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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

入口どうじの建具

2006-09-14 | A あれこれ考える


 ○ 路上観察 高山 (060909)

左は吉島家住宅の入口どうじ、黒いのれんの向こうは例の吹き抜けの美しい空間。分かりにくいが向って左側の壁面手前に潜り戸の組み込まれた大戸(幅約7尺)が写っている。たぶん防犯のために夜間はこの大戸を閉じているのだろう。同様の大戸は日下部家住宅にも組み込まれている。

さて右側の写真、奥に白いのれんが写っている。この町屋の大戸はなんと開放時天井に納められている。両側の壁面が建具で大戸が納まらないためだろう。偶然見つけた。天井に収めるところと固定方法を見てみたい。

吉島家や日下部家のように大戸は内開きにするのが一般的だと思うが、この様な、はね上げ式の大戸って数多くあるんだろうか。
はねあげ式の建具を総称して蔀(しとみ)戸というのかどうかは分からない(たぶんそうではないだろう)が、はるか昔からある開閉方式だ。

高山、まだまだが見つかりそうだ。


本の話を本の少し

2006-09-13 | A 本が好き 

運命を分けた設計変更
設計図の描き換え
機械の設計図との違い
勘違い、ミス、失敗、偶然・・・・
またもや設計変更と勘違い
空前の設計変更
S字に込められた意匠

こんな小見出しを列挙すると、建築の本だと思われるでしょうね。人体の進化の歴史を辿った本なんです。

本の帯には**地球史上最大の改造作は、どう生まれ、運命やいかに。「ぼろぼろの設計図」を読む。** とあります。本のタイトルは『人体 失敗の進化史』遠藤秀紀/光文社新書です。

本の話題からしばらく遠ざかっていました。先日読了したこの本の内容を30字以内で要約すると「骨など動物のパーツの形から読み解いた進化の歴史」といったところでしょうか。動物の遺体解剖を繰り返し、進化の歴史を探っている著者はこの本で、人体の進化は行き当たりばったりで、たまたま結果オーライのこともあるけれど、全く失敗なこともあると指摘しています。例えば、第四章 行き詰まった失敗作 には次のような記述がでてきます。

**本足で歩くための殿筋群、内臓重量や腹圧を受け止める下腹部。狭いながらもバランスをとる足底。精巧な母指対向性。巨大な中枢神経。高度な思考を分担する大脳。少ない赤ん坊を確実に残す繁殖戦略。これらの設計変更はヒトをヒトたらしめる見事な意匠だ。一方で、現代の私たちは、設計変更の負の側面に日々悩まされている。九〇度回転し、垂直になった腹腔がもたらすヘルニア。二本足歩行から起因する腰痛や股関節異常。垂直な血流が引き起こす貧血に冷え性。歩行から解放された前肢が巻き起こす肩こり。**

**ホモ・サピエンスの短い歴史に残されたのは、何度も何度も消しゴムと修正液で描き換えられた、ぼろぼろになった設計図の山だ。** これが著者の見解というか認識。

面白い本でした。で、次は『夜のピクニック』恩田陸/新潮文庫を読む予定。


 


飛騨の匠文化館

2006-09-13 | A あれこれ考える








飛騨の匠文化館 (060909)

 瀬戸川に沿って続く白壁の蔵、その意匠に同調させたデザイン。設計は木造住宅の第一人者で岐阜県出身の吉田桂二さん。地元の大工さん達が「技」を結集して建てたという。

館内にはいろんな種類の大工道具や木の継手や仕口などの見本が展示されている。7世紀ころには既に飛騨の匠が中央の寺院の建立に技を揮っていたという。文化館の建築そのものやこれらの展示品を見ていると飛騨の匠の技を継承している古川の大工さん達の誇りを感ずる。


 


市民の自由なアクセスが可能か

2006-09-12 | A あれこれ考える

 


○ 応募作品の展示の様子(060910)

長野県の塩尻市で一般公募型のプロポーザルが実施されている。既に募集は締め切られていて、全応募作品191点が一般公開された(09/12まで)。

中心市街地の活性化を意図した「市民交流センター」の計画。審査員の代表は山本理顕さん。この頃の建築は「自閉」しているものが多いように思う。外部との関係を断ち切った、自己完結型の建築だ。あの表参道ヒルズもこの例にもれない。応募案にもそのような提案が見られたが、今回は外に向ってどれだけ開くことができるかがポイント、私はそう思う。「市民の自由なアクセスが可能なプログラム」の提案かどうか、そういう視点で全作品を見た。

