(観音寺)
観音寺
観音寺で菅周庵の墓を探したが、発見に至らず。菅家の墓は三~四つ見つけたのだが…。
管周庵は文化六年(1809)、今治藩医の家に生まれた。幼少の頃から貫名海屋について儒学を学び、弘化年間には上坂して緒方洪庵について蘭学を、高橋執洲について医術を修めた。このころ洋医が来朝して種痘の術を伝えたので、周庵も長崎に遊学し、親しくその術に習熟して帰藩した。嘉永二年(1849)から藩民に施術した。これがこの地方における種痘の初めであり、以降種痘は藩内一円に普及して明治に及んだ。明治二十六年(1893)、年八十五で没。
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