透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

えんぱーく

2012-04-09 | A あれこれ

 塩尻市の市民交流センター「えんぱーく」の来館者が3月30日で100万人に達したと昨日新聞が報じた。開館が2010年の7月だったから、まだ2年にならない。「えんぱーく」については、プロポーザルの段階から注目していて、ブログにも書いてきた。以下、過去ログで経緯をふり返る(各写真の下のキャプションをクリックしてください)。


1次審査 



2次審査



ワークショップ


施工 


えんぱーく体験




「春の数えかた」

2012-04-08 | A 読書日記


『春の数えかた』日高敏隆/新潮文庫 平成17年2月発行

 今朝(8日の朝)7時頃、自宅の外壁に掛けてある温度計を見ると氷点下3度だった。庭には霜柱が立っていた。鄙里の朝はまだ寒い、東京の桜は見ごろだというのに・・・。

でも、山際の木々の中でウグイスが鳴いていた。畑地の上空でヒバリが鳴いていた。春の到来を祝福するかのように鳴いていた。

どうやって小鳥たちは春を知るのだろう・・・。

この疑問の答えがこのエッセイの中にある。**小鳥が日長つまり一日のうちの昼の長さで季節を知ることは、半世紀以上前に実験的に明らかにされた。(中略)冬至を過ぎ、一月、二月と暦が進んでいくにつれて、日は長くなっていく。これもだれでも知っていることだ。小鳥たちもそれがわかっている。日の長さは季節の移り変わりのまぎれもない徴(しる)しなのである。**(219、220頁)

日長は気温とは関係ない。鳥のように恒温動物ならよいが、虫のような変温動物たちは、困るはずだ。虫たちは温度の積算をしているということもこのエッセイが教えてくれる。それもただの積算ではないという。ある一定温度(発育限界温度)より低い、極端に寒い日には、その温度を数えないのだそうだ。

サクラも積算という数学的手法によって春の到来を知るということは以前ラジオ番組(だったかと思う)で知った。このエッセイには**サクラが花の芽を作るのは、昨年の夏である。このときにもう、来年の花が作られはじめているのである。サクラの花は暑い夏に作られて、寒いときにふくらみ、暖かくなって開くのだ。**(34頁)とある。 サクラの用意周到な開花作戦!

松本城公園のサクラはまだつぼみ。 でも ♪ 咲いて散るよりつぼみでいたい などと演歌なことを考えているわけではあるまい・・・。


 

 


「古事記誕生」

2012-04-08 | A 読書日記

 古事記に登場する道反之大神(ちがえしのおおかみ)とも黄泉戸大神(よみとのおおかみ)ともいわれる神が道祖神(塞の神)の原型であるという説がある。同じく古事記に登場する猿田彦*1神が道祖神だともいわれている。(過去ログ

このことを『安曇野道祖の神と石神様たち』 西川久寿男/穂高神社 等の資料で知ってから「古事記」に興味を覚え、『古事記』21世紀少年少女古典文学館 橋本治/講談社をまず読んだ。この本のことは既に書いたが大人のための古事記入門書としても良書だと思う。この本との出会いに感謝している。



その後『古事記(上)』 次田真幸/講談社学術文庫で古事記の書き下し文を読み、『古事記誕生 「日本像」の源流を探る』工藤隆/中公新書も読んだ。全く無縁だと思っていた世界に入り込んだという思いが強い。





古事記は何を伝えているのか・・・。

今からちょうど1300年前に古事記は誕生した。712(和銅5)年、太安万侶が元明天皇に宿題を提出したという「点としての誕生」だ。だが著者は古事記誕生を単に点として捉えるにとどまらず、線としても捉えている。

**『古事記』が誕生するまでには、少なく見積もっても縄文時代の開始期の紀元前一万一〇〇〇年くらいから「序」の言う紀元後七一二年までの約一万二千年間の、日本列島民族の歴史が刻まれている。しかも、このうちのほとんどの期間は、無文字文化の時代であった。また、国境という観念もなく、大陸や南の島々からの日本列島への人の移動、文化の流入が断続的に続いていたであろう。そのような約一万二千年間に及ぶ時間の集積のうえに、漢字文化の流入と〈国家〉の成立という大きな変化が押し寄せるなかで『古事記』が誕生した。**(はじめに)

