からくり奉納 080415
■ 飛騨高山の伝統行事、高山祭りは春と秋に行われています。
昨日と今日は春の高山祭(山王祭)、今日ようやく念願叶って
見物に出かけてきました。
http://www.hidanet.ne.jp/02/matsuri/kigen.htm ←高山祭りについて
次稿に写真を載せます。
からくり奉納「三番叟」
からくり奉納「龍神台」
屋台12台が登場 一番のお気に入りは「鳳凰台」
豪華絢爛「青龍台」入母屋の屋根は12台中唯一
ひとひとひと! 平日にもかかわらずこの人出。
なんだかここは、とってもうすみどり。
■ 川上弘美の夫婦小説、こんなジャンルがあるのかどうか・・・『風花』を読み終えた。
**なんだか。のゆりは思う。
なんだかここは、とってもうすみどり。
いろいろ嫌なこともあるけど、こんなにうすみどりだと、どうでもよくな
っちゃう。**
**間近で波が打ち寄せるのを聞くときの、輪郭のはっきりとした音ではない
のだけれど、海ぜんたいがたなびいているような、たおやかな擦過音を、
たしかにのゆりの耳はとらえたのだった。**
そう、この文体、この表現こそ川上弘美。
結婚して7年の夫婦、のゆりと卓哉。夫の浮気相手が妊娠。かなり危機的な状況にあっても川上弘美が描くこの小説ではどことなく春霞のように輪郭がはっきりしない。この作家の小説に共通するふんわりとした雰囲気が漂う(「真鶴」はそうでもなかったけれど)。主人公ののゆりは夫と別れようか、どうしようか、決心がつかない。のゆりの気持ちも春霞。
季節は巡る。ゆるやかに変化していくふたりの会話・・・。その微妙な変化に気がつかなければこの小説は味わえない。
結局最後までのゆりは夫と別れることなく過ごすが、ラストシーンは暗示的。**のゆりは自分が赤信号を渡っていることに気づいた。止まらずに、このまま渡っちゃえばいいんだ。思いながらのゆりは駆け出した。振り向くと、卓哉は歩道に立ってのゆりを見ていた。**(以下略)
『風花』川上弘美/集英社
メニューリストには浅煎りから深煎りまで15種類くらい載っているだろうか。
カラーチャートによって分かりやすく示されている。
マスターに聞けばこの土地への出店を逡巡したこともあったらしい。確かに穂高のような既にポテンシャルの高い土地に出店する方が集客できるかもしれない。しかしここのような何もない山里に出店することの意義も大きいのではないか、と私は思う。既にある程度完成しつつあるキャンパスに新たな色を付けてもそれ程目立たない。が、白いキャンパスに初めて載せる色のインパクトは大きいのではないか。
地理的な条件とて車で移動すれば10キロ、20キロ大したことではない。それに例えば福岡は日本の中では中心からかなり外れてしまっているが、台湾や韓国、中国などを取りこんだ東アジアというエリアではまさに中心地だ。同様にこの地は周辺に扇状に広がる市町村の要に位置すると捉えることも可能ではないか。捉え方によって状況は変わるのだ。
カフェの窓からは遠く八ヶ岳まで望むことが出来る。落葉松の芽吹きが始まると山は次第にモスグリーンに染まっていく。その様子も窓から見ることが出来そうだ。
まもなく店の前の梅が咲き揃う。黒の外壁に白梅が映えるだろう。
■ 外観写真に写っている横長の窓の室内側には裸電球がこんな風につけられている。木製のブラケットから提げられた電球。設計者の創意工夫によってローコストでオリジナルなことができる。デザインって本当に多様だと思う。
テーブル周りの様子。食事用のテーブルだと小さすぎるがコーヒー用のテーブルだとこの位のサイズがちょうどいい。右側は造り付けのベンチだが、壁に背もたれの板が付けられている。塗り壁でなくても背もたれは必要。
小さなカフェではやはりカウンター周りの設えが室内の雰囲気を規定する。ここでは美しくディスプレイされた何種類ものコーヒー豆のビンがポイント。家具はあまり存在感を主張しすぎない何気ないデザインが好ましい。
ここでSさんから本を紹介してもらった。『左官礼讃』小林澄夫/石風社。私はSさんに『日本の庭園』を紹介した。
