360
■ 図書館から借りて来ていた『類』朝井まかて(集英社2020年)を読み終えた。森 鷗外には五人の子ども、三男二女がいたが、類は末子。その類を主人公にした鷗外の家族の物語。長編で約500ページある。
長男の於菟は鷗外の先妻の子で類と歳が21も離れていることもあり、物語に頻出するわけではない。また、次男の不律は生後半年で亡くなっている。物語には類と二人の姉の茉莉と杏奴との間の出来事が主に描かれている。
**台所からヒソヒソとやっている声が洩れてきた。女中と看護婦だ。
「いい年をしたお嬢様と坊ちゃんが、何を偉そうに」
「さんざん甘やかされてお育ちだから」**(223,4頁)
このような件もあるように、読んでいて類はずいぶん甘ったれた生き方をしているな、と思った。ただ、文豪鷗外の子という宿命を処して生きたのだと思えば、類の生き方に頷けないこともない。類の生き方をどう評したものか・・・。類だけでなく、二人の姉も。昨日(4日)読了したばかりでまだ定まっていない。
類は出版社に職を得るも仕事ができず、**「役に立つ、立たないじゃないんですよ。あなたのような人が生きること自体が、現代では無理なんです」**(324頁)などと辛辣なことを言われる始末。このことばをどう解するか・・・。
小説を書いて出版社に持ち込んでも大して評価されない。**「駄目というより、小説になっていませんね。いっそ題材を変えて、別のものを新しく書かれた方がいいかもしれない」**(342頁)
物語の終盤。
**どうして何もしないで、ただ風に吹かれて生きていてはいけないのだろう。どうして誰も彼もが、何かを為さねばならないのだろう。
僕の、本当の夢。
それは何も望まず、何も達しようとしないことだ。質素に、ひっそりと暮らすことだ。**(456頁)類がこんな風に考えていたことが明らかになる。確かにこんな風に暮らすのも良いかもしれないなと、この頃思わないでもない。
類に美穂という良妻がいなかったら、彼の生活はどうなっていただろう・・・。よく類を支え続けたと思う。
物語の途中で、鷗外が小倉に赴任していた時期に付けていた日記が見つかる、という出来事が出てくる。「小倉日記」だ。類の母親の箪笥から出てきたと、文中にある。(350頁)
松本清張はこの日記のことを『或る「小倉日記」伝』という小説に書き、芥川賞を受賞している。この小説の紹介をしようと思ったが、次のように書かれているので引用する。
**この小説の主人公、鷗外の小倉日記の行方を捜して生涯を懸けてしまったのでしょう。それで彼が息を引き取った後、鷗外の遺族が日記を発見するという筋立てだわ。この遺族って、私たちのことですよね。**(430頁)
**類はなぜ、こういう小説を思いつかなかったのだろう。**(430頁)と肩を落とす。
昔、ちくま文庫で茉莉の作品かな、何か読んだような気がするが書名も覚えていない。鷗外に類という息子がいたことは知っていたが、どんな人物なのか、全く知らなかった。『類』を読んで、生涯を知ることができた。
朝井まかてさんは、ちょっと脇にいるような人物に光を当てる。『恋歌』では樋口一葉ではなく、一葉の師で歌人の中島歌子に光を当てた(過去ログ)。鷗外の子で茉莉でも杏奴でもなく類にスポットライトを当てたのはさすが。読み終えてそう思った。『茉莉』でも『杏奴』でもない。やはり『類』だ。