例えれば出産の瞬間だけでなく妊娠期間も、あるいはそれ以前も重要だという著者の古事記観に基づく論考。

点としての古事記誕生についての論考は第1章のみで早々に切り上げ、第2章以下では線としての誕生に関する論考を重ねている。実証的な論考が難しいなかで、著者は祭式や考古学、少数民族神話に古事記誕生の背景、源流を探っている。

アジアや中国の少数民族に伝わる神話とアメノイワヤト神話のモチーフの共通性の指摘は、なかなか興味深かった。いくつかの神話を詳細に紹介した後、著者は**アメノイワヤト神話は、おそらく縄文時代にすでに日本列島に到達していた長江流域少数民族の太陽神話を最古層に持ち、その上に鹿占(しかうら)その他縄文・弥生期にすでに存在していたヤマト族の風習を吸収し、また邪馬台国の卑弥呼の歴史的事実などを神話的物語として組み込み、また銅鏡のような舶来品も素材として取り込み、さらに〈古代の近代〉の国家的祭祀体系の前段階の状況を反映するなどして完成したのであろう。**(232頁)と結んでいる。

**準備なしにこの領域に入るとリアリティー(現実感)を欠いた像を結ぶことになり、ときにはほとんど妄想に近い像をイメージすることになったりする。**(6頁) 

著者がこのように認識した上で論考した古事記の線としての誕生論。


*1 猿田彦は手塚治虫の「火の鳥」にも主要な登場人物として出てくる。

さて次は『道教の世界』 菊地章太/講談社選書メチエ。



駒町の馬頭観世音

2012-04-07 | B 石神・石仏


馬頭観世音を祀る祠とその由来を説明する石碑        撮影120407

 松本市城西に駒町という旧町名の地域がある。そこに奉祀されている馬頭観世音。

貞享3(1686)年に起きた貞享義民騒動と呼ばれる一揆。多田加助ら一揆の首謀者の赦免状を携えて江戸を発った鈴木伊織、彼の乗った早馬がこの辺で骨折してしまって、処刑に間に合わなかった・・・。 この馬頭観世音はその時の早馬を奉祀していて、町名の駒町もこの出来事に由来すると石碑にある(写真の右側)。

どうやら今日(7日)はお祭りらしい。祠に提燈が下げられ、のぼり旗が立てられていた。

馬頭観世音は観世音菩薩の化身で、煩悩や悪心を断つ功徳があるという。馬頭という名前からか、次第に本来の性格から離れて馬の神様として崇められるようになり、馬が死ぬと供養のために石像が建てられたという。

今日、4月7日は「愛馬の日」だそうだが、このお祭りと関係があるのかどうかはわからない・・・。


 


書きたいことを書きたいように書く。

2012-04-06 | A 読書日記

■ 前稿では何を考えたか論理的な文章を書きたいなどと書いた。昨日(5日)、タイトルを変えておいた。何も論文を書こうなどというわけではないのだ。無理をすることはない。書きたいことを書きたいように書く。それでいいではないか。小説を書いているとき、登場人物が勝手に動きだすと言う作家もいる。分かるような気がする。今まで通り、どこに行きつくのか分からないままブログを書く。この方が書いていて楽しい。

夕方久しぶりに駅前の丸善に出かけた。読みたい本というか、気になる本が何冊かある。

村上春樹の小説『1Q84』の文庫化。既にその内の2冊が刊行されて書棚に並んでいた。この小説、売れに売れた時は読んでいない。村上春樹の長編小説は一通り読んだ。この長編も読みたい。

『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド/草思社文庫・上下 が今朝(5日)の新聞に紹介されていた。悠久の人類史の中で、何が民族の盛衰を左右したのか・・・。進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学などの研究成果を駆使して読み解く壮大な歴史書だという。2000年に発売されたハードカバー版が上下卷合わせて発行部数30万部にもなったと記事にある。文庫版も発売1ヵ月で上下合わせて25万部の大ヒットだとか。でもいままで知らなかった・・・。
 
