■ 『風神雷神 上下』原田マハ(PHP2019年、図書館本)を読み終えた。
狩野永徳と俵屋宗達が共同制作した「洛中洛外図屏風」をローマ教皇・グレゴリウス十三世へ献上せよという織田信長のミッションを果たした使節はその後、イタリア国内を巡り、帰国の途につく。原田マハさんはその様子を詳しくは描かない。ただし、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ使節団の一員・原マルティノと共に出かけた宗達が食堂でレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観たことと、そこでカラヴァッジョ(*1)と出会ったということを詳しく描いている。
京都国立博物館のキュレーター・望月 彩が俵屋宗達の「風神雷神図屏風」に関する講演をするところから始まるこの物語。講演終了後、マカオ博物館の学芸員・レイモンドという男が彩に面会を求めてくる。レイモンドは彩に宗達に関する資料があると伝える。その資料とは「ユピテルとアイオロス(雷神と風神)」が描かれた西洋画の油絵と原マルティノが残したと思われる紙の束だった。そこには俵屋宗達という文字があった! プロローグに示されたこの謎。下巻の最終第四章で謎が解き明かされる。なるほど、こういうことだったのか・・・。
エピローグで原田マハさんは望月 彩の名を借りて、この物語の着想について説いている。以下に適宜抜粋してこのことを示したい。
**歴史上の偶然なのだが、宗達とマルティノは同時代に生きていたことになる。― そう、もっと言えば、あのカラバッジョも。**(310頁)
**使節がミラノを訪れたのは一五八五年、九日間の滞在だった。とすれば、原マルティノとカラヴァッバッジョは「九日間」だけ同じ街にいたのだ。**(311頁)
**宗達が織田信長の前で作画を披露した事実はどこにもない。ましてや、信長の意向を受けて、使節とともにローマへ旅した ― などということは、研究者が聞けば一笑に付される「夢物語」である。
けれど ―。
それでいいではないか。**(311頁) 原田さんに拍手!
*1 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 小説では宗達がレオナルド・ダ・ヴィンチに倣って出身地のカラヴァッジョを付けようと提案したことになっている。