映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画 ノルウェイの森 2

2010-12-19 20:24:39 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
時代考証については、考えられていたと思う。
自分が大学にあがったときには、学園紛争の匂いはほとんど無かった。だからこれについては詳細は語れない。自分の母校も学生運動全盛時にはそれなりにあったみたいだが、もともとは学生運動が似あわない学校である。自分は今でも学生運動をやっていた人間はクズだと思っているくちである。

それはさておいて
村上春樹が主人公の原型と考えると、映画の服装その他が違うと思わせるところがある。
主人公の服装は、確かに当時の大学生が着ていたタッチである。
プレイボーイの先輩の雰囲気はまさにそれだという適切さだと思う。


村上春樹は神戸に生まれ、若き頃当時VANのブランドが好きであったとインタビューで語っている。
少なくともこの映画の主人公のようなダサい服装ではなかったのではなかろう。
レコード屋で働いている設定ということもあるんだからもう少し違うんじゃないかな?
松山コウイチについては好演だったと思う。
服装はともかく、主人公のナイーブさはよく表現していたと思う。

あとはミドリの設定である。
小説と映画が異なるのは仕方ない。
でもこの当時の女子大学生が持っていた知的雰囲気とミドリの匂いはどうしても違うような気がする。
最近は大学進学率が55%程度に上るというが、この当時は短大を合わせても20%にもなっていなかったであろう。こういっては何だが、微妙な知的匂いを感じさせる女性が多かった。
ミドリは古本屋の娘である。都内に生まれ、四谷にある名門女子高校に通うがお嬢さんとは違うという原作の設定だ。しかも当時の早稲田に通う女の子というとイメージが若干違う気もする。確かにあの髪形はよく見られたが、高校生はともかく大学生はあんな感じだったかな?吉永小百合も高校時代はこの髪型だが、大学生時代はちがう。
それと「ワタナベクン」というしゃべり方が若干違う気がする。


でも水原希子はみずみずしい若さをもつ有望な新人だとは思う。
(上に述べたことは彼女の資質とは関係ない)

菊池凛子があの年を演じるのは大変だったと思うが、よくやったと思う。
割と難しいシーンがたくさんあったと思う。
短いカットが多いといったが、極度の長まわしもあった。撮影ともども大変だったと思う。

今回濡れ場が大胆ではない。寸止めにしている。
これは良かったのであろうか?うーん難しい!
この小説を最初に読んだときは、情交の場面がやたらと目についた。
彼独特の性表現もある。それを言葉としていくつかとりいれたが露骨にはしなかった。
でもくどいけど、最後のレイコサンとの場面だけは残念だ。

村上春樹の小説に年上の女性との情交が出てくることが多い。
最新作「1Q84」にしてもそうだし、「国境の南太陽の西」もそうだ。
でもその年上の女性との情交が一番素敵なのは「ノルウェイの森」だ。
そういった意味でつくづく残念だ。

悪口もずいぶんと言ったが、かなり丹念につくった形跡がみられる。
監督、演技者の努力に敬意を表したい。
コメント
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映画 ノルウェイの森 1

2010-12-19 18:19:42 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
「ノルウェイの森」をロードショウで観てきました。
初めて小説を読んでから20年以上経つ。その後何度も読む機会があり、それなりの思い入れがある。村上春樹ファンで妙にこの小説に批判的な人もいるが、底辺に流れる70年代に向かう独特のムードとポップな響きが好きです。ベトナムのトラン・アン・ユン監督が起用される。「青いパパイアの香り」「夏至」いずれも大好きです。
今回楽しみにしていました。

時は1968年高校生の主人公こと松山ケンイチは、高校の同級生キズキと直子こと菊池凛子と仲良く青春時代を送っていた。その後キズキは人生に絶望して自殺した。友人を亡くした失望のまま、東京の大学に進学することになった。地方出身の大学生を収容する寮に住み大学に通うが、大学は学園紛争の真っただ中であった。授業も心ない学生たちによって中断する毎日、レコード屋でバイトをしながら悶々としていた。
そんなある日ナオコこと菊池と偶然再会した。同郷のよしみで親しくする二人である。二人で仲良く散歩するのを楽しんでいた。ところが彼女はある日突然姿を消す。心の病があり、静かに療養せざるを得ないのだ。再度一人でさまよっているとき、同じ授業を受けているというミドリこと水原希子が学食で声をかけてくる。急接近してきたミドリと主人公は時折会うようになるが。。。。



スタートは飛行機の中としていなかった。何もかも入れていると時間が足りなくなる。
なくても不自然さはなかった。

そんなに放映時間が長いとは感じなかった。
肝心なところは長まわしのカットとなるが、短いカットをずっと続けていく手法である。長いストーリーであるからこうやってまとめる必要があったのであろう。それはそれで正解である。同時にロケ時間がものすごくかかっただろうなと思わせた。
映像的にうまいと思ったのは、風と雨のバックの使い方である。「青いパパイア」「夏至」も同様に雨の使い方が非常にうまいと思った。特に室内セットでの雨の使い方は、小津安二郎監督の「浮草」を思わせる絶妙のうまさである。得意の小動物を使った表現はわずかにとどまったが、序盤少しだけ見られた。
監督得意の映画の手法が垣間見られて、映画としての完成度はまずまずだと思っていた。



でもネタばれになるが大きく取り上げないが、後半戦に不満が残る。

これだけは言いたい。

ナオコが療養に行った先のお世話する女性がいる。その女性レイコが主人公を訪ねてくる場面がある。僕自身は彼女が主人公を東京に訪ねてくる場面はこの小説の一つのクライマックスであると思っている。そこの表現が全く駄目であった。これが非常に残念である。監督と感じ方が違うのであろうか?極端にいえばここに時間をかなり取ってもいいくらいである。
レイコが主人公のところを訪れてギターを弾きながら歌いまくる場面が小説にある。素敵な場面である。そこが全く省略されている。レイコの表現が足りなかった。これには正直がっかりした。

つづく
コメント
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