今朝テレビを見ていたら、栃木足利の幼児殺害冤罪事件で釈放された被疑者がでていた。見ていたらかわいそうになった。だって、どう見てもそういう悪さをする人物には見えない人のよさそうな顔をしている。これまでもこういう話はいくつもあった。その中には、こいつ本当はやったんじゃないと思わせる人もいた。 今回は違う。
映画「チェンジリング」に通じるものがある。ロス市警と栃木県警の違いはあれど、威信がかかっているので警察は一度判断したことをひっくり返されることへ強く抵抗する。「チェンジリング」では、全く関係ないところで発見された子供を強引に行方不明の子供にしてしまう。それこそ現代であれば、DNA鑑定をやって一発でわかるはずである。ああいう時代だから警察自体もいい加減であった。しかも、本人と違うことを主人公の母親が証明しようとしたら、母親を精神病院に入れてしまうひどい話である。
今回のDNA鑑定については、事件当時と今と鑑定の精度が大きく違っているようだ。その精度が高まった現代の鑑定で大丈夫だったので真犯人が別にいるのは間違いないであろう。しかし、精神鑑定を某大学教授によっておこない、今回の被疑者を幼児に対する異常な性癖があるように診断書を書いている。精神異常者に仕立てるのは「チェンジリング」と同じだ。これはひどい。しかも、その大学教授はインタビューのテープを捨てたというではないか?これっていいのかしら?
「チェンジリング」でも精神病院内で警察の言うとおりに認めなければ、電気ショックの機械にさらしたりする。異常者の行為が判明して、白骨死体が発見された後も、一部の良心的な警察官以外は隠蔽しようとした。
自白の件についても、到着した汽車を降りた少年を母親が違うと警察に言った時、とりあえず自分の子として扱うようにと無理やり警官に言われて写真を撮る。同じような話だ
すべての警察官が悪いというつもりはない。むしろほとんどの警察官はまじめだと思う。おそらくは当時のロス市警だってまじめな人がほとんどだったであろう。自分の過ちを素直に認めていないとあとで自分がもっと罪の意識に犯される気がする。栃木県警の上層部も、DNAの再鑑定を認めなかった検察も素直に懺悔して欲しい。「悪かった」と素直に謝って欲しい。そうでないと、当事者みんな死に際が悪いはずだ。
すぐにはできないであろうが、足利幼児殺人事件も映画化してほしい。