う。

言い換えれば、建築構成要素の規則的な繰り返しに、ものを秩序づける行為の所産としての建築が最もビジュアルに示されているというわけだ。材料の質、例えば強度の均一化も、その行為ではあるが、結果は視覚的には把握できない。

ではなぜ秩序づけられたものに美を感じるのか・・・。認知心理学? このことを解き明かす学問も存在するのかも知れないが、私はこのことを数学で扱う「公理」のようなものと理解するに留める。

秩序づけられたものは美しい、繰り返しの美学はそのことを視覚的に示す代表例


 


美しい架構 

2006-09-09 | A あれこれ

 
栗野中学校(栃木県)の体育館

■ 今回の繰り返しの美学の対象は体育館の架構。

大断面集成材のW梁とスチールのテンション材の組み合わせ、いわゆるハイブリッド構造。
基本的には集成材の梁のたわみをテンション材で抑えるという構造。

見た目にすっきりしていて美しい。写っているステージの位置から判断するとアリーナの長手方向に架構している。ロングスパンな架構には構造的な工夫が必要になるが、ここではハイブリッドな構造で見事に解いている。シンプルな架構に設計者の力量が見て取れる。構造的に美しい建築にはウソがない(無理や無駄がなく合理的)。

体育館は設計者の能力(そう、知性と感性)によって感動的に美しい建築にもなり得るし、何の創意も工夫もない凡庸な建築にもなり得る。実にコワイ対象だ。


小谷小学校(長野県)の体育館(再掲)


 


明安小学校の豊かな空間

2006-09-08 | A あれこれ



明安小学校(山形県最上郡金山町)のワークスペース

 この小学校は児童数が80人にも満たない小規模校だそうです。写真の左側の壁に5という数字が見えます。5年生の教室です。普通教室(3年生から6年生の教室)、昇降口、保健室などを直線的に配置し、その隣にこのワークスペースを計画しています。独創的な架構の繰り返し、すばらしい空間構成です。

アーチ状の梁は地元産の杉の集成材とのことです。この写真では分かりにくいのですが、アーチ梁の端部を方杖で受ける構造になっています。アーチ梁相互を鋼材で結んでこの写真の奥行き方向の動きを拘束するなど、かなり工夫された架構です。ペンダント(吊り下げ照明)やブラケット(壁付き照明)なども繰り返しの美学を補強しています。

手元の資料によると金山町は美しい街並みづくりで有名なところだそうです。この町のそういう土壌がこのような美しい空間を生んだのでしょう。こんな空間を日常的に体験している子供たちはきっと感性が豊かに育つでしょう。設計者は小沢明さん。木造の得意な方と記憶しています。

ただ単に機能的なダイヤグラムに沿ってプランニングして、はい出来上がりっていう学校が多いのですが、そこから豊かな空間を創るために心血を注ぐ・・・、大事なポイントだと思います。このような作品に接すると尚更そう思います。


 


繰り返しの美学を比較する

2006-09-08 | B 繰り返しの美学

 
京都駅 原広司(021222)

 原さんが「繰り返す」とこうなるんですね。昨日書いたように原さんは同じデザインの繰り返しを好まないようです。「形を同じにするなら色を変えよ」というわけですね(昨日のブログへの追加写真)。

2002年の冬、高校の同期生の親睦会に参加するために京都に出かけました。その際、京都駅の屋上で撮った写真です。



豊田市美術館 谷口吉生(031013)

谷口さんが設計したNYの近代美術館の増改築工事、完成後その美しさがニューヨーカーを魅了して話題になりました。この美術館も、とにかく美しいです。谷口さんは最も美しく建築を設計する建築家のひとりでしょう。特に具体的な機能を負うてはいない壁の繰り返しと水庭は、ただ美しい建築のためにのみあるのでしょう。