透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「乳と卵」 少し改稿

2008-03-16 | A 読書日記



 『乳と卵』川上未映子/文藝春秋 

カバーデザインが女性の体のラインを描いていることはなんとなく分かったけれど、左の写真のように見ているとそれが具体的にどの部位を描いたものなのかは判然としない。カバーを本体から外して逆さにしてみて初めて(右)痩せた女性の後ろ姿であることが分かった(違うかな)。

タイトルの『乳と卵』は女性に特有、固有(この場合どちらが適切だろう)なふたつのことばを表している。豊胸手術を受けるるために大阪から妹を訪ねて上京してきた母親巻子の「乳」。初潮をこれから迎える娘緑子の「卵」。

川上未映子さんの「わたくし率イン歯ー、または世界」も前回の芥川賞候補になったのだが『アサッテの人』に受賞作が決まった。石原慎太郎さんは前回作について**自分が苦労?して書いた作品を表象する題名も付けられぬ者にどんな文章が書けるものかと思わざるをえない。**と酷評していた。

で、今回の受賞作の『乳と卵』というタイトルは前述したように内容を表象している。だから石原さんがどのような書評をしたのだろうと、文藝春秋を手にしてみると今回もこの受賞作を酷評していた。評価は選考委員それぞれ違って当然だが・・・。

この小説は大阪弁を交えたライブなはなし言葉で書かれていて、ひとつの文章が随分長く読点で繋がっている。最初は読みにくいが慣れるとリアルにイメージが立ち上がってくる。この作家の個性なのであろう。

小説のラスト、母娘は冷蔵庫から玉子を取り出して次々に頭で割っていく。そのシーンは圧巻、秀逸。この場面を読んで母親思いの緑子(そう、緑は豊胸しようとしている母親のことを実は心配している)がなぜかがかわいそうで仕方なかった。なぜかわいそうと思ったのだろう・・・、どうも私には小説を暗く読む癖があるようだ。

この作家のこれからの作品にも注目。ふたりの川上か・・・。


春を感じる日

2008-03-15 | A あれこれ



 季節はこのカバーのように白から赤にある日突然変わるわけではない。白(冬)から赤(春)へのグラデーション。でも「あ~、春になったな」と感じる日がある。一昨日がまさにその日だった。松本平を取り囲む四方の山々が午前中春霞で見えなかった(黄砂?、違うと思う)。外気温も上がって、車は窓を開けて走っていた。春になった。

毎年「あ、春だな」と感じる日があるが、記録によると昨年は2月22日、一昨年は3月8日だった。今年は少しだけ遅かった。

今年も花咲じいさんの全国縦断ツアーがまもなく始まる。先日発表された予定によると長野入りは来月中旬、確か東京は今月の26日、今月末に東京する予定があるが、桜は開花しているだろう。昨年は都内の某所で友人と花見をしたが、今年はその機会があるだろうか・・・。


「コメを選んだ日本の歴史」

2008-03-12 | A 読書日記

■ 食の海外依存からの脱却の鍵、それはコメを主食とする食生活に戻すことだ。

少しコメに関する本を読んでみようと書店にでかけて『コメを選んだ日本の歴史』原田信男/文春新書 を見つけた。著者はコメとの関わりから日本の古代から現代に至るまでの通史を概観している。

本書を読んでコメがその時代の政治や経済、文化と深く関わってきたことを再認識した。著者は長年の研究成果をベースに本書を書いており、とにかく内容が充実している。日本で栽培されているコメ(温帯ジャポニカ)は7000年前の中国長江下流域にまでルーツを遡ることが出来るという。連綿と続いている日本とコメとの関わりを膨大な資料を基に論考しているが、ひとりでその歴史をまとめるのは大変な作業だったに違いない。

今日では食の多様化が進みコメの消費が年々減少してムギの消費(パンやパスタとして)は逆に増加しているのだが、日本の気候はムギの栽培には不向きだという。ムギは現在90%以上を輸入に頼っているが、やはり湿潤な日本に適したコメ中心の食生活にシフトすることが食料の自給率の回復のポイントだろうと繰り返して書く。

