映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「blue island 憂鬱の島(香港)」

2022-07-17 05:16:11 | 映画(アジア)
映画「blue island 憂鬱の島(香港)」を映画館で観てきました。


2007年から映画を観るたびに、ノートに作品名を書いている。実は、記録した本数がついに3000本まで達した。大台に近づくにつれ、どの作品にしようかと思っていた。結局、大好きな香港に関する映画が公開されるので、これは好都合と記念の作品にしてしまう。3000に向かう気持ちは別の機会に雑感を書くことにする。

「Blue island 憂鬱之島」香港では公開されない香港在民たちの苦楽を描いたドキュメンタリーだ。途中では、若手俳優たちによる再現フィルム劇が挿入されている。正直、2019年からの民主化デモだけを取り上げるレポート的作品であれば、観にいかなかった。「香港デモ史」的な要素を持ち、文化大革命あたりからの反体制運動を描いているドキュメンタリーフィルムも織り込まれているとのことで関心を持つ。


1967年の六七運動、1989年の天安門事件にかかわる同胞支持のデモの話に加えて、2019年から2020年にかけて日本のTVでも随分と報道された民主化運動にかかわる話が中心だ。予想を超える感動は特にはない。こんなもんだろう。大好きな香港の見慣れた風景が出てきて、慌ただしくせわしない香港在民たちの動静を見ているだけで十分満足できる。

⒈ヴィクトリアハーバーで泳ぐ陳さん
文化大革命の頃に海を泳いで香港に来たという陳克治さんはなんと、毎日のように九龍サイドと香港島の間のヴィクトリアハーバーで泳ぐという。軽い準備運動をした後に、海パン姿で、優雅に泳ぐシーンには驚く。決してきれいな水とはいえないところだ。嵐の日も泳ぐ「007は2度死ぬ」ショーンコネリーが一旦姿を消したあの海だ。


陳さんは当時英国領だった香港に、中国から山を越えて妻と2人で逃げ込んだ。それを再現フィルムで、若手俳優が演じる。ともに香港返還がなされた後に生まれた俳優だ。このシーンを観て、「ラストエンペラー」ジョン・ローン主演で日本映画として香港で撮った「チャイナシャドー」を思い出した。香港のマスコミ界で活躍している黒幕のジョンローンが、中国本土から海を渡って香港に来たという設定だ。中国本土から脱出する似たようなシーンがある。「チャイナシャドー」では毛沢東が死んだ1976年に国境を越えているが、陳さんは1973年に渡っている。


当時の中国では1968年以降高校を卒業したら、産業の根幹である農業をやるために農村に行かねばならなかったそうだ。16日の日本経済新聞に中国の大学生の就職内定率が47%で、24歳までの若者の失業率が19%であるという記事があった。驚いた。大学進学率が58%で、一学年の大学卒業生がなんと1000万人以上だという。

日本は人口減少という問題を抱えている。でも、いまだ就職は売り手市場である。20代の安倍元首相支持率が高いことを不思議がる人がいるが、民主党政権時代の就職氷河期を連想する若者がアベノミクスによる雇用の回復を支持するのは当然だろう。リベラルという名で金儲けしているエセ知識人や駅で共◯党のビラを配っている赤ババアにはわかるまい。

⒉六七運動と天安門事件
六七運動という英国統治に対する反旗をあげた運動が1967年にあったのは知らなかった。文化大革命に影響された左派香港人が、中国のことは中国に任せろとばかりに大騒ぎをしたようだが、本土の中共は手助けをしなかったという。当時活動した人物が登場したけど、2019年のデモに関しては無関心を装っている。

1989年天安門事件の時には、北京での民主化運動を中国共産党が強行に鎮圧したのは歴史上有名な話だ。その時も、同胞として香港の運動家たちが支持したという。結局、2019年からの民主化運動も共産党政府にデモを鎮圧され、騒乱に対しては法令改正で強硬に取り締まるようになった。


映画によれば、文化大革命で20万人が本土から香港に移り住み、今回の民主化運動の顛末で9万人が去ったという。もっとも、中国返還が決まった時に、カナダなどに移住した人も多かったはずだ。個人的には、デモは自己満足と思っているクチで周囲に迷惑をかける騒乱は意味はないと思っている。鎮圧は当然だろう。

ただ、1997年の英国から中国への返還の趣旨からすると、中国共産党による高圧的な一党支配でなく、もっと香港在民に自由をという気持ちはものすごくよくわかる。世界中でもっとも自由経済がうまくいっていると言われる香港である。その自由にメスが入れば、シンガポールあたりに移住してしまう人が増えるだろう。良き時代の香港の自由が失われていくことを個人的には残念に思う。

平成になった後で、大学の同期が転勤で香港に行くことになり、そのあと初めて香港へ行ったのが香港好きになったきっかけだ。猥雑な街の雰囲気なのに、植民地文化の英国テイストが織り混ざる洗練された部分がある。しかも、食事のおいしさにぶったまげた。当時は今よりずっと安かった。こんなにおもしろいところはないと毎年のように通った。民主化運動のデモやコロナの影響で行けないのが残念で仕方ない。あの雑踏に身を任せたい。また行きたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする