史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「シッドモア日本紀行」 エライザ・R・シッドモア著 外山克久訳 講談社学芸文庫

2016年06月25日 | 書評
アメリカ人シッドモアが、明治二十年代の日本を紀行した記録である。シッドモアの筆は横浜東京鎌倉から書き起し、日光、富士山、東海道、奈良京都大阪、長崎にまで及び、主要な観光地は網羅していると言えよう。期せずして、明治日本の良きガイドブックとなっている。
シッドモアの「日本愛」は尋常ではない。目に入るもの、全て称賛の嵐である。お馴染みの上野公園の花見風景について「たとえ惜しげなく酒が出されても乱れることはなく、ちょっぴり赤くなって幸せになり、少々多弁になるだけ」というが、少なくとも現代の花見の現場は、節度があるようには見えない。昔の花見だって、かなりの乱痴気騒ぎを演じていたのではなかろうか。シッドモア女子は相当好意的に描写しているように思う。
第八章の「花祭り」では、亀戸の梅、向島や上野の桜、堀切の菖蒲と藤、再び上野に戻って蓮、団子坂の菊を紹介する。植物について言えば、欧米にだって綺麗な花はいくらでもあるだろうが、シッドモア女子は手放しで褒めちぎる。米国の菊は大きいだけが取り柄だが、日本の魔術師の手にかかれば、「どんな寸法でもたやすく作ることができ」「日本の菊の葉は、華道の基準に照らしたバランスの良い構図」と絶賛する。まるで「褒め殺し」に遭っているような気分である。
シッドモアがこれほどまでに明治日本を称賛するのは、この時代の日本人は物質的には決して恵まれていないが、それでも自然を愛で、家族で慎ましく生活し、それなりの幸せを楽しんでいる姿に感銘を受けたのであろう。翻って現代の日本の姿は、シッドモア女子の眼にどう映るだろうか。
大正十三年(1924)、アメリカの排日移民法の施行に断固反対してスイス・ジュネーブに亡命し、二度と故国に戻ることはなかった。日本への愛情が深かっただけに、シッドモアの怒りは深かったのである。
1928年にジュネーブで没したが、生前親交のあった新渡戸稲造夫妻の尽力により、横浜外国人墓地に墓が設けられた。今も、シッドモア女史は、彼女が愛してやまない日本に眠っている。
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