透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「高校生のための経済学入門」を読む

2024-02-14 | A 読書日記

360
朝カフェ読書@いつものスタバ 2024.02.13

『高校生のための経済学入門【新版】』小塩隆士(ちくま新書2024年)を読み終えた。経済学の基礎的な内容(なのかな)について、条件を単純化したモデルによって説明している。それでも経済学に関する知識ゼロという状態では内容を理解するのは難しい。記憶力、理解力が低下しているので尚更。

市場メカニズム、ミクロ経済学、マクロ経済学、需要曲線、限界効用、供給の価格弾力性、インフレ、デフレ、規制緩和、ジニ係数、GDP、・・・・・。経済学の基礎的用語の凡その意味、内容を一通り読んだ、という程度。今後、新聞の経済面の記事を読むようになるかどうか。日本経済新聞も文化面と土曜日の読書面しか読まないもんなぁ。


 


「高校生のための経済学入門」

2024-02-12 | A 読書日記

320
■ 『高校生のための経済学入門』小塩隆士(ちくま新書2024年)を読み始めた。

書名に経済、経済学とつく本を読むのは初めてではないが学生時代から数えても数冊しかないと思う。帯の**全体像を一気につかむ!**と言うフレーズに惹かれた。そして、高校生を対象に書かれた本なら、自分にも理解できるかもしれないと思って買い求めた。高校生並みの理解力があるのか、あやしいものだが。

何も今さら、関心の無い分野の本を読まなくてもいいじゃないか、と思わないでもない。先日スタバでI君と4時間も話し込んだが、彼は日本の歴史に関する本を読み続けているとのことで、古代史から現代史まで縦横に論じていた(過去ログ)。そのような読書もありだと思う。しかし、経済について基礎的な知識が全くないというのでは、なんとも切ない、情けない・・・。今からでも遅くない(遅いけど)、経済学の基本の基が学べれば。

市場メカニズムって何?


 


図書カードで購入した本

2024-02-11 | A 読書日記

360

 正月にMからプレゼントされた図書カードで買い求めた本、8冊。今日(11日)Mにこの写真をラインで送って報告した。残額は今日(11日)書店で注文した『空想の補助線』前川 淳(みすず書房)に充てることにした。

『空想の補助線』は1月27日付 毎日新聞と2月3日付 信濃毎日新聞の読書面で紹介されていた。著者の前川さんは折り紙作家で国立天文台の野辺山宇宙電波観測所で働くエンジニアとのこと。自称「理科系の文学青年」の前川さんのエッセー集。

**折り紙は幾何学と美術や工芸、天文学は物理と文学や歴史と、「両方とも文系と理系を結びつける格好の『入り口』です。** 
**折りたたみ構造が建築や工学などの幅広い分野でも注目されている。**

上掲の前川さんを紹介する信濃毎日新聞の記事を読んで、おもしろそうだなと思った。定価2970円と高額だが、たまにはいいだろう。


『高校生のための経済学入門』小塩隆士(ちくま新書2024年)はこれから読む本、
『日本人なら知っておきたい日本の伝統文化』吉村 均(ちくま新書2023年)は既に読み終えた本。
 字面を追っただけ。内容を理解することができなかった。
『空海に学ぶ仏教入門』も同じ著者の本だが、やはり理解できなかった(過去ログ)。もちろん、読み手の僕の読解力不足にその原因はあるのだろうが。


カレー大作戦

2024-02-10 | A あれこれ

360

 全国各地で行われている子ども食堂。我が村でも今年度10回予定されている。題して「カレー大作戦」。子ども(18歳以下)は無料、大人は300円。

今日(2月10日)、今年度9回目が行われた。毎回、配布開始11時半、無くなり次第終了ということで、11時過ぎに会場に行くと既に30人位だろうか、並んでいた。3食、4食と家族全員分受け取る人もいるから、ちょっと心配した。スタッフの方がこの辺りまでは大丈夫だと思いますと、私の後方で言っていたので、一安心。

順番が来て、受付をすませて1食受け取った。この時季、屋外で食べるというわけにも行かず、自宅に持ち帰った。事情が許せばすぐ近くの公民館の講堂を会場に、みんなで食事会をしても良かったかもしれない。いや、まだコロナ感染が心配か・・・。

袋から取り出してびっくり。彩りが好い。このカレーを100食つくるのは大変だっただろうな、と昨秋の経験から思う(わが二八会のカレー大作戦)。容器を手に持つとまだ温かかったけれど、電子レンジで温めて、いただいた。