『伊勢神宮と出雲大社』新谷尚紀/講談社選書メチエ 道祖神からいつの間にか日本神話の世界に入り込んで、こんな本にまで興味が及ぶようになった。

以前ブログに次のようなことを書いた。**手元の資料には道祖神は古代中国の思想―道教から発生したものだと書かれていて、わが国に伝わると神道や仏教、俗信と融合して民衆に次第に浸透して、厄除け、五穀豊穣、生産、安産を祈願する神と見立てて祀ったものだとある。**

道教って何だろう、どんな教えだろうと思っていた。それで書棚をあちこちのぞいて結局買い求めた本が『道教の世界』菊池章太/講談社選書メチエだった。カバーの裏面に**複雑怪奇な道教の世界の神髄を縦横無尽に解き明かす。**とある。

 

『古事記誕生 「日本像」の源流を探る』工藤隆/中公新書を読み終えたら読もう。でも他に数冊、読みかけの本もある。ゴールデンウィークは読書三昧か・・・。

結局何か書きたいのか分からない文章になってしまった。でもこれでいいのだ、ニャロメ。



 


行方定めぬ文章も捨てがたい・・・

2012-04-05 | A あれこれ

 自戒の念を込めて本稿を書く。水曜日の朝刊(信濃毎日新聞)には教育欄があって、教育に関する小論が毎週掲載される。今日(4日)の朝刊に、ある教育研究家の「教育委員会の責任 民意反映の公選制導入を」という小論が掲載された。九つの段落からなる文章だが、各段落の関係、つながりがどうもよくつかめない。文章全体の論理構成がよく分からないのだ。

自分も普段このような文章を書いているのではないか、と反省した。何を書くのかを決めずにブログを書きだしている。行方定めぬ、海図なき航海。これではダメだ。

先週水曜日(120328)の同欄に数学者の秋山仁氏の「変わる米国の教育現場 社会とミスマッチ 解消模索」という小論が掲載された。文章全体における各段落の位置づけが明確で、説得力のある分かりやすい文章になっていた。数学の証明問題の模範解答のような文章だと書けば雰囲気が伝わるかもしれない。こういう文章を書かなくてはいけないなと思って、記事を切り抜いて保存した。

何を書くか、どういう順序で書くか、どのような例を挙げるか。説得力のある文章を書くために常にこのことを意識したい。でも ♪行方定めぬ波枕的な文章も捨てがたいな・・・。


 


ブックレビュー 1203

2012-04-01 | A ブックレビュー



3月の読了本レビュー

『変な給食』 『もっと変な給食』幕内秀夫/ブックマン社

トンデモ給食オンパレード。栄養士が考える給食のメニューがなぜ、こんなことになってしまうのだろう、と思いながら掲載されている給食の写真を見た。ただし給食の写真は全国から送られてきた献立表をもとに、スタッフが食材を集め、実際に調理して撮影したものだという。本の帯には**あぶない給食現場を実況中継**とあるのに、間接取材に終始しているのは残念だ。実際に各学校を訪ねて給食の写真を撮り、子どもたちや保護者、先生、そして調理員や栄養士に直接取材して欲しかったと思う。

『幽霊』 『木精』北杜夫/新潮文庫

北杜夫の作品は「マンボウもの」に代表されるユーモア作品と「幽霊」や「楡家の人々」などの純文学作品とに大別される。読者もマンボウ派と幽霊派に分かれる。「幽霊」とその続編「木精」、共に4、5回目の再読。両作品に漂う寂寥感、孤独な翳りが好きだ。また読みたいと思う日が来るだろう・・・。

『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥 重/ちくま新書



高校生のとき、この本を読んで以来 脳科学に関する本を時々読んできた。難しいけれど興味深い分野だ。

『気仙沼に消えた姉を追って』生島淳/文藝春秋

気仙沼出身の生島淳さんは、お姉さんを東日本大震災で亡くされた。生島さんは震災で行方不明になったお姉さんを探すべく気仙沼を訪れる。それは故郷気仙沼を知る旅でもあり、家族のことを知る旅でもあり、お姉さんの死を受け入れる旅でもあった・・・。

