史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

東山

2017年06月02日 | 京都府
(将軍塚青龍殿)


将軍塚と青龍殿

 将軍塚へは、清水寺の境内を経由する道と岡崎方面から登る道の二通りがある。前もって父に調べてもらった結果、岡崎公園から長楽寺へ抜けて、門前を左折してあとはひらすら山頂を目指すルートを採用することにした。長楽寺の前を通過して約二十五分で青蓮院の門前に出る。
 この日は久しぶりに父も同行することになった。以前は私の史跡巡りによく付き合ってくれたが、八十を越えてさすがに私のペースについて来られなくなってきた。今回はたかだか三十分足らずの登山であるし、東山山頂に登るのもこれが最後の機会かもしれないということで、同行してくれることになった。
 父は余程嬉しかったらしく、将軍塚で会う人ごとに
「下から登ってきましてん。」
「今年で八十六になります。」
と言い触らす。それを聞いた相手は
「ほーっ」
と感嘆し、決まって「お若いですね」というものだから、有頂天であった。
 青龍殿は、国宝青不動を祀る建物で、清水寺の舞台の4・6倍の広さを誇る大舞台が新設されている。ここから京都市内が一望できる。京都が山に囲まれた盆地であることや、御所がかなり広い場所を占めていることなどが一目でわかる。
 円形の古墳状の塚には、桓武天皇が和気清麻呂を伴ってこの地に至り、京都を都とすることを決めたという言い伝えが残る。この場所に将軍(坂上田村麻呂)の像に甲冑を着せたものを埋め、都の安泰を祈ったと伝えられる。将軍塚の周りには東郷平八郎や黒木為禎といった武人が植えた松がある。


東郷(平八郎)手植えの松


黒木(為禎)大将手植えの松

 また庭園には大隈重信が植樹を記念した石碑もある。傍らの松は、大隈の手植えの松から四代目という。


大隈重信公 手植松

 さて、今回将軍塚を訪問した目的は、その近くにある井上世外(馨)詩碑を訪ねることにあった。将軍塚青龍殿から少し離れた山頂公園から清水寺方面に下る道の途中にこの石碑は立っている。


井上世外詩碑

 井上世外詩碑と、この後紹介する伊藤博文詩碑は、二人が明治四十二年(1909)、木戸孝允の三十三回忌列席のために上京し、その際に作詩した七言絶句を石碑にしたものである。

天懸海外三千界
月満人間幾百州
侯爵井上世外

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銀閣寺

2017年06月02日 | 京都府
(中沼了三先生講書之邸址)
 銀閣寺前の道の両側にはお土産を売る店がぎっしりと並ぶ。その喧噪を抜けて、銀閣寺の前を左に折れると突き当りが八神社である。神社境内に入らずにそこも右手に折れると、大文字山への登山道である。数分も歩くと左手に中沼了三が明治以降、住居を構え講義を行ったという跡地に至る。


贈正五位中沼先生講書之邸址

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花園 Ⅱ

2017年06月02日 | 京都府
(妙心寺大法院)


妙心寺

 臨済宗大本山妙心寺も、京都にいくつかある巨大寺院の一つである(右京区花園大藪町20)。境内は方500㍍に及び、塔頭は四十余。そのうちの一つ大法院には幕末の思想家、佐久間象山の墓がある。


妙心寺大法院


妙心寺大法院
路地庭園

 毎年、四月から五月の春季と、十一月の秋季に限って公開されている。ようやくゴールデンウィークに京都を訪ねることができた。真っ先に妙心寺大法院に直行する。インターネットで調べても大法院が春の特別公開を実施しているのか、さほど熱心に宣伝している様子はなかったので、ここを訪れるまで半信半疑であった。
 拝観料は七百円。庭の見える客殿の広間に案内されると、お茶とお菓子が提供され、ボランティアの方がこの寺の由来などを解説してくれる。
 この寺は、寛文二年(1662)真田信之の孫娘長姫が創建したもので、以来真田家の京都における菩提寺となった。墓地には真田信之やその子の信吉、長姫らの墓が残されている。
 客殿を囲む庭は、路地庭園と呼ばれ、茶室に付随したものである。新緑と紅葉の季節のみ公開される。新緑が目に鮮やかであった。
 住職は、昨年亡くなった九重親方(元横綱千代の富士)と親交が厚く、入り口には九重親方の写真や書が飾られている。近く横綱千代の富士の銅像を境内に建てる計画もあるそうである。
 客殿には象山の書「真賞」が掲げられている。ボランティアの方にその意味を聞いてみたが、残念ながらご存知なかった。
 この寺に象山の墓があるのは、象山が真田家の封じられた松代藩の出身だった縁である。元治元年(1864)京都で暗殺された象山は、この寺に葬られた。この墓を建立したのは、象山の子恪次郎である。


象山佐久間先生墓

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