ところで本書によると**鴎外は、コメに長く慣れ親しんできた日本人の食習慣を変更することの不合理性や、日本の食糧事情からする穀類や肉の輸入に対して、外国依存の危険性を指摘している。**そうだ。そうか、鴎外は既に明治時代に今日のような状況に対して警鐘を鳴らしていたのだ。

この40年間で1日5杯位食べていたご飯が2杯位までに減っている(極大雑把に捉えて)、3食ともご飯という食生活に戻ることができるだろうか、私は残念ながら無理だと思う。仮に将来そうなったとしてコメを国内生産だけで賄うことが出来る生産体制がそれまで持続しているだろうか・・・。

やはり日本の食生活の危うさは変わらない、と思う。


パス1

2008-03-10 | A あれこれ



 岡田邸?? 知らない・・・。南洋堂の創業者の自邸? まさか、ンなわわけないか。

ネット検索で堀口捨己設計の住宅だと分かった。品川にあったとのことだが現存しないという。

堀口捨己についても知らないし・・・。か、書けない・・・。パス1


再度食料自給率の回復について考えるの巻

2008-03-09 | A あれこれ
 先日紹介した法政大学教授の田中優子さんの論説にも取り上げられていますが日本のフードマイレージ(食料輸入量(重量)× 輸出国から日本までの輸送距離の総和)が世界一になったそうです。確かにスーパーで食品を手にとって表示を確認すると肉や魚をはじめとしてはるか遠くの国からの輸入品が少なくありません。

ネットで調べて2000年の1人当たりのフードマイレージが日本は4,000tkm、アメリカは500tkmだということが分かりました。この値が大きければ大きい程地球環境に負荷を与えているということです。

田中さんはこのことについて**日本人が他のどの国民より、毎日の食事で環境をを汚染しているという意味である。**とストレートに書いています。

地球環境汚染防止という観点からあるいは食の安全という観点からも「食料自給率の回復」を図らなければならないというわけですね。そうして輸送に伴うエネルギー消費、環境汚染を少しでも減らそうというわけなんです。

そのためには主食のコメの消費を増やすことを考えるのが自然でしょう。1965年に一人当り約9.3kg/月だったコメの消費量が2006年には約4.9kg/月まで減っています。この40年間で消費量が半分になったんですね。

主食の大半がコメだった40年前に戻せば、そうコメと魚というかつての食生活へUターンすれば自給率はかなり(一説には70%くらいに)回復するというのですが・・・。朝はご飯に味噌汁、おっと大豆は100%近くが輸入品ですね。

食料を輸入に頼っている日本はかなり危うい・・・。この際国防費を農業につぎ込もう!? などという珍提案(いやいや30年もすれば至極まっとうな提案になるかも)をして今回はオシマイ。

キリンプラザ大阪 ふたたび

2008-03-09 | A あれこれ



 NHK教育テレビの「新日曜美術館」で「KPO キリンプラザ大阪」が取り上げられました。やはりこの建築は既に売却されていて取り壊しが決まっていると番組内でも報じられました。1987年に大阪の繁華街にオープンして以来ここは日本の現代アートを発信し続けた場所だったんですね。

「KPOアワード」、キリンが支援しつづけたジャンルを問わない現代アートのコンペティションによって多くの新しい才能が見いだされました。

残念なことに社会状況の変化に伴って企業がアートを支援することに制約が生じてきたことや一つの時代を創り終えたという総括によって、20年近く続いた活動に終止符が打たれてキリンプラザは昨年閉館したとのことです。

番組にゲスト出演していたヤノベケンジさんの一連のロボット作品は現代社会の歪みを鋭く突いていますが、彼はKPOアワードの第1回グランプリ受賞者だったんですね。

キリンプラザが日本の現代アートに新風を吹き込む活動をしているということは知っていましたが、具体的な内容は知りませんでした。今朝(0309)放送された番組でその概要を知ることができました。

スポーツイベント支援は盛んに行われます、テレビ中継されれば即企業の宣伝になりますから。それに比べると芸術活動支援は地味です。でも企業イメージはよくなりますよね。

芸術家達が夢を見ることができた場所、キリンプラザの閉館は残念です。

ドライからラガーへ! 


