史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

由利本荘 岩城

2012年06月10日 | 秋田県
(天鷺城)


天鷺城

由利本荘市北郊の街、岩城町はかつて亀田藩の城下であった。
亀田藩は、藩主岩城隆邦が四月に上洛して天皇に拝謁したほど勤王意識の強い藩であったが、それがあっさりと降伏し同盟軍に加わったのは、総督府監軍の長州藩士山本登雲助の傲慢な態度に我慢がならなかったからという。
「戊辰戦争と秋田」(無明舎出版)で加藤貞仁氏は、以下のとおり言及している。
――― 薩摩にしても、長州にしても、幕末に京都で起きたさまざまな事件や、新潟県、福島県に広がった戦争で、優秀な人たちが次々に死にました。(中略)天皇の使者である「奥羽鎮撫総督」は大事な役目ですが、総督府に随行させる人材が不足していたのです。

確かにそういう側面はあったかもしれない。東山道総督府でも、長州藩士祖式金八郎という軍監が再々戦術を誤り、軍規を犯して強奪を繰り返した例がある。山本登雲助という人の事歴はよく分からない。手元の明治維新人名事典にも名前は発見できないし、その後新政府で活躍したという記録も見たことが無い。生まれたての新政府軍の幹部の中に適性を欠く人物が混じっていたことは否定できないように思う。

岩城氏の居城天鷺城は、庄内藩が撤退した九月二十日、秋田藩の手により焼かれた。現在、岩城町史料館の隣に再建されている天鷺城は観光施設として復元されたもので、実際の城跡はその隣の亀田小学校辺りという。


図書館 長善館

亀田藩校長善館は、第七代藩主岩城隆恕の時代に開設された藩校で、明治五年(1872)に閉校されるまで、亀田の人材育成に大きな役割を果たした。現在、岩城町史料館に隣接する図書館にその名を引き継いでいる。長善館もちょうどその場所にあったもので、町の建てた案内柱が建てられている。


藩校 長善館跡

(亀田城)


亀田城

再建された天鷺城からあまり離れていない場所にもう一つ城が再建されている。これほど大きくない町に二つも城が再建されているというのは全国的にも例を見ないのではないだろうか。こちらの亀田城は、本荘市出身の佐藤八十八氏が三代にわたって収集した美術品、工芸品などを展示する美術館である。

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