この写真を28会(正しくは漢数字表記)のグループラインにアップすると、「味 28会との違いありましたか?」「盛り付けがやはりプロですね」「うまそう」というコメントがあった。

カレーの味を表現することばを持ち合わせていないので、食べやすい味でした、と返した。カレーはよく食べるのに・・・(過去ログ)。次回は3月16日、今年度最終回。28会のメンバー誘って、一緒に食べるってのもいいかもしれない。


 


雪景色スケッチ雑感

2024-02-10 | A 火の見櫓のある風景を描く

 本を読んでいると、絵に関する記述に出会うことがある。『風神雷神 上』原田マハ(PHP2019年)に次のような件(くだり)があった。**(前略)けれど宗達は、かたちを創るためにきっちりと筆で輪郭をなぞるのではなく、むしろそれを「ぼかす」ことによって、絵に不思議な奥行きが生まれることを、その「染み」によって気づかされた。**(223頁)

織田信長の命によって俵屋宗達が狩野永徳と共同で、というか永徳の指導の下で「洛中洛外図」を制作している時のことだ。宗達の筆から水気の多い薄墨が紙の上に垂れ落ちてしまう。宗達が布でとんとんと叩くと、墨がにじんで雲のように広がっていく。その様を見てこのように気づいたのだ。

 
僕はスケッチでまず風景を構成している要素の輪郭線をきっちり描く。この雪景色で最初に引いたのは右側の屋根の棟の線だが、今まで通り連続線を引いた。雪に覆われた屋根棟にははっきりした輪郭線はないけれど・・・。

雪によって輪郭が曖昧になった屋根や樹木を確定的な実線で描くことになんとなく違和感を覚え始めて、最後に描いた後方の高木は輪郭線を実線ではなく曖昧な破線にした。そうすることで線描したこの段階で雪景色の雰囲気が出ていると思うが・・・。

線描には黒い色のペンを使っている。この風景もそう。SNSにポストすると、ある方から黒ではなく、グレーとか青灰色インクを使うってのはどうだろう?というコメントをいただいた。青灰色、なるほど。

常緑樹のくすんだ緑色と降り積もった雪との間に明確な境界がないところは線描しなかった。着色するとき、線のないところで塗り分けた。これは以前からイメージしていた描法。雪の陰の部分を明るいグレーで塗った。陰をグレーではなく、薄い紫とか青で塗ったらどうだろう。雪の陰を無彩色のグレーで塗るというのは極めて常識的でおもしろくない。

初めて雪景色を描いていろいろ課題が出た。また雪景色を描きたい。 でもあまり降って欲しくない。 なんとも矛盾する気持ち。


 


「風神雷神」を読む

2024-02-09 | A 読書日記

 『風神雷神 上下』原田マハ(PHP2019年、図書館本)を読み終えた。

狩野永徳と俵屋宗達が共同制作した「洛中洛外図屏風」をローマ教皇・グレゴリウス十三世へ献上せよという織田信長のミッションを果たした使節はその後、イタリア国内を巡り、帰国の途につく。原田マハさんはその様子を詳しくは描かない。ただし、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ使節団の一員・原マルティノと共に出かけた宗達が食堂でレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観たことと、そこでカラヴァッジョ(*1)と出会ったということを詳しく描いている。

京都国立博物館のキュレーター・望月 彩が俵屋宗達の「風神雷神図屏風」に関する講演をするところから始まるこの物語。講演終了後、マカオ博物館の学芸員・レイモンドという男が彩に面会を求めてくる。レイモンドは彩に宗達に関する資料があると伝える。その資料とは「ユピテルとアイオロス(雷神と風神)」が描かれた西洋画の油絵と原マルティノが残したと思われる紙の束だった。そこには俵屋宗達という文字があった! プロローグに示されたこの謎。下巻の最終第四章で謎が解き明かされる。なるほど、こういうことだったのか・・・。

エピローグで原田マハさんは望月 彩の名を借りて、この物語の着想について説いている。以下に適宜抜粋してこのことを示したい。

**歴史上の偶然なのだが、宗達とマルティノは同時代に生きていたことになる。― そう、もっと言えば、あのカラバッジョも。**(310頁)
**使節がミラノを訪れたのは一五八五年、九日間の滞在だった。とすれば、原マルティノとカラヴァッバッジョは「九日間」だけ同じ街にいたのだ。**(311頁)
**宗達が織田信長の前で作画を披露した事実はどこにもない。ましてや、信長の意向を受けて、使節とともにローマへ旅した ― などということは、研究者が聞けば一笑に付される「夢物語」である。
けれど ―。
それでいいではないか。**(311頁) 原田さんに拍手!


