■ 明治元年(1868年)に新政府が発布した神仏判然令が廃仏毀釈運動を招き、全国で多くの寺院が取り壊され仏像などの貴重な文化財が破壊されました(過去ログ1 過去ログ2)。松本地域は全国でもこの運動が激しかったようです。山々で松本地域と隔てられている諏訪地域はどうだったのでしょう。諏訪大社に祀られていた多くの仏像は諏訪地域の寺院に移されて難を逃れました。
「諏訪神仏プロジェクト」は各寺院で大切に保管されてきた諏訪大社ゆかりの仏像を一斉に公開するという初の企画で、**諏訪大社の神さまと仏さまが150年ぶりに再会**というコピーが付けられています(開催期間は11月27日まで)。昨日(24日)諏訪地域の寺院に出かけてきました。今の世の中、文章より画像。以下、訪れた寺院を画像で紹介します。
平福寺
岡谷市長地
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本堂
阿彌陀如来(鎌倉期) 顔の表情がおだやかで実に美しい座像です。案内していただいた寺院の方の許可を得て撮影させていただきました。立像には全身のバランスの美がありますが、座像は安定の美?、どっしりとした姿で観る者に安心感を与えます。
慈雲寺
諏訪郡下諏訪町
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苔むす参道 正面に仁王門
本堂
本堂前の枯山水の庭園
温泉寺
諏訪市湯の脇
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本堂
遠く諏訪湖を望む庭園
多宝塔の周囲に御柱が立っています。寺院なのに御柱? そう、神仏習合を表す光景ですよね。そう思って写真を撮りました。アングルを工夫すればもっとわかりやすい写真が撮れたかもしれない、と反省しています。
佛法紹隆寺
諏訪市四賀桑原
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山門
本堂 庭は一面の敷イチョウ
普賢堂
台座の白象 鎌倉期 普賢菩薩像 1593年(文禄2年*1 戦国時代)
諏訪大明神御本地佛 普賢菩薩像
照光寺
岡谷市本町
山門を望む
本堂
本堂屋根の四隅に吊り下げられている風鐸
風鐸には魔除けの意味があるそうです。祭り神輿や灯籠、さらに火の見櫓の屋根の蕨手はこの風鐸と同じ意味があるのではないか、と考えています。座布団の四隅の房も魔除けの意味があるそうです(「チコちゃんに叱られる!」)。大相撲の吊屋根の四隅の房もやはり魔除けで、神聖な土俵を守るために下げられていると理解しています。
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今回のプロジェクトで特別公開されている千手観音は本来60年に一度の御開帳。高さは2、30cmほど。実に繊細なつくりでしばらく見入ってしまいました。
*1 諏訪市博物館の説明文
自宅から諏訪地域の諸寺へは車で小一時間、近くにすばらしい寺院がいくつもあることを知りました。廃仏毀釈運動で全国で数多の仏像などが失われてしまったこと(*2)、改めて残念に思います。
*2 **廃仏毀釈によって日本の寺院は少なくとも半減し、多くの仏像が消えた。哲学者の梅原 猛氏は、廃仏毀釈がなければ国宝の数はゆうに三倍はあっただろう、と指摘している。**(『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳/文春新書 11頁)