(美々卯本店別館)
除痘館発祥の地碑
美々卯本店別館の前に除痘館発祥の地碑と記された小さな石碑が建てられている。江戸時代もっとも恐れられていた疫病の一つ天然痘が、ジェンナーの発明した牛痘をもって防ぐことができるということが伝わると、嘉永二年(1849)、緒方洪庵は大阪で種痘を行った。それがこの石碑のある西隣の地である。洪庵はこの種痘所を除痘館と名付け、この場所を中心として同志とともに種痘を拡大していった。万延元年(1860)、除痘館は適塾の南側に移転した。
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除痘館発祥の地碑
美々卯本店別館の前に除痘館発祥の地碑と記された小さな石碑が建てられている。江戸時代もっとも恐れられていた疫病の一つ天然痘が、ジェンナーの発明した牛痘をもって防ぐことができるということが伝わると、嘉永二年(1849)、緒方洪庵は大阪で種痘を行った。それがこの石碑のある西隣の地である。洪庵はこの種痘所を除痘館と名付け、この場所を中心として同志とともに種痘を拡大していった。万延元年(1860)、除痘館は適塾の南側に移転した。
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