*1 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 小説では宗達がレオナルド・ダ・ヴィンチに倣って出身地のカラヴァッジョを付けようと提案したことになっている。


「風神雷神」原田マハ

2024-02-09 | A 読書日記

『モダン』
『異邦人』
『楽園のカンヴァス』
『美しき愚かものたちのタブロー』
『黒幕のゲルニカ』
『本日はお日柄もよく』
『たゆたえども沈まず』
『カフーを待ちわびて』
『デトロイト美術館の奇跡』
『リーチ先生』
『リボルバー』
『フーテンのマハ』
『ジヴェルニーの食卓』
『常設展示室』
『アノニム』

480

 原田マハさんの作品を上掲リストの通り読んできた。そして・・・、一番読みたいと思っていた『風神雷神 上下』(PHP2019年、図書館本)を読んでいる。既に上巻を読み終え、下巻も半分を過ぎた。

**花の都フィレンツェに完全に心を奪われてしまったのは、いうまでもなく宗達であった。**(下巻92頁)

本作品を未読だという方は、え?宗達って、俵屋宗達のことでしょ。彼がフィレンツェに行ったってこと? え、どういうこと・・・。と思われただろう。

俵屋宗達が天正遣欧使節の四人と共にルネサンス期のイタリアに降り立つ

**「宗達。きさま、パードレたちとともに、『きりしたんの王』のもとへ行ってこい」**(上巻271頁)

そう、『風神雷神』は織田信長の命により、なんと狩野永徳と俵屋宗達が共同して「洛中洛外図屏風」を制作、それをローマ教皇・グレゴリウス十三世のもとへ献上するために宗達が天正遣欧使節の4人の少年たちと一緒に神の国・ヴァチカンまで行くというストーリー。その後どういう展開になるのかはまだ分からない。プロローグの内容からある程度予想できるが。

こう書けばなんとも奇想天外なストーリーだなと思われるだろう。確かに。でも原田マハさんが組み立てたストーリーは全く違和感なく、進んでいく。原田さんの構想力の凄さに改めて驚く。フィクションの醍醐味を十二分に楽しむことができる。

日本から海路3年、ミケランジェロが制作した天井画のあるシスティーナ礼拝堂で「洛中洛外図屏風」の梱包が解かれる・・・。

**かたや「神に愛された人」と呼ばれ、名声をほしいままにし、八十八年の人生をまっとうして、栄誉のうちに神に召された、まごうかたなき天才。
かたや扇屋の家に生まれ、名声など皆無で、誰もまだその存在すら知らぬ少年絵師。
もはやこの世では会うことのないふたり。
しかし ― ふたりの魂の化身である「絵」が、この場でまもなく出会うのだ。**(下巻137,8頁)

「天地創造」と「洛中洛外図屏風」が出会うという奇跡。この場面を描いている時の原田さん、興奮しただろうな。


読了後に追記するつもり。


火の見櫓のある冬景色を描く

2024-02-08 | A 火の見櫓のある風景を描く


長野県朝日村にて 描画日2024.02.06,07

 初めて描いた冬景色。風景構成要素の形をまず線描するという方法を採っていますが、雪によってその形がよく分からなくなっています。曖昧な輪郭、その様をどのように線描したものか・・・。このことはこれからの課題です。

雪で線の要素が隠れているので線描には時間がかかりません。30分くらいでした。この時季、それ以上現地で立って描くのはつらいですから、ちょうど良かったです。

冬は色が少ないです(参考に2023年の秋に描いたスケッチを載せました)。積雪によって更に色が消されています。この風景をどう捉えるか、単調な色彩にこそ魅力があるのだ。このことが表現できればいいかなと思って着色しました。着色に要した時間はおよそ75分。もっとグラフィックな表現も良いかなと思います。

初めての雪景色、とりあえず雪がたくさん降った、ということが伝われば可とします。




昨年の10月に同じ場所で描いた秋景色


 