休日の読書空間が増えたことは嬉しい。
「カフェ・シュトラッセ」
■ コーヒー通にはよく知られたカフェ、らしい。**東京・浅草の伝説の焙煎所「バッハ」で修行したマスターのこだわりのコーヒーを味わうことができる**と以前建築少年Yさんもこのカフェをブログで紹介していた。
昨年末このカフェが松本市内から山里の村に移転オープンしたと先日友人のSさんからメールで教えてもらった。
早速出かけてみた。先ずは建築観察。
外壁は板張り。樹種は分からないが縦張りで、やや幅広の押縁で押えている。大和張りにも見える。エントランス部分など一部は塗り壁仕上げ。木製建具の框の明るい塗装色が黒に近い外壁色とマッチしている。この外壁の色はコーヒーを連想させる。
オーソドックスな形でも材料や色の使い方でなかなか味わいのある外観ができることが分かる。衒いのないデザインが山里にマッチしている。妻面の横長の窓(私が写っている)が壁の端まであるからここには筋交が入っていない・・・。
内部の仕上げはシンプル。床は無垢のフローリング、壁は鏝むらを出したしっくいの壁、そして天井は小屋組み表し。垂木の上の野地板も見せている。小屋組みは在来木造で使うごく一般的な方法。心地良い空間だ。40×50cmくらいの小さなテーブルが5ヶとカウンター。黒のスチール脚の可愛らしい椅子達。そして裸電球。
さて、自家焙煎珈琲。テレビの食べ歩き番組でタレントが何を食べても「おいしい!」のひと言で済ませるようにここは私も「おいしい!」のひと言。
遠くは諏訪から通うファンがいると聞いた。休日にはここで美味いコーヒーを飲みながら読書、新たな楽しみができた。
「カフェ・シュトラッセ」と「A+!」の設計者は同じ人らしい。
■ 久しぶりにTV番組「建物探訪」をみました。今回番組で取り上げられたのは建築家東孝光さんの自邸「塔の家」でした。都市住宅の名作と評されるこの住宅は1966年に建設されました。
番組でこの住宅は既に取り上げられていて、今回渡辺篤史さんは20年ぶりの再訪とのことでした。現在は娘さん(建築家の東利恵さん)が生活しているそうで、内部を彼女が案内していました。室内の家具は元の通りに造り変えて設え直したそうです。
敷地面積21.6㎡(6.2坪)、建築面積11.9㎡、述床面積65.1㎡、地上5階、地下1階というまさに塔の家です。東京オリンピックの際の道路拡幅に伴って出現した狭小な土地、東さんはそこで「都市に住む」という意志を表明したのでした。都市の機能を日常生活に取り込むという発想がそれを可能にしました。ドアの無い各室が空間的に繋がっています。テレビで見る空間は実際のそれとはもちろん印象が違うとは思いますが、広く感じました。
当時はまだ住宅では珍しかったというコンクリート打ち放しの壁。きれいに打ちあがっているとはいえませんが、手作り感が伝わってきます。今日多用されるコンクリート打ち放しの表面はすごくきれいですが、コンクリートという素材はこの塔の家のような表情の方が「地」なのかも知れないと思います。東さんの代表作といえばやはりこの「塔の家」でしょう。
学生の頃、外観を見に出かけたことがありました。所在地は渋谷区で大通りに面していたという記憶があります。番組で室内から窓越しにワタリウム美術館が見えましたから、場所が分かりました。今年の2月、結婚式に出席するためにこの大通りをバスで通っていたのですが気が付きませんでした、席が反対側でしたから。
当時撮った写真のネガは探せばたぶん見つかると思いますが、ここに載せるのは諦めます。そこまでする「ズク」がありません。
ところでこの住宅が出来た1966年には菊竹清訓さん設計の「都城市民会館」も竣工しています。機械の歯車を建築化したような外観とでも表現したらいいのか、とにかく特異なデザインの建築ですが、取り壊し寸前に熱心な保存運動が実を結んで存続することが決まったそうです。建築雑誌で知りました。