森林(もり)に学ぶ

2008-03-08 | A あれこれ





「2008 森林(もり)に学ぶネットワーク」 今年で9回目だというこの催しの研究発表会に参加した。

信州大学農学部森林科学科の学生達の卒業研究の再発表を聴講。指導教官にこれが卒論の最終審査だ、などとプレッシャーを掛けられた学生達が研究の成果をプレゼンテーション。質疑応答も活発に行われた。

卒論の発表・・・、私自身はもう○十年も前に済ませたが、今の学生はパワポを使ってなかなか説明上手、中には用意した原稿に頼った発表もあったが。

「秩父演習林のブナの肥大成長と気候要素及び結実との関係解析」
「河川および山地におけるニセアカシアの初期定着過程」
「ヒノキ人工林における樹冠通過雨の空間分布特性」
「GISによるニホンジカ森林被害に関する研究」など

よく分からないながらも自分の専攻とは異なる分野の発表を興味深く聴いた。どれも基礎的な研究だったがこれらが実用的な研究へと発展していってやがて林業に役立つようになるのだろう。

会場で配布された資料によると参加者は60人くらいで大半は県内の方だったが、中には東京など県外から参加された方も居られたようだ。国土の保全、地球温暖化抑制のために、森林の果たす役割は少なくない。このようなことも森林に関心を寄せている方が多いことの要因なのだろう。

会場近くの宿泊施設で予定されている懇親会で、参加者と交流したいと思っていたが、残念ながら所用で途中退席。機会があればまたこのような催しに参加したいと思う。


食料自給率の回復について考えるの巻

2008-03-08 | A あれこれ



 信濃毎日新聞の朝刊(080302付)に江戸学の専門家、法政大学教授の田中優子さんの「食料自給率の回復をめざせ」と題する提言が掲載されていた(写真)。

食料自給率を回復することは可能だろうか・・・。田中さんは**地方が小さな単位を形成し、食料や原材料の生産地というだけでなく加工、流通、広報、教育、そして石油以外の電力生成をはじめとする持続可能社会の構築の拠点になる、という方法があるはずだ。**と書いている。

要するに豊かな地方の再構築が食料の自給率回復の鍵ということなのだろう。それは理念、基本的な考え方としてはよく分かる。が、どのようにしたらそれが実現可能なのか、田中さんは方法論については触れていない。

優良農地は宅地や工業用地に転用されて面積が減少しているし、就農者の高齢化に歯どめがかかるとは思えない現実。地方と都市との福祉、教育、医療などの諸格差は広がるばかり。効果的な地方そして農業の再生プログラムなどこの国で本当に組めるのだろうか。

中国製冷凍餃子の中毒事件に端を発して、いやそれ以前の一連の食品偽装問題からか、買い物をする際きちんと表示内容を確認するようになったという購買者が増えたと聞く。

食の安全性を確保する最良の方法は自給自足。自分で栽培した米や野菜などを中心とする食生活へのシフトだと思うが、誰にでも可能というわけではない。そこで、国産の食料なら輸入品より安心・安全、ということで食料自給率を高めようという訳だ。そのためには地方が元気にならないと、という論理。

江戸時代は食料自給率100パーセント、農民人口が80パーセントだったという。この比率がこの40年位の間に急激に低下して、自給率は39パーセント、主要国のなかで最低レベルに。

穀物のエネルギーへの転用や気候の変動などで日本への輸出が遮断されたら・・・、その先の出来事を田中さんは**飢餓がやってくる。**と表現しているがそのくらいの危機意識を国民が皆持つべきだろう。

