(佐山忠輝顕彰碑)
山ノ内町では、間の川(あいのかわ)又五郎こと佐山忠輝の顕彰碑と墓を訪ねた。
佐山忠輝は、文化十二年(1815)、上野の生まれ。関東、信越、関西で博徒の喧嘩に加勢して次第に名を挙げ、関東を離れて信州中野下河原に定住して目明しとなった。贋札犯の捕縛や明治三年(1870)の中野騒動の首謀者を探索捕縛に活躍し、その功により中野県の職員に登用された。明治八年(1875)十二月、死去。六十一歳。
佐山忠輝の碑
山ノ内町のコメリ(ホームセンター)の裏側に、巨石に彫られた佐山忠輝の顕彰碑が建てられている。この場所は、佐山忠輝の屋敷があった場所に当たる。佐山忠輝が下川原の開発や民生の発展に寄与したことを顕彰したものである。
この場所について、事前に山ノ内町の教育委員会に問い合わせしたところ、「まず、㈱コメリ山ノ内支店を目標にお越しください。㈱コメリ山ノ内支店建物裏に、グランツT(住所:山ノ内町大字平穏4157-5)というアパートがあります。そのアパートの道向かいに佐山忠輝の碑があります。」との実に丁寧な返事をいただいた。おかげで迷わず行き当てることができた。
(善応寺)
善応寺
佐山忠輝の墓は、山ノ内町大字平穏の善応寺にある。佐山家の墓域に、「徳行院佐山忠輝居士」と刻まれた立派な墓が建てられている。
徳行院佐山忠輝居士