(かわのえ西川ふれあい塾)
JR川之江駅から七~八分北上すると、国道11号線の手前に旧讃岐街道が走っている。郵便局の隣が本陣跡である。
門には「謹敕之風」という文字が掲げられている。「謹敕之風」は尾藤二洲が近藤篤山の開いた塾のことを評価した言葉で、つつしみ深く自らを戒める良風という意味である。
かわのえ西川ふれあい塾
「謹敕之風」 篤山塾
御本陣跡
実際の近藤篤山塾の位置は、本陣跡から西に二十メートルほど行った場所である。
(近藤篤山塾跡)
近藤篤山塾跡
天明八年(1788)、大阪に出た近藤篤山は、同郷の尾藤二洲から儒学を学び、二洲が江戸に移った後、大阪で塾を開いた。寛政六年(1794)、江戸に移って再び二洲の下で学んだ。寛政九年(1797)、江戸での修学を終えて別子山に戻り、翌寛政十年(1798)、川之江で塾を開いた。川之江の塾は、篤山が伊予小松藩に招かれるまで五年間続いた。
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