寿命があるとはいえ、名建築が取り壊されてしまうのは残念なこと、この「塔の家」もいつまでも凛と建ちつづけて欲しいものです。
■ 小田実の『終らない旅』を読み終えた。
アメリカ留学、ベトナム反戦運動、脱走兵支援そして阪神大震災。小田実は恋愛小説という形を採って自身の人生を回顧し、「ベトナム」を総括した。
さて、川上弘美! 『真鶴』から既に一年半。この週末は『風花(かざはな)』を読む。
■ ユニバーサルデザインとは、要するに小さな子供でもお年寄りでもハンディのある人でも、とにかく誰でも不自由なく普通に利用できるような製品、情報などのデザインのことです。当然建築も対象です。
先日、私の両親(老親)のところに「後期高齢者医療被保健者証」が送付されてきました。
名刺サイズのカードに印刷された文字は細かすぎて読めません。このカードのデザインをユニバーサルデザインという観点から採点すると得点は全く出来ないでしょう。0点です。このカードのデザイン、発行には多くの人たち、そう優秀な役人が関わっているはず。75歳以上のお年寄りが使うのにこの文字は細かすぎないか、などということを気にするような人はいなかった、あるいはいたかも知れませんがそのような指摘をする機会がなかった、あってもしなかった。そのいずれかでしょうね。
お年寄りは大切な物をきちんと保管しておくという傾向が強いのではないでしょうかね、夕方親の所に行ってこのカードの提示を求めたのですが、引出しにしまったというこのカードがなかなか見つかりませんでした。他の書類の間にでも入り込んでしまったらまず見つかりません。従来の保険証のサイズ(文庫本くらいのサイズでしたか)でもよかったのではないでしょうか。ポケットにも納まりますしね。
何故こんなに小さなサイズにしたのでしょう・・・。送料をケチった? なるほどそうかも知れません。
「これまでの国民健康保険証などと材質や大きさが違うため、ダイレクトメールと勘違いしたり、保険証と気付かずに捨ててしまうお年寄りが多い」と新聞が報じています。当然ですよね。ユニバーサルデザイン評価でO点(もちろん私の採点ですが)のカードですから。
この本にユニバーサルデザインの7原則が紹介されています。
1 誰にでも公平に使用できること
2 使う上での自由度が高いこと
3 簡単で直感的にわかる使用方法になっていること
4 必要な情報がすぐ理解できること
5 うっかりエラーや危険につながらないデザインであること
6 無理な姿勢や強い力なしで楽に使用できること
7 接近して使えるような寸法・空間となっていること
必要な情報が分かりやすく正しく伝わるようなデザインを!
■ 建築トランプ、今回引いたのは前川國男でした。
洋服の向かって右半分は前川さんオリジナルの打ち込みタイルのパターン、これはすんなり分かりますが左半分は60年代ころ盛んに使われた縁甲板型枠のコンクリート打ち放し?それとも石張り? さて頭に載せているのは・・・前川さんの代表作、上野の東京文化会館の外構にあったような気がしますが確かではありません。小さく描かれているのはあまり似ていないような気もしますがたぶん前川さんが師事したコルビュジエでしょうね。
前川さんは公設の美術館をいくつも手掛けました。東京都美術館、熊本県立美術館、山梨県立美術館などが直ちに思い浮かびます。いずれも外壁に打ち込みタイルを使っています。
さて8月2日から前川さん設計の東京都美術館で「フェルメール展」が開催されます。この展覧会は昨年から決まっていたようですが、私は今日の朝日新聞の記事で知りました。
昨年「牛乳を注ぐ女」が来日して話題になりました。国立新美術館で公開されたのですが残念ながら観ることは出来ませんでした。今回の展覧会では7点展示されるそうですね。私の注目は「絵画芸術」、初めて描いた都市風景画「小路」それに「ワイングラスを持つ娘」。
この展覧会の会期は12月14日までと長いです。フェルメールは人気のある画家ですから会期中は混むでしょう。平日に是非出かけたいと思います。
『フェルメール全点踏破の旅』朽木ゆり子/集英社(集英社文庫ヴィジュアル版)はおすすめの1冊です。
