(グリーンピアセカンド)
浮浪徒十四人之墓
水戸浪士(天狗党隊員)の戦死者を葬った「浮徒十四人之墓」を探して、この辺りを走り回ること四度に及んだが、どうしても見付けることができない。そこで那須町観光協会に問い合わせたところ、写真付きで詳しい地図を送っていただいた。これがあれば、迷うことなく探し当てることが可能である。
七月のどんより曇った日、念願を果たすため、早朝に自宅を出発して一路浮徒十四人之墓を目指した。場所は県道72号を進んで黒川橋を渡って直ぐに左折。グリーンピアセカンドという別荘地に至るが、最初に出会う三叉路を左に入り、二つ目の交差点を左折し、その先の田圃の中にある。車で近くを走っていて見える場所ではなく、やはり場所を知らずに探し当てるのは簡単ではない。やっと対面できたことに感慨一入であった。小雨が降り始めたが、しばしこの墓の前にたたずんだ。
この墓は、文字とおり水戸浪士十四人を葬ったもので、葬られているのは田中愿蔵隊に属した隊士(いずれも農民)といわれる。元治元年(1864)十月、捕えられた彼らはこの地で処刑された。明治九年(1876)、十三回忌を機に建てられたものである。
(山田資料館)
JR東北本線の黒田原駅から徒歩数分という住宅街の中に山田資料館がある。明治二十四年(1891)、黒田原一帯の払下げを受けた山田顕義は、開拓のための農場事務所をこの地に構えた。当時は母屋、事務所、宿泊部屋、穀倉などを備えていたが、今は事務所の一部が残っているのみである。資料館では山田顕義やその子孫の写真や遺品を展示している。入場無料、要事前予約。
例によって私がこの場所を訪れたのは朝の七時半で、開館時間の遥か前であった。

山田資料館

浮浪徒十四人之墓
水戸浪士(天狗党隊員)の戦死者を葬った「浮徒十四人之墓」を探して、この辺りを走り回ること四度に及んだが、どうしても見付けることができない。そこで那須町観光協会に問い合わせたところ、写真付きで詳しい地図を送っていただいた。これがあれば、迷うことなく探し当てることが可能である。
七月のどんより曇った日、念願を果たすため、早朝に自宅を出発して一路浮徒十四人之墓を目指した。場所は県道72号を進んで黒川橋を渡って直ぐに左折。グリーンピアセカンドという別荘地に至るが、最初に出会う三叉路を左に入り、二つ目の交差点を左折し、その先の田圃の中にある。車で近くを走っていて見える場所ではなく、やはり場所を知らずに探し当てるのは簡単ではない。やっと対面できたことに感慨一入であった。小雨が降り始めたが、しばしこの墓の前にたたずんだ。
この墓は、文字とおり水戸浪士十四人を葬ったもので、葬られているのは田中愿蔵隊に属した隊士(いずれも農民)といわれる。元治元年(1864)十月、捕えられた彼らはこの地で処刑された。明治九年(1876)、十三回忌を機に建てられたものである。
(山田資料館)
JR東北本線の黒田原駅から徒歩数分という住宅街の中に山田資料館がある。明治二十四年(1891)、黒田原一帯の払下げを受けた山田顕義は、開拓のための農場事務所をこの地に構えた。当時は母屋、事務所、宿泊部屋、穀倉などを備えていたが、今は事務所の一部が残っているのみである。資料館では山田顕義やその子孫の写真や遺品を展示している。入場無料、要事前予約。
例によって私がこの場所を訪れたのは朝の七時半で、開館時間の遥か前であった。

山田資料館