映画とライフデザイン

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映画「クレッシェンド 音楽の架け橋」

2022-02-10 05:47:12 | 映画(アジア)
映画「クレッシェンド 音楽の架け橋」を映画館で観てきました。


クレッシェンドは10代の頃からイスラエルを絡めた中東情勢に関心を持っており、観てみたいと思っていた作品である。アラブ対ユダヤという根深い対立状態にある両人種からドイツ人指揮者が音楽好きを集めて合同でコンサートを開こうとする話である。

予想ほどにはいい映画ではないが、後半盛り上がる。
一方的なユダヤとアラブの対立の構図に、恋物語を混ぜた設定は悪くはないが、あまりにユダヤ人女性がおかしな行動をとるのに呆れてしまったことで点数が急降下してしまった。ちょっと不自然すぎる。音楽に関する内容は悪くはない。曲の選択もよく、最後に向けての盛り上がりはまさにクレッシェンドといえる。


世界的指揮者のスポルク(ペーター・シモニシェック)は、紛争中のパレスチナとイスラエルから若者たちを集めてオーケストラを編成しコンサートを開くという企画を引き受ける。ユダヤ人、アラブ人両方の若者が家族の反対や軍の検問を乗り越えオーディションに参加した。スポルクが人種にこだわらずに演奏する姿を隠して選抜し、20名あまりの精鋭メンバーが選ばれる。しかし、お互いの憎しみは強く予想通り激しくぶつかり合ってしまうのだ。そこでスポルクは彼らをスイス南チロルでの合宿に連れ出し、コンサートのための準備を始めるのであるが。。。


いきなり検問所が出てきて、イスラエルの近代的都市テルアビブに行くために、アラブ人の演奏家たちがイチャモンつけられるシーンが出てくる。陸でつながっていても、許可書がなければ入れない。しかも、オーディションに参加することを家中が賛成しているわけではない。

そんなエピソードを並べ立てて、ユダヤとアラブの対立を浮き彫りにする。それでも何とか融合を目指そうとするところに映画の意義があるわけではあるが。

⒈中学生で習ったユダヤとアラブの対立
自分が中学生の頃、社会科の先生がユダヤとアラブの対立に関して語ってくれたことがあった。ユダヤ人が突然訪ねてきて、ここは自分たちが2000年前に住んでいたところなので戻してくれと言って、アラブの人たちを追い出した。そのためにアラブ人たちはテントで流浪のキャンプ生活を送っていると。

ユダヤ人がこの地に来たことを、同じようにこの映画でもアラブ系の人たちは言っている。

みんなの家に突然大昔に住んでいた人が訪ねてきて、昔住んでいたのでどいてくださいといったらどうする?え!そうなんだ。今から50年ほど前の講義だけど、鮮明に覚えている。当時、一世を風靡したマクドナルド社長藤田田が「ユダヤ人の商法」という本を書いてベストセラーになる。商売上手のユダヤ人というのは中学生の自分にはすごい存在に見えた。

自分の高校では地理を高校1年で学んだ。毎週の授業は課題を基にした生徒の発表であった。中学時代に社会科の先生から聞いた言葉が気になり、自分はイスラエルにおけるシオニズムの研究を課題に選んだ。紀元前からスタートして、第一次大戦時のシオニズムやイスラエル建国、中東戦争を題材に選んだ。その流れはその後も続いて、中東情勢に関する本を読むようになった。ユダヤ人陰謀説はどれもこれも気になって仕方なかった。

大学でイスラム史の先生が娘の指導教授だったのも何かの縁かもしれない。

⒉ドイツ人指揮者
名高い指揮者がユダヤ人とアラブ人の混合オーケストラの企画にのった。ドイツ人指揮者スポルクである。スポルクの父親はナチスの強制収容所で医師をやっていたという。まさしく戦犯の1人だ。イタリア経由で南米に逃亡を企て、移動途中に射殺された。まさに南米に逃亡してしばらく経って捕まったアイヒマンの話も出てくる。アイヒマン裁判は「ハンナアーレント」でも取り上げられた。古くはアルフレッドヒッチコックの映画「汚名」でもナチスの残党の話が出てくる。

アラブ対ユダヤの構図もあるけど、ナチス対ユダヤの構図もある。指揮者自体も何かの標的になっている。怖い世界があるのだ。


⒊ラベルのボレロ(ネタバレ注意)
オーケストラでのアラブとユダヤの争いは絶えない。それでも、ドイツ人指揮者の指導で、何とかコンサート開催にこぎ着けそうになってくる。リハーサルでは、ヴィヴァルディ「四季」の冬が演奏される。2020年の傑作「燃ゆる女の肖像」のラストで「四季」の冬が流れた時、思わず背筋に電流が流れた。感動的なシーンだった。それを思い出したせいか、この映画でも同じようにゾクゾクした。

この延長でいいコンサートが見れるのかと思ったら、思いがけない展開となる。さみしいなあと思ったときに登場するのがラベルのボレロだ。この曲は個別のいくつかの楽器で次々と主旋律を流して、それがいくつか続いた後徐々に他の楽器が加わるまさしくクレッシェンドの展開となる。映画にも時間制限もあるので簡略化するが、ここでこの曲を選択したのは大正解である。さすがに盛り上げるいいシーンだった。

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