映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

まほろ駅前多田便利軒

2012-02-04 06:27:52 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
まほろ駅前多田便利軒は男2人のドラマ
便利屋を職業とする主人公に中学の同級生がからみ意外な展開を見せる。

東京のはずれ「まほろ市」が舞台。(町田市と思われる)
そんな街の駅前で主人公こと瑛太は便利屋“多田便利軒”を営む。
仕事で客から預かったチワワに逃げられてしまう。探したが、バス停で見つけたチワワを抱く男は、中学時代の同級生・行天春彦こと松田龍平だった。中学時代に2人にはちょっとしたいざこざがあった。彼は今晩泊めてくれないかというが、主人公は断る。しかし、駅で送っていくときに一瞬ためらい松田はその晩泊る。翌朝主人公は松田と一緒にチワワを返しにいった。依頼人は既に夜逃げしていた。娘の動きを察知して依頼人の所在を突き止め、松田が訪問したが、新しい飼い主を探すよう頼まれてしまう。結局、松田が主人公の家に居候することになり、奇妙な共同生活が始まる。

2人ともバツイチであった。それぞれに訳ありであった。その後、チワワの引き取りを申し出てくたストリートガールとルームメイトとのかかわりや塾の送迎を依頼された小学生とのかかわりを描いていく。ところが、この小学生に妙ないわくがついていることがわかるが。。。


「ヌードの夜」の竹中が演じる役も便利屋であった。本物の便利屋さんの話はいくつかの本で読んだことがある。どういうひとがやるかというイメージとして相当な変わり者という印象がある。瑛太はそのイメージにぴったりではないか。
配役がぴったりしていると映画のテンポはよくなる。
飽きずに最後まで見れた。
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たいへんだなあ

2012-02-03 06:21:43 | Weblog

日経新聞2月1日付けの北朝鮮に関する記事を読んだ。
わかっていることながらショックを受けた。
北朝鮮でまともに食事にありつける人たちは全体の20%しかいないというのだ。いくらなんでもこんな国ないよね。

この国の場合、現代経済学で考えるのではなく、アダムスミスやマルクスの時代背景までさかのぼって考えてみなければならないと感じる。

他の国のように失業して飯が食えないというわけではない。
アダムスミスは「諸国民の富」の中で
「多くの職人は、仕事がなければ、一週間とは生存できないであろうし、一カ月生存できるものは少数で、1カ年生存できるものなどはほとんどまったくなかろう。」(大内訳)
18世紀当時、職人は失業することもできず、低賃金でも働かざるを得なかったのだ。つまり失業の概念がなかった。

アダムスミスは失業のことは考えていないように思われる。
今の北朝鮮も同様かもしれない。

マルクスは著書で賃金は最低生活を下回る悪条件でさえ働かざるを得ない状況をといている。
悪条件での労働は栄養失調と過労から病気になり病死する。現代なら大量失業が発生する状況で、失業者にならず見かけ上は就業したままで死んでいく。
これが現状の北朝鮮の状況であろう。

またマルクスは、労働者の生み出す剰余価値は、すべて生産手段の所有者に搾取されるとしている。
今の日本でマジにそう思っている人間はいないであろう。
しかし、実際北朝鮮の場合は剰余価値が一握りのピョンヤンのエリートに搾取されている。北朝鮮は独裁者による社会主義の世界である。
なんと「一家最低の生活費は月3850円とされるが、労働者の平均月収は実勢レートで77円!!!以下」(2012年2月1日日経)といわれる。
さすがにこれは搾取を超えた世界だ。大変なことだ。北朝鮮は難民と同じである。いくら気に入らなくても助けてあげねばならないのであろう。
これでよく国家が成り立っていると思う。瀕死の重傷だ。

マルクスは所有者に搾取されるとして市場に愛想を尽かした。
アダムスミスの考えはマルクスとはちがう。
「諸国民の富」の中で
「ある国で、賃金により生活する人々、つまり労働者、日雇職人、あらゆる種類の使用人に対する需要がたえず増進する場合、すなわち毎年の仕事がその前年に雇用されたよりも多数のものに提供される場合には。。。。。。人手の払底は親方たちの競争を引き起こすが、かれらは職人たちを獲得するためにたがいにせりあい、またこのようにして賃金を引き上げまいとする親方たちの自然の団結をやぶってしまう。」(大内、松川訳)
アダムスミスは基本的には賃金が生存費の水準に一致しやすいとしていたが、場合によっては水準以上の賃金も存在するとしているのである。
今年の建設関係の労働市場は世間一般の労働市場に比較して大きな変貌を遂げている。震災後の復興需要のせいだ。ここ数年賃金が安くても仕事があればといった状態から、東北で仕事があるので水準以上の建設関係の職人への賃金が現実に存在している。
そのため建設業界では大工不足に嘆いているようだ。元請が仕事を請けても職人がいなければどうにもならない。不況といわれ、有効求人倍率の低い日本でもこんな状況がおきるのである。