■ 今日、4月7日は鉄腕アトムの誕生日ですね。「Google」がアトムになっていて気がつきました。というわけでこのブログに手塚治虫のマンガ本初登場! ・・・ではありません。実はこのマンガは岩波新書に収録されているんです。『ぼくのマンガ人生』手塚治虫/岩波新書。数多くある岩波新書でマンガが載っているのは他にあるでしょうか。
鉄腕アトムを遥か昔にテレビでよく見ました。明治製菓の提供、マーブルチョコレートのCM。
少年が交通事故によって死亡してしまいます。嘆き悲しんだ父親(名前を覚えていません、なんとか博士)が子供の代わりとしてロボットをつくったのでした。それがアトム。初回の放送が何故か今でも微かな記憶として残っています。日本がロボット工学の分野で世界的にトップにあるのはこの鉄腕アトムに拠るところが大、そう思います。
子供の頃このマンガを見て、大きくなったらアトムのようなロボットを自分もつくろうと思った人も少なくないでしょう、実際にロボット開発に関わっているかもしれません。事実そのようなコメントをしている技術者をテレビで見たことがあります。
ロボットの究極的なというか最終的な姿をビジュアルに示しているアトム。研究開発において最終的な姿、到達点が視覚的に示されているという意義も大きいと思います。
このようにアトムはロボット開発技術者を育て、しかも開発の目標も提示しました。やはり手塚治虫はすごいマンガ家です。
ところでアトムに出てくる未来都市の姿、記憶を辿ると高層ビル群の間を縫うように伸びている空中道路、そこを行き交う車などが浮かんできます。先に書いた少年もこのような道路で起きた交通事故で死亡した、と記憶しています。
アトムがロボット開発の目標となっているようにあるいは都市もアトムに登場していた未来都市のイメージを追いかけているのかも知れません。残念なのは示された姿がひたすら人工的だったということです。ロボットについてはイメージの修正は必要でないでしょう。でも未来都市の姿についてはその必要があるように思います。
■ カフェ・シュトラッセ。春の陽が室内に柔らかく射し込み漆喰の壁がそれに応えている。やはり自然素材の室内は心地良い。ここで『終らない旅』小田実/新潮社 を1時間ほど集中して読む。恋愛小説だが、そこは小田実、ベトナム戦争のことなどを織り込みながら物語を展開させていく。ベトナムで20年ぶりに運命の再会をしたふたり、どんなエンディングを迎えるのだろう・・・。
この作家のことをしばらく前にNHK教育テレビで特集していた。病室にカメラが入って取材、時には廊下からドアのガラス越しに病室内の様子を伝えていた。小田実は病に伏しながらこの国の行く末を心配していた。「富国強兵などしなければよかった・・・」実に悲しげな顔で語っていたのが印象的だった。
カフェに置いてある新聞の広告で川上弘美の新刊『風花』を知った。『真鶴』からもうだいぶ経っている。小田実から川上弘美へ、すごい落差・・・、でもこれが私の読書。
■ 建築家で映画評論家でもある渡辺武信さんは、中公新書で住まいに関する三部作を著しました(写真左)。その後更に『住まいのつくり方』が加わりました。
渡辺さんの友人だという和田誠さんの挿絵付きのこれらの本は著者自身の説明によると**住まいのソフトとでも言うべき〝住まい方〟は一つの思想であり、それはしばしばハードである建物=住まいよりも重要だ**ということを述べたものです。映画の話題を盛り込んだこれらの本はどれもエッセイ風に綴られていて楽しく読むことができます。
最初に出版された『住まい方の思想』1983年 が建築のハードについて最も多く論述しています。その第9章の「照明」についてで、渡辺さんは**映画を見る時に、ちょっと気をつけていると解るのだが、天井からの照明にたよっている例は稀で、居間では各種のフロア・スタンド、食堂では卓上のランプや蝋燭が照明の基本である。つまり、照明計画とは、既に決められた単一光源のためにカッコいい照明器具を選択するなどという単純なことではなく、複数の光源の位置と種類を決めていくことなのだ。** と指摘しています。