食料自給率の回復はまだ可能なのだろうか。田中さんは**今なら間に合う**と書いているが、私は悲観的にそれはもはや無理なことではないかと思っている。


文化的記号としての数

2008-03-07 | A 読書日記



 本のネット注文に馴染めない私は、未だに電話で書店に注文しています。何日か経つと勤務先にカタログなどと共に本が届きます。『アイドルのウエストはなぜ58センチなのか』、「これから出る本」という冊子でこの書名を目にして注文しました。

なるほど、指摘されてみるとアイドルのウエストサイズとしてなんとなく記憶にあるのは58センチです。

数は計算や記録を行うためにだけ存在する単なる符合ではなく「文化的な記号」としても大きな役割を果たしていて、私たちは記号としての数の影響を受けながら生活しているのだと著者は指摘しています。

これを数のサブリミナル効果(略して数リミナル効果)と名付けた著者は数の形状から受ける視覚的なイメージによる数リミナル効果もあると指摘していて、「8」は0の中央を絞り、あるいは削った形に見えるため、アイドルのウエスト値に好んで採用されるのだと書いています。

8はウエストがくびれたナイスバディをイメージさせるの形なのだと著者は言うのですが・・・。

そうかな~、8から雪だるまを連想することはあっても私にはナイスバディは浮かんできません。著者は周りの男性陣に聞いて8が理想的な体形を表していると結論づけたそうですが、これって本当?

きちんと実証的に論じてはいませんが、軽く読むのにはこの手の本もいいかもしれません。


すっぴんの美学から遠い建築

2008-03-06 | A あれこれ


■ 建築トランプ、25枚目(たぶん)の今回はこの人、妹島和世さん。この人は今や世界的に有名な建築家だ。イラストの妹島さんが頭に載せているのはニューヨークの「ニューミュージアム」。今年1月の「新建築」の表紙を飾った作品。手に持っているのはうさぎ形の椅子「ラビット」。「新建築」を見るとこの椅子は「ニューミュージアム」のカフェにも置かれている。

存在感の希薄な建築を透明な建築と表現する、と理解している。かつては伊東さんも透明な建築を指向していたが、「せんだいメディアテーク」以降方向転換してしまった。透明な建築は妹島に任せたと言ったとか・・・。新建築の表紙の写真を見ると確かに周りの建築と比べると存在感に乏しい。

20年、30年、長い時の流れに耐えうる建築だろうか。陽炎のようにいつの間にか消えてしまいそうだ。妹島さんは好んで壁に鋼板を使う。鋼板は素地で使うことには無理がある。塗装することが前提となる材料だ。素地のままで使うことができることが建築材料としての基本的な条件だと思うから、鋼板を壁材として使うことには抵抗がある。

しばらく前に紹介された集合住宅で妹島さんは外装材としてレンガを使っていた。レンガは前から使いたいと思っていたとのコメントを読んだが、それ程積極的に使う気はないようだ。

妹島さんは少なくとも建築に関しては「すっぴんの美学」にあまり関心が無いようだ。

再度「中村屋のボース」 

2008-03-05 | A 読書日記


■『中村屋のボース』読了。

インドの独立運動に一生を捧げたR.B.ボースの伝記。この本を書くことになったエピソードを著者は巧みにも最終章に配している。
**私は細かく震える指先で、通用口のブザーを押した。
中から一人の初老の女性が出てきた。
私は、その人を一目見た瞬間、心の中で叫んだ。
「あっ! 中村屋のボースだ!」**

1998年6月、著者は原宿にボースの愛娘哲子を訪ねる。そのとき23歳。哲子はまだ学生の著者に一つの箱を差し出す。箱の中には犬養毅や浜口雄幸といった首相経験者、そう私でも知っている人物をはじめとした幅広い方面からの手紙などの一級の資料が詰め込まれていた・・・。

「この史料、すべてお貸ししますので、どうぞお持ちになってください」哲子は著者に向かってこう言う。このとき、**何としてもR.B.ボースの伝記を書かなくてはならないと強く決意した。**のだそうだ。

