史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

大多喜

2011年09月04日 | 千葉県
(千葉県立中央博物館 大多喜城分館)


大多喜城

 江戸城に入った徳川家康は、本多忠勝に大多喜城を与え、安房の里見氏の抑えとした。以後、三代にわたって本多氏が城主となったが、その後、阿部、青山、阿部、稲垣と目まぐるしく城主が交替し、元禄十六年(1703)相模甘縄から松平氏が転封されて、明治維新まで九代にわたって大多喜を治めた。
 幕末の藩主は、松平正質(まさただ)である。この人は老中間部詮勝の第五子。大多喜松平氏を継いで、老中格まで進んだ。明治二年(1869)の版籍奉還後、本姓の大河内を名乗った。
 大多喜城は、現在千葉県立中央博物館大多喜城分館として生まれ変わっている。瓦には松平家の家紋「三ツ扇」が刻まれている。

(三口橋碑)


三口橋碑

 城下を流れる夷隅川にかかる三口橋の由緒について漢文で刻まれた石碑である。この碑文は文政十三年(1830)、安積艮斎の作である。安積艮斎は、大多喜藩の藩校を明善堂と名付ける等、大多喜藩と所縁が深い。

(渡辺家住宅)


渡辺家住宅

 大多喜城は昭和五十年(1975)に再建されたものであるが、城下町には古い木造建物が残されており、往時の雰囲気を伝えている。
 渡辺家住宅は、嘉永二年(1849)に建築された商家で、国の重要文化財に指定されている。慶応四年(1868)房総地方鎮撫副総督府柳原前光が渡辺家に宿泊している。

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