史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

木屋町 Ⅴ

2025年03月08日 | 京都府

(ホテルリソル京都 河原町三条)

 後藤象二郎寓居跡は、令和七年(2025)一月現在、ホテルになっている。ホテル内に「後藤象二郎寓居跡記念ギャラリー」が設けられている。さほど大きなものではないが、こういう配慮は大変有り難い。

 

ホテルリソル京都 河原町三条

 

後藤象二郎寓居跡記念ギャラリー入口

 

後藤象二郎の書

(何が書かれているのかさっぱり…。相当な悪筆である)

 

当時の寓居周辺を再現したパノラマ

 

大政奉還の建白書(複製)

 

(瑞泉寺)

 

瑞泉寺

 

 瑞泉寺は、豊臣秀次一族の菩提を弔うために建立された寺で、境内には秀次始め幼児や妻妾、殉死した家臣ら四十九柱の五輪塔がある。

 最近になって(令和元年(2019)五月)門前に「橋本左内訪問之地・岩瀬忠震宿所跡」が建てられた。

 

 老中堀田正睦と岩瀬忠震は、通商条約の調印に先立ち、孝明天皇をはじめとする朝廷の事前の許可(勅許)を得るために、安政五年(1858)五月、上京した。その時の岩瀬の宿所が瑞泉寺である。

 堀田と岩瀬は、開国が必然であることを力説して勅許を求めたが、遂に得ることのできないまま、堀田に先立ち江戸に帰ることになった。

 

福井藩士 橋本左内訪問之地

岩瀬忠震宿所跡

 

 世間では勅許を得ないまま条約の調印を認めた井伊直弼のことを「開国の恩人」と称しているが、実は積極的に開国を推進したのは岩瀬忠震であった。「開国の恩人」と呼ぶなら岩瀬こそ相応しい。この石碑を建てた発起人の中には、佛教大学の青山忠正教授や神田外国語大学町田明広教授らの名前が並ぶが、もっと岩瀬忠震のことを評価すべきという先生方の想いが伝わってくる。

 

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