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』古賀史健/星海社新書

「どう書くか」の前に「何を書くか」が問題。でもそれを教えてくれる本など無い・・・。

星海社新書は2011年の創刊。


 


262 安曇野市豊科踏入の火の見櫓

2012-04-01 | A 火の見櫓っておもしろい

 
262

3角形の櫓、円形の見張り台、6角形の屋根

 

すっきりした見張り台まわり。屋根を支える部材の構成が分かる。3本の柱の頂部を結ぶ横架材から腕木を持ち出し、先端に滑車をつけている。これはホースを引き上げるためのもの。滑車で引き上げたホースを直下のバーに掛けて干す。


撮影日120329


 


ホキ美術館 

2012-04-01 | A あれこれ

週末東京 その7








ホキ美術館@千葉市  撮影120325

 ドーダの建築。30メートルのキャンチレバーだぞ、ドーダすごいだろ。しかも筒状に閉じていないんだぞ、ドーダすごいだろ。日建はこんなことだってできちゃうんだぞ、ドーダすごいだろ。

2枚の鋼板と中骨からなるサンドイッチ構造の「プレート」で「日」を横にしたような断面を構成している。ただし、南側はプレートが上部のみで、下はガラスになっている(写真④)。ということで、外観上筒状に閉じていない構造だが、北側の壁と間仕切壁、床と屋根の各プレートで筒状に閉じたキールを構成して、構造的に成立させている。

構造的に高度な解析をしたんだろうな、と思う。でもデザイン的な必然性を感じない。なぜ、30メートルものキャンチレバー構造にしなくてはならなかったのか、分からない・・・。そこでドーダの建築、高度な構造解析力を自慢する(だけの)建築ではないかと思った次第。もちろん、すごいことは認めた上で。

*****

ホキ美術館は写実画専門の美術館で、コレクションは300点にもなるそうだ。細密に描かれた風景や女性の絵がリニア―な展示空間に並ぶ。写実画には画家の個性が出ないのでないか、どの作家の作品も同じようなものではないのか。実際に鑑賞する前は、こう思っていた。だが、違っていた。

作家の描画テクニックが違う、美意識が違う。1番すごいと思ったのは、島村信行さんの作品だった。構図が決まっている。着ている服の質感が超リアル。光のやわらかな扱いがいい。モデルが美人。

建築に期待し、展示作品には期待していなかった。結果は逆になった。


 


あゝ 東京駅

2012-04-01 | A あれこれ

週末東京 その6

■ 1977年4月20日、外人記者クラブでの美濃部東京都知事(当時)のスピーチに対するひとりの女性特派員の質問が東京駅を保存する端緒となった、と言えるかもしれない。当時の新聞記事の切り抜きが手元にある。過去ログ

「東京駅の赤レンガは震災などをくぐり抜けてきた東京の名所。とりこわしてしまうのはどんなものか」

このような質問が出なければ、東京駅は「丸の内再開発構想」で解体され、新しい駅ビルに建て替えられてしまったかもしれないのだ。その東京駅で今秋の竣工をめざして復元工事が進められている。

東京駅にはとんがり屋根がいくつもある。なぜか・・・。西洋では天にまします神に少しでも近づきたいという願望が強くあって、それが建築デザインにも表現されている。で、西洋の建築デザインに学んだ東京駅の屋根はあちこちとんがらせてあるのだ。

この解釈が正解かどうか分からないが、とにかくあちこちとんがっている。「先端のデザイン」に注目して何枚か写真を撮った(120325)。






ガラスの超高層ビルに囲まれた東京駅。存在感が際立つ。


工事用仮囲いに掲示されている記事 撮影120325

東京駅が復元工事に至るまでには、いろんなことがあったんだな~。



繰り返しの美学な高架橋

2012-04-01 | B 繰り返しの美学

週末東京 その5





 先週末(24日、25日)東京した際、昌平橋を訪ねたのは、この繰り返しの美学な高架橋を見るためでもあった。JR中央線の神田駅と御茶ノ水駅の間にかつて万世橋駅があって、その跡地にレンガ造りのアーチが連なるこの美しい高架橋がある。