「安曇野」大河ドラマ化実現へ奮闘中

2024-02-07 | A あれこれ

360

 小説『安曇野』NHK 大河ドラマ化実現へ奮闘中 

えっ 奮闘しているのはどこ? この長編小説の作者の臼井吉見は現安曇野市の出身。で、奮闘しているのは安曇野市。この小説と大いに関係のある塩尻市と松本市も一緒に奮闘して欲しい。「小説『安曇野』をとりまく人々」という企画展を三市が連携して行っているのだから(*1)。


自室の書棚の「安曇野」

ところが・・・、『安曇野』が現在絶版だという。単行本だけでなくちくま文庫も絶版のようだ。本は次々絶版になる。だが、売れなくとも名作は絶版にはしないという責務が出版社にはあると私は言いたい。

筑摩書房を創立した古田 晁(現塩尻市出身)と臼井吉見との関係、臼井吉見と筑摩書房との関わりを考えれば尚更だ。(過去ログ

大河ドラマ化が実現すれば復刊されるだろう。そうでなくても、せめて文庫は・・・。


*1 6日付 信濃毎日新聞19面の記事による。安曇野市中央図書館の他、同市内の豊科、三郷、堀金、明科の各図書館(~3月28日)、松本市中央図書館(~2月25日)、塩尻市立図書館(えんぱーく ~2月25日)で開催中。


235枚目

2024-02-06 | C 名刺 今日の1枚

 先日(1月27日)朝日村歴史講座で開催された講演「朝日村の縄文土器はどこの土で作られたのか?」を聴いた。講師の下田 力さんは朝日村在住で地質コンサルタントをしておられる方。

講演は地質断面図や縄文海進図(*1)、松本地域の縄文遺跡の分布図、縄文土器に使われた土の成分分析をしている様子など、講演内容に関係するの画像を大型スクリーンに映して、説明を加えるというごく一般的な方法によるものだった。



 
講演会場(朝日村中央公民館講堂)に展示されていた縄文土器と安曇野市在住の彫刻家・濱田卓二さんが朝日村の土で創った作品

講演内容で確認したいこと、さらに知りたいことがあり、今日(6日)下田さんの事務所にお邪魔した。初対面ではないが名刺を交換した。渡したのは235枚目の名刺だった。下田さんからいただいた名刺は2枚で、仕事用の名刺には地質コンサルタントと表記され、その下に地質調査技士/地すべり防止工事士/一級土木施工管理士と記されている。

プライベート用の名刺には日本流星研究会会員、日本火球ネットワークと記されている。そう、下田さんは流星観察の第一人者でFBに観察レポートを載せておられる。流星観察を始めたのは中学生の時とのこと。


下田 力さん

私が知りたかったのは

①講演会で示された鎖川両岸の地質断面図は縄文時代のものだったが、さらに5000年、1万年、あるいはもっと遡った年代の地質断面はどのような様子だったと推測されるのか。
②村内には縄文遺跡が何か所もあるが、その中のひとつ、山鳥場遺跡(過去ログ)から出土した土器は鉄の成分がかなり多く、講演で土器の破片が磁石につくことが示された。土器をつくる粘土に鉄分を加えたもの考えられるとのことだったが、その目的と方法について。
以上の2点だった。

①および②、それから流星や火球(明るい流星)について、興味深い話を聞かせていただいた。具体的な内容については省略する。②については下田さんの専門領域から少し外れると思う。縄文土器(朝日村の熊久保遺跡から出土した土器も研究対象)の研究者が大変興味を示されたとのことだった。

自分が全く知らない世界のことを聞かせてもらうことは大変楽しい。知識が乏しいので理解が及ばないこともあるが、それでも。



下田さんの娘さんがご主人とやっている吉平酒店のワイン蔵を見せていただいた。地中熱を利用するシステムで蔵(貯蔵庫)の温度を一定に保持しているとのこと。おふたりと名刺を交換する機会もあるだろう。


*1 ネット検索で図が見つかります。東京は海中です。


「類」を読む

2024-02-05 | A 読書日記

360
 図書館から借りて来ていた『類』朝井まかて(集英社2020年)を読み終えた。森 鷗外には五人の子ども、三男二女がいたが、類は末子。その類を主人公にした鷗外の家族の物語。長編で約500ページある。

長男の於菟は鷗外の先妻の子で類と歳が21も離れていることもあり、物語に頻出するわけではない。また、次男の不律は生後半年で亡くなっている。物語には類と二人の姉の茉莉と杏奴との間の出来事が主に描かれている。