なるほどと思わせる提案も何点かあった。1次審査が明日(9/13)に実施される。ここで5、6点くらいまでに絞り込まれるのではないか。山本さんの建築について私は多くを知らない。どんな作品が残るのか大変興味深い。
1次審査を通過した作品を見れば山本さんの建築観を知ることができるだろう。

2次審査は一般公開されるという。是非見学したいと思う。

○ 2次審査:10月7日(土


「雲」の町 飛騨古川

2006-09-10 | A あれこれ考える



路上観察     

美しい街並みで知られる飛騨古川、友人の薦めもあって再訪した。前回は福祉施設の視察が目的だったが、今回は路上観察。

出桁(垂木を受けている部材)を支えている腕木(木口が白い部材)の下の小腕(大工さんが持ち上げている化粧材)には地元で「雲」と呼ばれる装飾が施されている。

比較的新しい建物にも「雲」が受け継がれている。ちょっと路上観察すると色んな「雲」があることに気がつく。昭和29年頃に始まって古川の大工さん達の間に広まったそうだ。自分の手がけた建物に同じデザインの「雲」をつけているそうだ。「雲」は古川大工のプライドを示すシンボルマーク。

飛騨の匠文化館の下屋の小腕には工事を担当した地元の大工さん達のシンボルマークがつけられている。これは繰り返しの美学の応用編、かな。

があって路上観察は楽しい。


同好で同行してくれた建築少年Yさん、お疲れ様、ありがとう。
見学会+酔族会=みんなで楽しく! って企画もいいね。
どこかいいとこ探してまた出かけましょう。






飛騨(高山+古川)= 週末

2006-09-10 | A あれこれ考える
 ① ②
 
 ④ ⑤
 ⑥ ⑦

○ 飛騨高山、飛騨古川 ダイジェスト

① 友人に教えてもらったイベント(まだ繰り返しの美学)。
② 家具は空間を規定する、安易に選んではいけない。
③ 懐かしい(味+どんぶりのデザイン)= 美味い!
④ 日下部家
⑤ 吉島家再訪、「地球を半周しても見にきた価値があった」と米国の建築家
⑥ 飛騨古川 蔵の連なり
⑦ 瀬戸川の鯉


可視化された秩序

2006-09-09 | B 繰り返しの美学


東北学院 中学・高校体育館の妻面の大開口部のサッシの方立

■ 挫屈止めを設けて細くし、更に上下とも端部を絞ってすっきりと納めている。サッシは同一寸法の部材の繰り返し、そこに美を追求するという設計者の姿勢が窺える。

一週間続けて繰り返しの美学をとりあげてきた。そもそも繰り返しの美学とは何だろう・・・。

建築を構成する要素(具体的には建築材料や部品)の建築における位置や寸法、形状、材質あるいは性能を一義的に決める行為として設計を理解することが可能だ。そう、建築はものを秩序づけることによって成立する。

例えば、床にタイルを貼るというのは一枚一枚のタイルの位置を確定する行為と捉えることができる。この、ものを秩序づける行為の結果を視覚的に最も理解しやすく示す状態として、「建築構成要素の繰り返し」があるように思う。

言い換えれば、建築構成要素の規則的な繰り返しに、ものを秩序づける行為の所産としての建築が最もビジュアルに示されているというわけだ。材料の質、例えば強度の均一化も、その行為ではあるが、結果は視覚的には把握できない。

ではなぜ秩序づけられたものに美を感じるのか・・・。認知心理学? このことを解き明かす学問も存在するのかも知れないが、私はこのことを数学で扱う「公理」のようなものと理解するに留める。

秩序づけられたものは美しい、繰り返しの美学はそのことを視覚的に示す代表例


 


美しい架構 

2006-09-09 | A あれこれ考える

 
栗野中学校(栃木県)の体育館

■ 今回の繰り返しの美学の対象は体育館の架構。

大断面集成材のW梁とスチールのテンション材の組み合わせ、いわゆるハイブリッド構造。
基本的には集成材の梁のたわみをテンション材で抑えるという構造。

見た目にすっきりしていて美しい。写っているステージの位置から判断するとアリーナの長手方向に架構している。ロングスパンな架構には構造的な工夫が必要になるが、ここではハイブリッドな構造で見事に解いている。シンプルな架構に設計者の力量が見て取れる。構造的に美しい建築にはウソがない(無理や無駄がなく合理的)。

