(仏心寺)
仏心寺
仏心寺は、小松藩の二代藩主一柳直治により、その父初代藩主直頼の七回忌にあたる慶安三年(1650)に、一柳家代々の菩提寺として建立された。江戸時代を通じて境内の拡充が図られ、明治以降も小松藩ゆかりの建物が移築されている。
一時間近く墓地を歩き回った。仏心寺墓地には、中央の参道のほか、東西にも道があって、念のため三つの道を全て歩いたが、ついに一柳家の墓所を発見できなかった。汗だくになって、その上、蜘蛛の巣まみれになったが、空しく引き上げることになってしまった。多分、墓の行き当りをさらに奥に行かなくてはいけないのだろうが、背の丈ほど伸びた雑草に行く手を阻まれて途中で断念してしまった。この季節はこの雑草の壁を乗り越えるのは困難である。この先に間違いなく一柳家の墓所があることが分かっていれば、頑張る気力もわいたのだが…。来訪者のためにせめて何らかの案内を出しておいて欲しいものである。
山門
山門も小松藩陣屋の遺構である。正面の「圓覚山」の扁額は、一柳直卿(頼徳)の御真筆の奉納額である。
御霊屋門
御霊屋門は、元藩主墓所に通じる参道に建てられていたもので、やはり明治になって仏心寺に移された。鴨居には、小松藩主の御紋「丸之中二重釘抜紋」がはめ込まれている。
桜門
元山源太墓
中央の墓地参道入口を入ったところに、元山元太の墓がある。元山源太は慶應四年(1868)、奥羽に出陣して戦死。十八歳。「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、小松藩唯一の戦死者で、慶応四年(1868)八月二十八日、羽越境高畑越で戦死、十九歳とある。
墓石の前に献香石には、北越に出兵した同僚二十一名の名前が刻まれている。
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