**台所からヒソヒソとやっている声が洩れてきた。女中と看護婦だ。
「いい年をしたお嬢様と坊ちゃんが、何を偉そうに」
「さんざん甘やかされてお育ちだから」**(223,4頁)

このような件もあるように、読んでいて類はずいぶん甘ったれた生き方をしているな、と思った。ただ、文豪鷗外の子という宿命を処して生きたのだと思えば、類の生き方に頷けないこともない。類の生き方をどう評したものか・・・。類だけでなく、二人の姉も。昨日(4日)読了したばかりでまだ定まっていない。

類は出版社に職を得るも仕事ができず、**「役に立つ、立たないじゃないんですよ。あなたのような人が生きること自体が、現代では無理なんです」**(324頁)などと辛辣なことを言われる始末。このことばをどう解するか・・・。

小説を書いて出版社に持ち込んでも大して評価されない。**「駄目というより、小説になっていませんね。いっそ題材を変えて、別のものを新しく書かれた方がいいかもしれない」**(342頁)

物語の終盤。

**どうして何もしないで、ただ風に吹かれて生きていてはいけないのだろう。どうして誰も彼もが、何かを為さねばならないのだろう。
僕の、本当の夢。
それは何も望まず、何も達しようとしないことだ。質素に、ひっそりと暮らすことだ。**(456頁)類がこんな風に考えていたことが明らかになる。確かにこんな風に暮らすのも良いかもしれないなと、この頃思わないでもない。

類に美穂という良妻がいなかったら、彼の生活はどうなっていただろう・・・。よく類を支え続けたと思う。

物語の途中で、鷗外が小倉に赴任していた時期に付けていた日記が見つかる、という出来事が出てくる。「小倉日記」だ。類の母親の箪笥から出てきたと、文中にある。(350頁)

松本清張はこの日記のことを『或る「小倉日記」伝』という小説に書き、芥川賞を受賞している。この小説の紹介をしようと思ったが、次のように書かれているので引用する。

**この小説の主人公、鷗外の小倉日記の行方を捜して生涯を懸けてしまったのでしょう。それで彼が息を引き取った後、鷗外の遺族が日記を発見するという筋立てだわ。この遺族って、私たちのことですよね。**(430頁)

**類はなぜ、こういう小説を思いつかなかったのだろう。**(430頁)と肩を落とす。

昔、ちくま文庫で茉莉の作品かな、何か読んだような気がするが書名も覚えていない。鷗外に類という息子がいたことは知っていたが、どんな人物なのか、全く知らなかった。『類』を読んで、生涯を知ることができた。

朝井まかてさんは、ちょっと脇にいるような人物に光を当てる。『恋歌』では樋口一葉ではなく、一葉の師で歌人の中島歌子に光を当てた(過去ログ)。鷗外の子で茉莉でも杏奴でもなく類にスポットライトを当てたのはさすが。読み終えてそう思った。『茉莉』でも『杏奴』でもない。やはり『類』だ。


 


ブックレビュー 2024.01

2024-02-04 | A ブックレビュー

360

■ 2024年1月、今年初めてのブックレビュー。読んだのは写真の8冊と図書館本の朝井まかて『白光』。

『アノニム』原田マハ(角川文庫)
年越し本。既に読み終えている原田マハさんの作品の中では『アノニム』が一番娯楽性の高い作品だった。これで読もうと思っている作品は『風神雷神』だけになった。この長編小説を読んで一区切りとしたい。

『モダン』
『異邦人』
『美しき愚かものたちのタブロー』
『楽園のカンヴァス』
『黒幕のゲルニカ』
『本日はお日柄もよく』
『たゆたえども沈まず』
『カフーを待ちわびて』
『デトロイト美術館の奇跡』
『リーチ先生』
『リボルバー』
『ジヴェルニーの食卓』
『常設展示室』

『グッドバイ』朝井まかて(朝日文庫)
実在の商人・大浦 慶の生涯。表現力豊かな朝井さんの作品は追っかけしてもよい。

『免疫「超」入門』吉村昭彦(講談社 ブルーバックス)
ヒトが備えている免疫システムのなんと複雑でなんと巧妙なことか。記憶力の衰えが理解を阻害している。残念。

『坊っちゃん』夏目漱石(集英社文庫)松山旅行を機に再読した。

松山での一年足らずの教員生活の後、東京に戻ってきた坊っちゃん。**(前略)革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落とした。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと言った。**(173頁)