体育館は設計者の能力(そう、知性と感性)によって感動的に美しい建築にもなり得るし、何の創意も工夫もない凡庸な建築にもなり得る。実にコワイ対象だ。


小谷小学校(長野県)の体育館(再掲)


 


明安小学校の豊かな空間

2006-09-08 | A あれこれ考える



明安小学校(山形県最上郡金山町)のワークスペース

 この小学校は児童数が80人にも満たない小規模校だそうです。写真の左側の壁に5という数字が見えます。5年生の教室です。普通教室(3年生から6年生の教室)、昇降口、保健室などを直線的に配置し、その隣にこのワークスペースを計画しています。独創的な架構の繰り返し、すばらしい空間構成です。

アーチ状の梁は地元産の杉の集成材とのことです。この写真では分かりにくいのですが、アーチ梁の端部を方杖で受ける構造になっています。アーチ梁相互を鋼材で結んでこの写真の奥行き方向の動きを拘束するなど、かなり工夫された架構です。ペンダント(吊り下げ照明)やブラケット(壁付き照明)なども繰り返しの美学を補強しています。

手元の資料によると金山町は美しい街並みづくりで有名なところだそうです。この町のそういう土壌がこのような美しい空間を生んだのでしょう。こんな空間を日常的に体験している子供たちはきっと感性が豊かに育つでしょう。設計者は小沢明さん。木造の得意な方と記憶しています。

ただ単に機能的なダイヤグラムに沿ってプランニングして、はい出来上がりっていう学校が多いのですが、そこから豊かな空間を創るために心血を注ぐ・・・、大事なポイントだと思います。このような作品に接すると尚更そう思います。


 


繰り返しの美学を比較する

2006-09-08 | B 繰り返しの美学

 
京都駅 原広司(021222)

 原さんが「繰り返す」とこうなるんですね。昨日書いたように原さんは同じデザインの繰り返しを好まないようです。「形を同じにするなら色を変えよ」というわけですね(昨日のブログへの追加写真)。

2002年の冬、高校の同期生の親睦会に参加するために京都に出かけました。その際、京都駅の屋上で撮った写真です。



豊田市美術館 谷口吉生(031013)

谷口さんが設計したNYの近代美術館の増改築工事、完成後その美しさがニューヨーカーを魅了して話題になりました。この美術館も、とにかく美しいです。谷口さんは最も美しく建築を設計する建築家のひとりでしょう。特に具体的な機能を負うてはいない壁の繰り返しと水庭は、ただ美しい建築のためにのみあるのでしょう。


 


繰り返さないという美学

2006-09-07 | B 繰り返しの美学

 
菓子箱のデザインに集落を見た(060907)

 勤務先の午後の休憩時間、お茶菓子におかきが出た。所員の東京みやげらしい。 菓子箱の蓋には松?扇子?花? いろいろに見えるパターンが繰り返されている。これがアフリカあたりの集落に見えた。昨晩『集落の教え100』原広司/彰国社を読んだ影響(せい)かもしれない。

原さんは世界の集落の調査をしたことで知られている建築家。この本はタイトルの通り世界の集落の調査によって得た知見を100の項目にまとめたもの。

例えばこんな「教え」が示されている。

[01]あらゆる部分を計画せよ。あらゆる部分をデザインせよ。(後略)
[02]同じものはつくるな、同じになろうとするものは、すべて変形せよ。
[81]材料が同じなら、形を変えよ。形が同じなら、材料を変えよ。

原さんの建築はまさにこのような「教え」に拠ってデザインされているとみてよいだろう。そう、原さんは「繰り返さないこと」に美学を感じているようだ。

ところで、この本に示されている多くの集落は、先の菓子箱のデザインのように同じパターンの繰り返しのように私には見えるのだが、原さんはそのことをどう捉えているのだろう。