著者が『中村屋のボース』を書いたのはそれから6年後、29歳の時。

私はこの本を、インドの独立運動に一生を捧げた一人の男の波乱万丈の人生が綴られた「冒険小説」として読んだ。明晰な頭脳の持ち主が書いたこの本を小熊英二氏は**これほど興味深い本にはめったに出会えるものではない。**と激賞している。

インドが独立を果たす前にボースは最期を迎えてしまう・・・。

確かに近代日本の政治思想史など全く知らない私にも大変面白く読むことができた。

引用

2008-03-02 | A あれこれ




 今回引いたカードは石井和紘さんの「同世代の橋」(横浜の店舗+住居)だった。作品名の通り石井さんと同世代の建築家の作品からの「引用」によってファサードを埋めている。 右のカードは石山さんの幻庵だが、この作品が4階部分にある。他に安藤さん、伊東さん、六角さん、高松さんらの作品が引用されている。この作品については「寛大な発注者だったのかもしれない」この一言で片付ける。

幻庵が何故黄緑色なんだろう・・・、今まで気がつかなかったが、クラブ(三つ葉)のカードのイラストはこの色で統一されている。

この「同世代の橋」を見て『普請の顛末』柏木博、中村好文/岩波書店を思い出した。この本にはデザイン史家の柏木博さんの自邸の設計から完成までのプロセスでの様々な出来事の記録が納められていて興味深い。

この住宅にも近代建築史に載る名作からの「引用」が試みられている。アアルト、カーン、コルビュジエ、ミース、村野、アスプルンド、スカルパ、吉村から9つの「引用」。

同世代の橋とこの住宅は他の作品からの「引用」を試みているという点で共通している。石井さんの作品は妙に理屈っぽく感じるが真摯に建築した結果だとは思えない・・・、もちろん私の印象に過ぎないのだが。

一方、中村好文さん設計の住宅の場合は、柏木博さんがデザイン史の専門家であることを意識したユーモアのセンスに富んだ「遊び」が、デザイン的にも手堅くまとまっていて美しい。

共に「引用」という手法を採っているのだが、何故このように作品から受ける印象が違うのか自分でもよく分からない・・・。

伊東忠太 再び

2008-03-02 | A あれこれ



 「伊東忠太が70年ぶりに新作」 雑誌「住宅特集」の3月号載っていた記事の見出しに気が付いた。

静岡県袋井市に可睡斎という家康ゆかりのお寺があるそうだが、境内の一角に建っている護国塔が伊東忠太の設計だという。お寺のサイトにこの護国塔の写真が載っている。

http://www.kasuisai.or.jp/

なるほどカードの伊東が頭に載せている塔と似たデザインだ。築地本願寺もインド風のデザインだが、この塔も五重塔のルーツといわれるインドのストゥーパに似た形をしている。この塔は伊東がアジア・欧米建築行脚から帰国した翌年(1906年)に設計を依頼され、1911年に完成したそうだ。

この寺の山門も伊東が1935年に設計しているそうで、その設計図が発見されたとのことだ。 この山門が住職の熱意で70年の時を経て建設されているという。

この記事を読んで24才で夭折した詩人立原道造が計画したヒアシンスハウスのことを思い出した。残っていたスケッチを基にして実施設計がなされ、さいたま市営別所沼公園内に建設された週末住宅だが、こちらもほぼ70年の時を経て造られた。

この国では建築の設計期間も工事期間もきわめて短くて短期間で完成させてしまうが、必ずしも歓迎すべきことではない。このような出来事を知ると嬉しく思う。




 


2月の本たち、再登場。

2008-03-02 | A ブックレビュー
 

■ 3月になった。もう♪どこかで春が生まれてる~、のかも知れないが、その気配すら感じない。

本たちの記念写真のアップ。左の写真に写っているのが2月に読んだ本たち、ただし『中村屋のボース』は読書中。右の写真は2月に透明タペストリーに織り込んだ本たち。こたつの上に積み上げて撮った。

オーバーフロー状態の書棚を少し整理しないと・・・。