先日ある建築の竣工写真がメールで届きました。写真家にはそれぞれ得意なジャンルがありますが、竣工写真は建築写真を専門とする写真家によって撮られます。届いた写真を見て、照明によって空間の雰囲気が随分変化するということを改めて感じました。
照明についてはJISによって照度基準が示されていますが、それは単に明るさの推奨値を示したものに過ぎません。設計者がどこまで照明の重要性を認識しているか、によって夜の空間の質が決まります。先の建築の設計者はこの辺をきちんと押えていることが分かりました。いくつかの照明パターンの選択ができるように設計されています。
ところで肉屋のショーケースに並んでいる肉は実にいい色をしていますが、それは照明の効果によるもの、肉の色がきれいに見えるような光源を使っているからなんですね。自宅の台所でひろげてみて、あららと思った経験、ありませんか?蛍光灯の下ではあまり美味そうな色にはならないはずです。照明のこのようなことも考慮する必要があるといえるでしょう。
空間の演出装置としての側面も見逃せません。暖かい家庭的な雰囲気を醸し出す照明器具として例えばダイニングテーブルの上にはコードペンダントが欠かせない、そう思います。
カフェなどのテーブルにも同様の理由によってコードペンダントが欲しいです。もちろん好みにもよると思いますが。最近ときどき利用する「カフェ・シュトラッセ」の照明は天井や壁から吊るされた裸電球、夜の雰囲気は未だ体験していません。そのうち夜出かけてみます。と、続けていけばきりがありません、今回はこの辺で。
追記 カフェなどで待ち合わせする場合、(別にカフェに限りませんが)照明や窓の位置を考えて、つまりどの方向から光が顔にあたるか考えて席を選択することを特に女性の方にはおすすめします。尤も席の選択には他に優先すべき条件があるでしょうが・・・。
■ やはり丹下さんは遠景の建築家、久しぶりにこの建築を眺めてそう思いました。村野さんは丹下さんとは対照的に近景の建築家と言っていいでしょう。丹下さんの建築はフォルム(建築の全体形状)が美しく村野さんの建築はディテールが魅力的、そう括っていいでしょう。
意匠と構造との融合、代々木の場合には吊構造が直接的にフォルムを決めています。棟のラインはカテナリー曲線、電線と同じ懸垂曲線。どことなく和風で例えば東大寺の大仏殿の棟のラインと重なって見えてきます。
今回久しぶりに中に入って見ました。
第2体育館ではミニバスケットボールの大会が行われていて、初めて中に入ることができました。内部空間はこちらの方が造形的、美しいと思います。
この頃の丹下さんの建築には詩情が漂っています。建築における詩情性、最近の建築からは消えてしまいました。
■ 建築トランプ、後半のスタートです。
「代官山ヒルサイドテラス」はあの辺一体の地主だった朝倉家の「良質な生活環境の創出を」という願いを受けて槇文彦さんが30年以上もかけてじっくり創ってきた街です。ひとりの建築家がこれほど長い間、同じクライアントと関わりながらひとつの街を創り続けてきたということは極めて稀、幸運な事例でしょうね。
以前にも書きましたが代官山ヒルサイドテラスの魅力、それは公的な(街に開かれた)空間と私的な空間のヒューマンなスケールとそれらの巧みな構成。建築相互を関係付ける「リンケージ」という概念によって創出されるまとまりのあるグループフォーム(群造形)ということでした。
混沌とした東京にあってこの街の秩序はまさに奇跡、このような空間が周辺にも広がっていけばいいなと思っていましたが、残念ながらそうはいかなかったようです。
先週の土曜日、ここを久しぶりに訪ねてみましたが、早朝のためまだ街が活動を始めていませんでした。建築のデザインは時の流れと共に少しずつ変わってきていますが、変わらないこの街の上品で知的な雰囲気、それはやはり設計者の都会的でオシャレなセンスの反映でしょうね。