史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

気仙沼

2010年08月27日 | 宮城県
(煙雲館)
 煙雲館は、鮎貝家の居宅で、現在も所有者は鮎貝家となっている。幕末、鮎貝家の次男に生まれた鮎貝亀次郎盛光は、のちに落合直亮の養子となって落合直文と名乗った。落合直文は歌人、国学者として名を成し、森鴎外らとも交友が深かった。
養父落合直亮は、小仏の関の関守。藤本鉄石らとも交友のあった国学者でもあった。薩摩藩士益満休之助の呼びかけに応じて薩摩藩邸に集合し、藩邸が焼き打ちに遭うと同志らと京都に赴いた。維新後は、伊那県判事、大参事のあと、伊勢神宮禰宜や浅間神社宮司などを務めた。


煙雲館


落合直文のレリーフ

 煙雲館の駐車場には、落合直文の肖像レリーフがある。


槐園歌碑

 煙雲館の庭園には、落合直文の実弟で、やはり歌人の鮎貝槐園の歌碑が建てられている。

 そよとだにたよりばかりのあれかしと
 花にも風をいのるころかな

(松岩寺)


松岩寺

 松岩寺は、鮎貝家の菩提寺で、本堂左手に鮎貝家の墓地がある。中央やや左寄りに、落合直文、鮎貝槐園の父である鮎貝太郎平の墓がある。


鮎貝太郎平盛房之墓

 鮎貝太郎平は、旗巻峠における戦闘では仙台藩軍の指揮官として派遣され激戦を演じた。仙台藩は一時優勢に立ったものの、圧倒的な火力の差により多くの戦死者を出し、最後には降伏を余儀なくされた。戦後、鮎貝太郎平は責任を問われて投獄されている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 藤沢 | トップ | 陸前高田 »

コメントを投稿

宮城県」カテゴリの最新記事