史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

関内 Ⅲ

2011年11月12日 | 神奈川県
(馬車道)


日本最初のガス灯

 安政六年(1859)の開港以来、横浜は西洋文化の玄関口となった。明治五年(1872)には、この地に我が国初のガス灯が設置、点灯された。


太陽の母子像
アイスクリーム発祥の地

 明治二年(1869)六月、横浜馬車道通常磐町五丁目において、町田房造という人物が氷水屋を開いた。これが我が国初のアイスクリームである。無性にアイスクリームを食べたくなったが、近くにそれらしい店は無かった。せっかくだから、ここでアイスクリームを売り出せば繁盛すると思うが…。アイスクリーム発祥の地には、日本アイスクリーム協会が建てたモニュメント「太陽の母子像」がある。ほかにも横浜市内には、「発祥の地」がたくさん在る。


日本写真の開祖
写真師・下岡蓮杖顕彰碑

 我が国の写真の開祖と呼ばれる下岡蓮杖が、慶應三年(1867)横浜太田町五丁目に写真館を開いた。当時、写真に移ると魂を奪われるという迷信があって、当初はなかなか写真を撮ろうという人はいなかったが、次第に評判を呼び大繁盛したという。


横浜郵便発祥の地

 我が国の近代郵便制度は、明治四年(1871)に制定されたが、横浜では同年五月、早くも横浜郵便役所に指定し、この地で郵便業務を開始した。この地は、安政六年(1859)より旅館鹿島屋が営業していた。鹿島屋主人山室亀吉は、慶應三年(1867)、横浜-永代橋間に初の蒸気船旅客航路を開き、定期運行させた。その所有家屋を政府が借り上げ、郵便役所としたものである。

(象の鼻防波堤)


象の鼻防波堤


明治三年頃の横浜港の様子
(横浜開港資料館蔵)

 安政六年(1859)の横浜開港と同時に、幕府は横浜港の中央部に波止場を設けた。強風による高波により、荷役作業がしばしば中断した。そこで慶應三年(1867)、幕府は東側突堤を延伸して弓状の防波堤を築造した。これが「象の鼻」である。これにより荷役作業の効率は飛躍的に向上したという。象の鼻は関東大震災で沈下水没したが、復元されて平成二十一年(2009)象の鼻パークとして整備、開園された。明治初年に描かれた錦絵にも、象の鼻が描かれている。

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