1969年から70年にかけて、シュツットガルト市にあるマックス・プランク研究所の客員研究員としてフンボルト奨学金の支援を受けて滞在した。渡航費や生活費を潤沢にくれる上に、伝統的なドイツ文化を強烈に教える。まず、中世の町ローテンブルグのゲーテ協会でドイツ会話を集中的に教える。古い赤レンガ城壁が完全な形で町を囲んでいる。暇があると城壁の上の歩廊を散策する。歩き疲れれば町に下り、客のまばらな古い店で地元ワインを静かに飲む。広場には市が立ち、農民が民族衣装で野菜を売っている。
ゲーテ協会では、ドイツ語授業の合間に、ニュルンベルグの美術館、歴史のある教会、修道院へ連れて行く。近辺の町の提灯祭りにも。月の無い夜に町中の電灯を消して手製提灯の行列を楽しむ。
また、当時の首都ボン市にある大統領官邸に研究留学生全員を家族と共に招待してくれる。官邸は見事な芝生に囲まれ、南側はなだらかなスロープになっており、豊かに流れるライン河へと続く。歓迎行事はボンにあるフルブライト財団本部という官僚組織が計画的に運営している。外国の大統領に会ったのは初めてであった。
@中世のドイツ文化遍歴の旅
ドイツ在住に慣れたころ、フンボルト本部から封書が届く。マイクロバス一台でドイツ全土の観光に連れていってくれるという。シュツットガルトから始まり、アウグスブルグ、ミュンヘン、ロマンテッシェ・シュトラーセ、ベルリン、ハノーバー、ブルーメン、リューベック、ボン、ケルン、モーゼル河を遡って、トリアー、カールスルーエ、シュツットガルトに帰る二週間ほどの長旅である。
黒い針葉樹の森と新緑の広葉樹の美しい五月であった。各地の中世の絵画館、近代美術館、教会や修道院、歴史的な町並み。これが伝統的なドイツ文化だというものを徹底的に見せる。音楽ではベートーベンに代表される古典音楽、暗い宗教画の歴史、デユーラーの絵画、カント、ショウペンハウエルに代表される哲学、ゲーテやトーマスマンの文学、それら伝統に関連した記念館や生家を見せる。
壮大な教会や修道院も訪問する。出発時は新緑であった林が深い緑になったころドイツ遍歴の旅を終え、シュツットガルト市へ帰る。
この国が誇る文化はすべて暗く重々しく、深みのあることが特徴である。例えば、日本で有名なヘルマンヘッセは軽過ぎるらしく、ドイツでは評価が高くない。ドイツの留学制度は外国人にドイツ文化の素晴らしさを教え、帰国後もドイツ文化の支援者になって貰うことである。
@ドイツの酒の席での話題は30年戦争のこと、
研究所の冷蔵庫にはいつもビールがある。ビール片手に実験をしている若い学生がいる。ワインはご法度だがビールはOKである。夕方勤務時間が終わると筆者も研究室の冷蔵庫を開ける。酔って学生と話始めると、良く出る話は宗教改革に関連した30年戦争のことであった。シュバーベン王国やミュンヘン王国はどちらに組してどんな戦いを繰り広げたか?日本の学校の歴史教育では30年戦争の話など聞いたことが無い。どうも日本の壇ノ浦の合戦や上杉謙信と武田信玄の戦争のようにポピュラーな話題らしい。それがドイツ人の生活意識に現在も生きている。南部ドイツの人は北ドイツの人を嫌う。ミュンヘンは今でも独立王国の雰囲気である。小生が住んでいたシュバーベン地方ではアパートを他所者には貸さないという新聞広告をよく見た。
このように中世や封建時代の雰囲気がドイツに漂っている。住んでみるとドイツ人はそれを誇りにするのか酒席の主な話題になる。ヨーロッパ諸国では、ドイツしか知らないが聞いてみると、どの国もそんな中世の雰囲気が漂っているそうである。
日本はどうであろうか?外国人にはやはり平城・平安京時代や江戸時代の雰囲気が漂っているように見えるのかも知れない。それが日本の魅力なのかも知れない。外国人にとっては。(続く)