(南陽神社)
南陽神社
名古屋市港区の南陽中学の南にある南陽神社は、日清戦争以後の戦死戦病死者を祀る神社である。大正十二年(1923)、靖国神社から分霊を受けた。当時は南陽忠魂社と称していた。
鬼頭景義・勘兵衛宅跡
境内には鬼頭景義・勘兵衛宅の長屋門が修理移築されている。
鬼頭景義は、寛永八年(1631)から明暦三年(1657)に至る二十七年間、尾張・美濃で二十七ヶ所、二万二千余石にのぼる新田を開拓した人物である。この地に居住した景義直系の子孫には、代々勘兵衛を名乗る者が多く、そのため勘兵衛屋敷と呼ばれた。
太平洋戦争で建物の大半が焼失し、現在は明治十三年(1880)、明治天皇巡幸の際に使われた長屋門のみが残されている。
明治天皇福田行在所
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