アダムスミスは経済の道理がわかっていた。
マルクスの搾取の概念は時代に応じてはありえたと思う。その発想のおかげで労働条件の大幅改善がなしたげられたのも事実である。
しかし、搾取とは違う経済の動きが一部を除いた現状の姿である。
でも北朝鮮はちがう。むしろ上層部が搾取すらできない状態にまでなっているのではないか。
マルクスの思想を基盤に成立した社会主義政権はほぼ脱落したといえよう。
同時に市場経済の要素を取り入れた中国の強烈な躍進はすごい。
アダムスミスは
「競争市場によって資源がもっとも無駄なく利用される。」
「競争市場で利潤を上げようとするとき、人はもっとも勤勉に創意工夫をいかそうとして
また失敗を避けるために慎重に行動する。」という。
もはや市場経済の導入以外には生きる道はなかろう。
しかし、外資を受け入れようとする意志は見当たらず、孤立化が進む中、崩壊は目前である。
見るに見かねて書きたくなった。
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Jエドガー  イーストウッド&ディカプリオ

2012-02-01 17:18:46 | クリントイーストウッド
「Jエドガー」はクリントイーストウッド監督の新作である。
早速に劇場で見てきました。前作「ヒアアフター」は霊媒師の話でちょっとどうかと感じたが、本作は主役であるディカプリオの演技が実によく出来は上々。


アメリカ連邦捜査局FBIの長官をなんと48年にもわたって牛耳ってきたジョン・エドガー・フーバー長官の伝記だ。フーバーは1924年から1972年まで政治から独立した強大な権力を手にしていた男だ。彼はアメリカのあらゆる秘密を掌握し大統領の誰もが彼を恐れた。そういう権力者の若いころの逸話から、死ぬまでをじっくりと語る。いつもながらしっとりとしたイーストウッドの音楽をバックに裏のアメリカ史が語られる。個人的には大好きなテイストだ。


FBIのジョン・エドガー・フーバー長官ことレオナルド・ディカプリオが、部下に命じて回顧録を書き取らせるシーンからスタートする。
まずは1919年に記憶は遡る。ロシア革命のあと、共産主義者がアメリカ国内でテロ行為を行っていた。フーバーの司法省の上司が危うく爆発事故で死にそこなうシーンが映し出される。アメリカの共産主義者を打ちのめすために、徹底的に摘発していく。当時は警察の資質も悪く、捜査もまともに行われなかった。そういう中フーバーが頭角を現す。そして司法長官から捜査局の局長代理に任命される。
秘書には司法省内では美人で目立つナオミワッツがなる。彼女は自らを独身主義だと称していて生涯フーバーに仕える。
まずは、捜査にそぐわない人間がすぐさま追放された。蝶ネクタイ、ヒゲ、服装、素行などでチェックアウト。採用の人選も厳しく統率のとれた組織を作り上げていった。そんな中一人の長身の紳士トムソンことアーミーハマーがフーバーの参謀役となり、マフィア摘発やリンドバーグの息子誘拐事件などにかかわっていく。ケネディ兄弟、キング牧師、ニクソンまでアメリカ現代史の重要人物がでてくる。


非常に面白かった。
いきなり共産主義者がおこす革命じみた爆破行為に憤慨した若き日のフーバーことレオナルド・ディカプリオがコテンパンにやっつけるシーンが出てくる。痛快である。煽動する共産主義思想家を国外追放にしたりする。法律も変えたりして強引だ。しかも、彼自体が捜査局の局長代理になる時、司法長官に注文を出す。「政治が関与しない組織にしてくれ」と。そうして彼は若くして権力をつかむ。
まずはここで共産主義をやっつけたからこそアメリカの黄金の20年代があった。

しかし、禁酒法と裏腹にのさばる裏社会の全盛時となり、フーバーの標的が共産主義者から裏社会の人間へと変わる。治安の維持のため、彼は捜査組織を動かす。でも彼の動きをよく思わない政治家から聴聞を受けたりもする。でもそれには彼は負けていない。大統領を始めとする要人たちの秘密を調べ上げ、その極秘ファイルを自身で所有し、そのファイルの内容をもとに政治家たちにプレッシャーをかける。脅しぶりが高度だ。フランクリンルーズベルトをはじめ、ケネディ兄弟などみんなフーバーを引きづりおろそうとして返り打ちを食らう。
そんな凄い男をレオナルド・ディカプリオがうまく演じた。今回の彼は特にいい。


フーバー長官はFBI科学捜査の基礎を確立した。全国から犯罪者の指紋を集め、州をまたがる指紋管理システムを作ったのも彼なら、マフィア退治をはたすFBIを映画やテレビ媒体でヒーローに押し上げたのも彼だった。
映画ではそういう彼の私生活にずいぶんと入っていく。マザコンとも称していいようなジュディディンチ演じる母親への強い愛情、フィーバーの片腕役の長官代理との同性愛めいた私生活の話などはどこまでこの映画で取り上げるのか脚本段階では微妙な葛藤があっただろう。

80歳過ぎて創作意欲のおちないイーストウッドは相変わらず凄い。イーストウッド自身が出ていなくても彼の作品と感じてしまうムードがある。マイルスデイヴィスのバンドで、マイルスがトランペット吹かない曲なのにウェインショーター、ハンコックがマイルスがいる雰囲気を醸し出す曲と同じようなものだ。個人的にはイーストウッド監督作品としては「ヒアアフター」や「インビクタス」よりはよくできていると感じる。
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