(新町通り)
幸野楳嶺生誕地
四条烏丸の交差点から西に二本目の筋が新町通りである。四条通りから新町通りを下ると、三十メートルほどのところの民家の前に幸野楳嶺生誕地を示す小さな石碑が建てられている。幸野楳嶺は、弘化元年(1844)、金穀貸付業を営む安田四郎兵衛の第四子としてこの地に生まれた。嘉永五年(1852)、楳嶺九歳のとき、円山派の絵師中島来章に入門した。なお新町四条の生家は、元治元年(1864)の禁門の変で罹災したという。
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