これはもう母と息子の涙の再会シーンではないか。読んでいてそう思ったら涙が出た。漱石は坊っちゃんに我が身を重ね、清に母親を求めていたのではないか。そう、坊っちゃんにとって、そして漱石にとって清は母親だったのだ。以上01.15の記事。

『眠れないほど面白い 空海の生涯』由良弥生(三笠書房 王様文庫)
空海は天才だ。他に評しようがない。

『源氏物語と日本人』河合隼雄(岩波現代文庫)
**紫式部という女性が、自分の内界に住む多くの分身を語りつつ、全体として一人の女性存在を表そうとするとき、その中心に、言わば無人格的な光源氏という男性を据えることにしたと考えられる。**(201頁)自分の分身としての女性像。なるほど、心理学者である著者は、こう捉えるのか・・・。

『生き物の「居場所」はどう決まるか』大崎直太(中公新書)
生物が個体として持っている生き残るための複雑なシステム。そして本書に示されている群として持っている生き残るための様々な戦略。

『在日米軍基地』川名晋史(中公新書)
**世界で最も多くの米軍基地を抱え、米兵が駐留する日本。米軍のみならず、終戦後一貫して友軍の「国連軍」も駐留する。なぜ、いつから基地大国になったのか。米軍の裏の顔である国連軍とは。**カバー折り返しの本書紹介文より 

本書から日本が戦争しない国から戦争できる国、戦争する国に変わっていくプロセスを読み取ることができる。

『白光』朝井まかて(文藝春秋)
この国初の聖像画師(イコン画家)山下りんの生涯。『グッドバイ』の大浦 慶と山下りん。ひたすら自分の人生を生き切ったふたりの女性。

*****
2020年、松本市内の古書店に1,700冊の本を引き取ってもらった。その時、店主のWTさんから読書の傾向が全く分かりません、と言われたけれど、1月のブックレビューを見ると、自分でも分からない。

今後、読書困難者にはならないと仮定しても読むことができる書籍は10年で500冊。どうする、何を読む。





新聞の読書面

2024-02-03 | D 新聞を読んで

 週末に新聞各紙に掲載される読書(書評)面。全国紙では朝日、毎日、日経には土曜日に、読売と産経には日曜日に掲載される。購読している信濃毎日新聞には土曜日に掲載される。全国紙の読書面を読むために(そればかりでなく他にも読みたい記事があるが)、このところ日曜日に塩尻のえんぱーくへ出かけている。

今日(3日)の信毎の読書面で取り上げられた書籍で読んでみたいと思うのは『東京都同情塔』九段理江(新潮社)と『空想の補助線』前川 淳(みすず書房)の2冊だ。

『東京都同情塔』は東京オリンピックの新国立競技場の計画案として採用されたものの白紙撤回されたザハ・ハディドの未来的なデザイン案が実際に建築された東京が舞台だと知ると、それだけで読んでみたいなと思う。主人公が建築家だとなると尚更だ。だが、このところ、いやもう何年も前から単行本の小説を買い求めて読むことはなくなった。図書館にリクエストするか、文庫本になるのを待って読もうと思う。


みすず書房のHPより

もう1冊の『空想の補助線』の著者の前川 淳さんは記事によると、折り紙作家で、国立天文台の野辺山宇宙電波観測所で働くエンジニア。この本は自称理科系の文学青年が綴ったエッセー集と紹介されている。これは読みたい。

みすず書房の本は総じて高価だが、内容がそれに十分応えていることは今までの経験から承知している。この本は毎日新聞の読書面(2024.01.27)にも取り上げられている。明日(4日)、えんぱーくで読んで購入するかどうか、決めたい。今年は読み応えのある本を読もうと思うが、経年劣化しつつある脳が内容を理解してくれるかどうか・・・。


 


読書バリアフリー

2024-02-02 | D 新聞を読んで

360

 前稿にI君とカフェトークしたことを書いた。I君は何年か前から一貫して歴史書を読み続けている。私はというと関心の趣くままにあれこれ読んでいる。発散型人間だからだろう、関心があちこちに飛ぶ。