私が注目したのは
[19]集落のあいだで、建物のあいだで、部屋のあいだで、差異と類似のネットワークをつくれ。という教え。
**(前略)集落は、住居を構成要素としている。住居には無限のヴァリエーションがありうるが、いずれの二つの住居のあいだにも類似点を指摘できると思われる。仮に、もし類似点がないとしても、この二例のあいだも第三の事例を挿入すれば、おおむね類似のネットワークは連結するだろう。(中略)差異と類似の論理が効果的にはたらくのは、対象とする集合に属するすべての要素それぞれが共通した構造ないしは組立をもっている場合である。(中略)いずれの集落も住居の集合であってみれば、なんらかのかたちで差異と類似の論理を適応できるであろう。**



この項に載せられている写真

この文章に原さんが考える集落、街並みのありようが示されている。

先日、奈良井宿について書いたが、その美しさを私は緩やかな統一に拠るものと考えた。利根川さんが理想的な組織として挙げたオーガナイズド
カオス(秩序づけられた混沌)も同義として引用した。建築の集合としての街並みの美学は全く同じものの繰り返しでは生まれないように思われる。いつかのS君との会話のなかにもそのことがでてくる。全く同じマッチ箱のような集合住宅の繰り返しの団地は美しくない、と。

建築を構成する要素の場合、全くおなじものの繰り返しが美しいと感じるのに、この違いはいったい何に拠るのだろう。菓子箱のデザインも形が同じで色の違うパターンがあるところがミソ。


 


今回は何の繰り返し?

2006-09-05 | B 繰り返しの美学



松本市内にて (0608)

 試みに、グーグルで「繰り返しの美学」を検索してみた。音楽に関するものが結構ある。そうか音楽にも繰り返しの美学ってあるんだ。確かに同じ旋律を何回も繰り返す曲がある。ここでは一応、建築と本に対象を絞っておこう。もっとも音楽については全く分からないが。

今回は柱と梁の構造フレームをひたすら繰り返しているアプローチ空間。フレームの間をガラスにすることでその存在が際立っている。きちんと観察しなかったので構造が集成材なのか、鉄骨を集成材で包んだのかは分からないが、視覚的には構造フレームを敢えて繰り返すという、設計者の意図が明確に伝わってくる。

空間そのものを繰り返しの美学によって創出したところが秀逸。「フレームのトンネル」を通るような感覚が楽しい。


 


今夜も繰り返しの美学

2006-09-04 | B 繰り返しの美学

 
奈良井宿(塩尻市) 撮影日060708

 いままでは建築を構成する部位の繰り返しに注目してきたが今回は、街なみを構成する建築の繰り返しに注目してみる。各々の建築がほぼ、同じデザインコードで構成されている。2階建て、平入りのプラン、間口の寸法もそれ程差がない。全く同じデザインというわけでは勿論ない、緩やかな統一。

通りを歩くと、繰り返されるデザインに心地よさを感じる。街なみを統一しようとむかしの人達が意識したのかどうか。でもむかしの人達もきっとこの宿場町に美を感じただろう。

組織に必要なのはオーガナイズドカオスだと指摘したのは
江崎玲於奈氏だったが、これは美しい街なみにも必要な条件ではないかと気がついた。


猿頭、繰り返しの美学

板庇の押えの名前を忘れていたが調べて猿頭だと分かった。庇を支えるのは垂木と呼ばれる部材で上になることはない。上に人が乗れないようにするためだ、と聞いたことがある。本当のところはどうか分からない。でも理由はあるはずだ。


 


またまた繰り返しの美学

2006-09-03 | B 繰り返しの美学





○ 繰り返しの美学、私の場合

建築家の出江寛氏は、繰り返しの美学についてエッセイで
**平凡なものがくりかえし現れることによって、象徴的な姿を表現し得るのである。(中略)平凡なものの集合はときとして芸術にまで高められるのである**と指摘している。実例として氏は京都の伏見稲荷神社の赤い鳥居の連続をあげている(別冊新建築 1989)。私はこのことを知ってから、「繰り返しの美学」を意識していた。

上の写真はある施設で試みた繰り返しの美学。壁面から突き出たコンクリートのこぶの上にV型に方杖を据えた。仕口面が複雑になるが、この木工事を担当した工務店はわざわざ加工場で試作品を作って検討してくれた。
この建築の構造はRC造だから、この木の梁は化粧。

この施設の別のところでも繰り返しの美学を試みている。方杖、コードペンダントそれぞれの繰り返し。



○ 廊下の吹き抜けの意匠