(大津宿本陣跡)
大津宿は、京都を出て最初の宿場であった。大阪屋嘉右衛門家(大塚本陣)と肥前屋九左衛門家の二軒の本陣と、播磨屋市右衛門の脇本陣を有し、街道筋には多数の旅籠が軒を並べていた。大津は、北国街道と東海道の合流地点でもあり、さらに湖上交通の拠点でもあったことから、宿場町として繁栄を極めた。しかし、現在遺構らしきものは一切残っておらず、大塚本陣の跡地に、明治天皇の休息所として利用されたことを示す聖跡碑が建てられているのみである。
明治天皇聖跡
文久元年(1861)十月二十一日、江戸に向かう和宮が最初に宿泊したのが大津であった。
大津宿は、京都を出て最初の宿場であった。大阪屋嘉右衛門家(大塚本陣)と肥前屋九左衛門家の二軒の本陣と、播磨屋市右衛門の脇本陣を有し、街道筋には多数の旅籠が軒を並べていた。大津は、北国街道と東海道の合流地点でもあり、さらに湖上交通の拠点でもあったことから、宿場町として繁栄を極めた。しかし、現在遺構らしきものは一切残っておらず、大塚本陣の跡地に、明治天皇の休息所として利用されたことを示す聖跡碑が建てられているのみである。
明治天皇聖跡
文久元年(1861)十月二十一日、江戸に向かう和宮が最初に宿泊したのが大津であった。