仮に後10年読書を続けるとすれば、1年で50冊、10年で500冊と想定した。だが・・・。

今日(2月2日)の信濃毎日新聞の文化面(11面)に「読者バリアフリーと出版界 当事者の声が社会動かす」という見出しの記事が大きく紙面を割いて掲載されていた。身体に障害のある作家・市川沙央さんの芥川賞受賞作『ハンチバック』が取り上げられていて、この作品によって**「多くの出版関係者は、市川さんが声を上げたことで障害当事者の困難を再認識したと思う。(後略)」**というある出版社の方のコメントが記事の中にある。

記事を読んで「読書困難者」について考えた。

私は図書館や書店へ車を運転して出かけることができ、本を借りたり買い求めることができる。本を読む姿勢(椅坐位)を保持できる。本を手に持ってページを繰り、文章を読むことができる。

今後10年で読むことができる本は500冊、と想定した。だが、これらの一連の行為のどれかが出来なくなれば本を読むことが困難になる。誰でも病気や事故によって読書困難者になり得るのだ。

「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律」通称、読書バリアフリー法の法文を文部科学省のホームページなどで読むことができる。活字等の文化の恩恵をすべての人が享受できる社会を実現するための法律と言えるだろう。だが、上記の一連の行為をサポートする環境を整備するとなると、多くのハードルがあるとことは容易に分かる。

ぼくにとって読書は食事と同じで、毎日欠かせない行為。今は何の不自由も無く本を読むことができるが、これは実に有難い、そう漢字の表記通りのことなんだ、と改めて思った。

読者バリアフリーの環境整備が進むことを望む。


 


カフェトーク@スタバ

2024-02-01 | A あれこれ

420

 久しぶりにIT君とカフェトーク。高校1年の時に同じクラスだったIT君とは1年に2,3回だろうか、カフェであれこれ話をする。過去ログを検索すると彼とのカフェトークの記事が数稿見つかった。2023年の3月、この時は4時間半も話し込んだと書いてあるが(過去ログ)、今日(2月1日)も午前10時半から午後2時半過ぎまで、4時間も話し込んだ。

IT君を待つ間、ぼくは図書館で借りた朝井まかての『類』(集英社2020年)を読んでいた。

「元気?」
「まあ、何とか」

読書家のIT君が鞄から取り出したのは『天孫降臨の夢』(NHKブックス)だった。著者の大山誠一さんは聖徳太子(今は厩戸皇子と呼ぶのが一般的)は実在しなかったという説を唱えている日本の古代政治史が専門の歴史学者とのこと。

1年前のカフェトークについて書いた記事は最後を次の様に結んでいる。**彼はもう一度、卑弥呼の時代から現代までの歴史書を読みたいと言っていた。系統的にあるテーマの本を読むっていいなぁ。発散型人間のぼくにはできないけれど・・・。** 

この時の話の通り、今もIT君は歴史書を読んでいる。で、最近は壬申の乱に特に興味があるとのこと。壬申の乱についてはぼくも本を読んだことがある(過去ログ1 過去ログ2)。だが、悲しいかなぼくの脳は記憶消去装置のスイッチがとっくにONになっていて、ごく大雑把な内容しか記憶に残っていない。もともと少ないのに・・・。だから、もっぱらI君の話の聞き役だった。ま、多少はぼくもコメントしたけれど。

IT君が取り出した『天孫降臨の夢』、天孫降臨といえばニニギノミコト、この時のナビゲーター役の神様って誰だっけ・・・。そう、サルタヒコ(猿田彦)。何とか思い出すことができた。 手塚治虫の「火の鳥」にも出てくるキャラクターだよね。どうもぼくは雑学的な話になってしまう。だが、IT君はこの本の内容をきっちり話してくれた。未だ脳の記憶消去装置のスイッチはONになっていないようだ。

歴史に関することでぼくが話したのは空海のことだった。繰り返し学習の効果か、空海の生涯については記憶がかなり残っていて、割と詳しく(そうでもないか)、IT君に話した。

IT君のレクチャーは聞いていて楽しい。いつ頃からか訊かなかったが、数学のこともあれこれ調べて勉強しているようで、フェルマーの最終定理やポアンカレ予想、後なんだっけ・・・、数学の難問についても話してくれた。

もうこんな時間だ。帰り際にIT君曰く、人生は知的に楽しまなきゃ。なるほど、今日の名言だね。忘れるといけないのでぼくは持ち歩いているノートに控えた。

帰りしな考えた。この先10年で読める本は500冊くらいかな、たった500冊・・・。読む本を吟味する必要があるな。これからは小説を読むなら岩波文庫に収録されているような作品かな。実行できるかな。ムリという内なる声・・・。