JR中央線の高架化が次第に郊外にまで進み、昔私が住んでいた国立あたりも数年前に高架化された。鉄筋コンクリート造の柱と梁でできた高架橋の味気ないこと、美しくないこと。カメラを向ける気など全く起きない。

写真の高架橋は明治末期に造られたものだという。地方にできた新幹線の駅舎は復元工事が進む東京駅に比べると全く見劣りがする、というか比ぶべくもない。駅舎、橋、校舎・・・。現代の建築物・工作物より戦前に造られたものの方がはるかに魅力的だ。

建築は文化的な営みだという考え方を捨て去った結果造られる舞台のセットのような見せかけだけの「張りぼて」が「本物」に優るわけがないのだ。


 


昌平橋の灯具

2012-04-01 | A あれこれ

週末東京 その4 


神田川に架かる昌平橋から聖橋方面を望む 撮影120324


昌平橋の親柱の灯具

 かぐや姫の歌にもなって有名な神田川は江戸時代の初期に流路が人工的に変えられている。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」で初めてこのことを知った。神田川は本郷台地の先端を掘り割って造られた人工的な谷を流れているのだ。 

昌平橋は神田川に架かる橋のひとつ。「先端のデザイン」という観察ポイントにより、橋の親柱に設置されている灯具に注目した。とはいってもこのような灯具を観察する目を持っていないので、写真を載せるにとどめざるを得ない。

丹念に橋の歴史を紐解いて文章にする日は来るだろうか・・・。


 


旧新橋停車場のプラットホーム

2012-04-01 | B 繰り返しの美学

週末東京 その3


撮影120324

■ 再現された旧新橋停車場の駅舎とプラットホーム。説明板によると、プラットホームの全長は約150メートルもあったそうだが、再現されたのは駅舎寄りの25メートル。150メートルのプラットホームはこの長さの6倍、繊細なデザインのフレームの繰り返し。美しかっただろうな・・・。


 


今和次郎 採集講義展

2012-04-01 | A あれこれ

週末東京 その2


 今和次郎。藤森照信さんは『日本の民家』という本の背表紙にこの名前をはじめて見たとき、イマワ・ジロウと読んで先輩たちに笑われたそうだ。イマワ・ジロウではなく、コン・ワジロウという名前だ。

今和次郎は、巾広い分野にわたって一般庶民の暮らしを丹念に観察し、詳細なスケッチを描いた。東京美術学校図案科卒業というだけあって、スケッチはいきいきとした線で的確に対象を捉えている。

24日(土)の午前中、パナソニック汐留ミュージアムで開催されていたこの展覧会を観た。

会場には大変な量の作品が展示されていた。今和次郎は「考現学」の創始者として知られているが、1927年の秋、新宿の紀伊國屋書店で「しらべもの展」を開催した際、「考現学」と命名したそうだ。会場にその時の様子を撮った写真が展示されていて、そこに添付されていた説明文に書かれていた。考古学があるなら、考現学があってもいいではないか、と考えたかどうかは分からないが・・・。

『おじさん図鑑』 なかむらるみ/小学館 という本がよく売れている。おじさんたちを観察していくつかのタイプに分類し、それぞれの特徴を捉えたスケッチを載せたおもしろい本だが、今和次郎はその始祖とも言える存在(いや、江戸時代の浮世絵師にもいたか・・・)。それから藤森さんたちが始めた路上観察も今和次郎は「路傍採集」として既にやっていた。

何にも興味・関心を抱き、自分の目で細部までじっくり観察し、それを自分の手で詳細にスケッチする。これが大切だということを改めて認識した。スケッチ、しなくちゃ。




今和次郎はなんと火の見櫓も観察していた! 会場に展示されていた火の見櫓のスケッチが収録されている文庫本『考現学入門』ちくま文庫を買い求めた。 この本は読み終えてから取り上げたい。